第85話 消えたナタリー~sideクラリス~
魔族達が住むレノギア大陸は別名魔界と呼ばれている。それに対して私たちが住む世界は人間界と呼ばれている。
これはあくまで小説の設定だ。
その魔界の中でも最大の軍事国家、ブラッティール帝国の皇子であるディノ=ロンダークは、他の皇子たちとは比較にならないくらい、桁外れの実力を持っていた。
父親である魔帝の後を継ぐことに魅力を感じていなかったディノは、人間界へ侵攻をし、自分だけの国を創ろうと考えた。
もし、小説の通りであれば、ディノは次元を越える転移魔術を使ったのだろう。
そして人間が住む地上に留まり、力を蓄えながら、自分の配下となり得る人間を狩りはじめた。
小説の悪女、クラリスもディノに狩られた人間の一人だ。
だけど現実のクラリス――私は狩られずに、ナタリーが狩られてしまった。
「ナタリーィィィ!!」
何故か、お父様よりも、執事のトレッドの方が先に悲痛な声を上げた。
ベルミーラは拘束された状態のまま、ディノを睨み付けて「ナタリーを返しなさい!」とキンキン声で怒鳴りつける。
肝心なる父親は、ナタリーの髪に口づけるディノを茫然と見詰めていた。
だけどハッと我に返り、私に向かって怒鳴りつける。
「く、クラリス!お前にとってナタリーは可愛い妹だろ!? 姉なら助けろ」
「――ハゲは黙っていてください」
「は……ハゲ!?」
「言い間違えました、シャーレット侯爵様、少し静かにしていただけないかしら」
「言い間違えにも程があるだろ!? 貴様、いつからそんなに憎たらしい性格になったんだ!?」
「父親に似たのかもしれませんね」
こんな緊迫している時に、上から押さえつけてくるような命令をされたら、憎まれ口の一つでも叩きたくなるわよ。
大体、私が危険に晒されることは一つも考えていないのね。
もうこの人が危篤になっても、駆けつけることはないだろう。
死んだとしても某戦国武将みたいに、仏壇に向かって焼香投げつけてやるわ……この世界に仏壇はないけど。
ナタリーが可愛いとは思えないし、もう妹だとも思ってはいないけど、あの魔族は阻止しないとね。
「クリアード!」
私は瘴気を浄化する魔術を唱える。
部屋の中の黒い霧は忽ち晴れるが、すぐにディノの身体からは新たな瘴気が滲み出す。
ディノの傍で囚われの身となっている料理長や騎士たちは、濃い濃度の瘴気に苦しそうにむせはじめる。
私もなんだか息苦しい……。
「ガーディ=シールド」
コーネット先輩が瘴気を寄せ付けないよう、防御の魔術をかける。
完全に防げるわけじゃないけど、息苦しさが緩和される。
「メガ・ライトニング」
エディアルド様がディノに向かって光の攻撃魔術を放つ。
しかし光の魔術は闇の防御魔術によってかき消されてしまった。建物の中だから、中級レベルの魔術しか放てなかったのだろうけど、それにしてもあっさりかき消してしまうなんて、相当強力な防御魔術がかけられているのね。
私は魔術師の杖を構え呪文を唱える。
「ライトニング・アロー!!」
次の瞬間、矢の形をしたいくつもの光が標的を攻撃する。鋭利な光なら、防御の壁を傷つけることが出来るのではないだろうか。
光によって形成された鋭い先端は、防御の壁に突き刺さり、わずかにひび割れる。
「ライトニング・アロー!!」
エディアルド様も私に倣い、光の矢を放つ。
防御の盾にはさらなる罅が入る。
よし、聖女様の光には適わないけれど、私たちが放つ光の魔術も闇の魔術にダメージが与えられることは分かった。
だけど、もう少し威力が欲しい。
次第に罅が増えていく防御の壁を見て、舌打ちをしたディノは、身を翻し、私たちに背を向けた。
歩き出す彼の行く先――部屋の白い壁にぽっかりと黒い穴が開く。
それは先の見えない闇が続くトンネルのようだった。
「待ちなさい!!」
「待て!!」
私とエディアルド様は同時に声を上げ、今一度光の矢を投げつけるが、振り向き様、ディノが呪文を唱えた。
「ダーク・アロー」
次の瞬間真っ黒な矢がこちらに飛んできて、光の矢にぶつかった。
ぶつかり合った光の矢と闇の矢はその場で爆発し、消失する。
私たちが放った攻撃は悉く黒い矢によって妨げられてしまう。
い、一本ぐらい闇の矢を避けてディノに届いても良くない?
光の矢の攻撃を一つも受けること無く、ディノは黒いトンネルの向こうへ消えてゆく。
後を追いかけるにも、ディノが入った瞬間から穴は閉じられてしまい、残ったのは白い壁のみ。
ディノを逃がしてしまった……。
彼はナタリーをどうするつもりなの?
異母妹は今まで、小説のクラリスの代役か? と思う程の悪役令嬢ぶりだったとは思っていたけれど、まさか黒炎の魔女も担うことになるのだろうか?
あの娘が黒炎の魔女……。
小説のクラリスよりもタチが悪そう。
軽い目眩を覚えた私を、エディアルド様が支えてくださった。
小説の通りであれば、一年後に黒炎の魔女と闇黒の勇者が魔物の軍勢を引き連れ、王都を攻めてくる。
だけど、小説の通り一年後に来るとは限らない。
とにかく出来るだけ早く、魔族との戦いに備えておかないと。
◇◆◇
駆けつけてきた宮廷捜査隊により、お父様とベルミーラ、そしてトレッドをはじめ、シャーレット家の使用人たちも殺人未遂で連行されていった。
騎士達に連行されるシャーレット家の面々を見た、レニーの街の人々は喜びの声をあげていたという。
吃驚するほど領民に慕われていなかったみたいね。
その後の調査でベルミーラが犯罪組織に所属する薬師に、違法薬物である毒薬や惚れ薬の調合を依頼していたことが判明した。
執事のトレッドから、第二側妃が私とアーノルドの婚約を望んでいることを聞いたベルミーラは、すぐにでも私を殺さなければ、と思ったらしい。
しかし私がなかなか実家に戻って来ないものだから、業を煮やし、母の形見であるペンダントを餌に私を呼び寄せることにした。ペンダントだけでは物足りないと感じたのか、ありもしない母の手紙もあると嘘をついて。
私も甘いわね……まだ、心のどこかであの人達のことを信じていたみたい。
お母様が生きていた時は、お父様も私に笑顔を向けていたことはあったのだけど、あの笑顔も今思うと嘘だったのかもしれないわね。
ナタリーは逃亡したとして、すぐさま捜索班が組まれた。
だけど、多分彼女が見つかることはないだろう。
私はシャーレット家の一員ではあったけれど、その後の捜査と使用人達の自供により、私も被害者の一人と見なされ、第一王子の婚約者として、王室に保護されることになった。
とはいっても、やはり未婚の内に王城で暮らすのは示しがつかないので、何代か前の聖女が暮らしていたといわれる王城敷地内にある離宮、エミリア宮殿に身を置くことになった。
家族の投獄により、学校にも行きづらくなった私は、宮殿にジョルジュとヴィネを呼び寄せ、エディアルド様と共に魔術と薬学の勉強にひたすら打ち込むことにした。
この先の未来のことを考えると、一刻も早く上級魔術と薬学を極める必要がある。
私たちは来たる日に向けて、自身の実力を高め、戦いのための備蓄を少しでも多く増やすことに時間を費やすことになった。
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