第79話 焦燥の執事

 シャーレット侯爵家執事、トレッドは背中からうっすらと冷や汗が流れていた。

 主であるビルゲス=シャーレットが、第二側妃の呼び出しを受けたのは昨日のこと。

 例の紅い封筒の宛名がクラリスではなく、ビルゲスの名が書かれていた時は、一瞬喜んでしまった。

 お茶会の招待状か何かか?

 ビルゲス宛てであれば、恐らく侯爵家に向けた招待状。

 シャーレット家の人間の誰かが顔を出せば良いのだ。

 今度こそ、ナタリーを王族の社交の場に出すことができる。出来る事なら、第二側妃とお近づきになれれば。

 そう願っていたのも束の間。

 手紙を読み終えたシャーレット侯爵の顔は、恐怖のあまり引きつっていた。


「トレッド……第二側妃様の手紙は、何度届いていた?」

「え……」

「三度も手紙を渡したのに、同じ返事しかしない。クラリスに渡していないとは何事だ!? と書いてある」

「!?」


 トレッドの顔が蒼白になる。

 クラリス宛の第二側妃の招待状は、クラリスどころかシャーレット侯爵の目に届く前に、自分が処分してしまっていた。

 そして主の代わりに返事を書いていたのも自分だ。

 あんな手紙がクラリスの元に届くことがあってはならない。クラリスが招待状に応じて、第二側妃に気に入られてしまったら、将来王太子と名高いアーノルドの婚約者がクラリスになってしまうかもしれない。

 ナタリーは今、アーノルドの心を射止めようと必死にがんばっているのに。


 だから二度、三度来たテレスの手紙も処分し、【クラリスは社交界に出すにはあまりにも行儀が悪く、素行も悪い為、代わってナタリーを舞踏会に参加させる】という返事を書いたのだ。


「く、クラリス様のような方を舞踏会に出すわけにはまいりません。だから私は良かれと思って」

「良かれと思おうが思うまいが、とにかくテレス妃殿下は相当ご立腹だ。儂はテレス妃殿下の元へ行かねばならない。お前も一緒に付いてくるんだ! 全てはお前の責任だと、妃殿下に訴えろ!」


 そして今、その第二側妃の前に跪いているわけだが、トレッドは内心舌打ちをしたい気分だった。

 何でこんな愚かな主のために頭を下げないといけないのか。


(全責任を負うなんて馬鹿らしい。この前解雇した秘書が手紙を処分したことにしてしまおう)

 

 第二側妃はこの目で初めて見るが、国王の目にとまるだけに美しい女性だ。

 しかしこちらを見下ろす眼差しは冷ややかなもの。

 第二王子の目の色は空色だが、彼女の目はアイスグレーの色だ。目の色は国王陛下に似たのだろう。

 第二側妃は紅い唇をつり上げ、ぽつりと呟くように言った。

 

 

「私、事務作業という仕事が嫌いなの」


 唐突な言葉にトレッドは恐る恐る顔を上げる。確かに今、事務作業らしきことをしているのは、部屋の隅に設置されているデスクで黙々と作業をしている青年だ。

 第二側妃は手に持った扇子をパチンと閉じると、それでシャーレット侯爵の涼しげな頭をぱしぱしと叩いた。


「今回の招待状、三回書いたのよ? だって何回書いてもナタリー=シャーレットを舞踏会に行かせるって返信しか来ないんだもの」

「く、クラリスは舞踏会には相応しくない乱暴な娘だったので……」


 震えた声で弁明するシャーレット侯爵に、第二側妃は口元を扇子でおさえ、可笑しそうに笑声を漏らす。


 

「うふふ、今度は傲慢じゃなくて乱暴な娘になったのね。コロコロと人格が変わるのねぇ、あなたの娘って」

「い、いえ、それは……」

「あなたにとってナタリーはよほど可愛いようね。クラリスを押しのけて、ナタリーを私に勧めてくるなんて」

「ち、違います。押しのけたわけではございません!クラリスがテレス妃殿下の失礼があったらいけないと思いまして」

「あらあら、今回の舞踏会のこと、ベルミーラからは聞いていないのね。あなた」


 突然、冷ややかな口調になる第二側妃に、シャーレット侯爵は戸惑ったようにこちらをみる。トレッドも首を傾げたい気分だった。

 舞踏会で何があったというのだろう?

 そういえばベルミーラとナタリーは、思ったよりも早く帰宅していた。

 ベルミーラの具合が悪くなったので急遽戻ったと聞いていたが、違っていたのであろうか? 


「手紙を三度書いた時点で不審に思ったから、私の配下にクラリスの様子を尋ねてみたわ。彼女は招待状のことは一言も言っていないし、舞踏会のことも話題にしていなかったって。それで招待状は彼女の元に届いていないことが分かったの。いくらあなたが、舞踏会に相応しくない娘だと判断したとしても、私が書いた招待状を本人に渡すのが礼儀というものじゃなくて?」

「あ……いや……その」


 シャーレット侯爵は情けないほどに慌てふためき、うまく言葉が出てこない。

 助けを求めるかのように、ちらちらとドレッドの方を見ている。

 お前が何とか言い訳しろ、という主の心の声が聞こえてくるようだった。


「それでもナタリー=シャーレットが素晴らしい淑女だったら目をつぶっていたわ。もしかしたらクラリス以上の人間かもしれないと期待していた部分もあったわね。ところがあなたご自慢のナタリーは、想像以上に礼儀がなっていない娘だったわ。あれが舞踏会に相応しい娘? 笑わせないで頂戴!!」


 バシンッと扇子で頭を強く叩きつけられ、シャーレット侯爵は「ひっ」と小さな悲鳴をあげる。

 

「本当に、クラリス=シャーレットを逃してしまったのは、大きな痛手だわ」

「あ、あの娘は大した娘ではありません。確かに外面はとても良いかもしれませんが」

「ビルゲス、あなたの脳味噌では、娘を評価するのは難しいみたいね」


 哀れむような第二側妃の眼差しに、シャーレット侯爵は何を言われているのか分からない、とばかりに首を傾げている。


「元々、エディアルドの参加、聖女が現れたことで、私の計画は狂っていたのよね……そこにナタリーとベルミーラが舞踏会を荒らしてくれたんだもの。温厚な私だっていいかげん堪忍袋の緒が切れたわよ」

「ベルミーラとナタリーがそんなことする筈が……ほごっっ!!」


 反射的に口答えをしてしまったシャーレット侯爵の頬を、今まで以上に強く扇子で叩く第二側妃。

 

「私に三度も手紙を書かせたのだから、ナタリーはよほど立派な淑女かと思っていたら、まったく違うじゃない。あんな空気すら読めていない小娘の為に三度も手紙を書かされたのが腹立たしいのよ!」

「……っっ!」

 

 今度は高いヒールで、頭を下げていたシャーレット侯爵の後頭部を踏みつけた。

 床に顔を押しつけられた侯爵はうまく返事が出来ずにいる。

 加虐嗜好があるのか、後頭部を何度も踏みつける第二側妃の目は狂喜に彩られていた。

 


「私、さっき言ったわよね? 事務仕事が嫌いって。そんな私が三度も手紙を書いた」

「ひゃ、ひゃい」


 いや書いたのはそこにいる青年だろう? 

 とトレッドは内心突っ込みたかった。しかしテレスはそんな彼の心を読んだかのように笑って言った。


「手紙の内容はほとんど彼が書いてくれているわ。でもサインだけは私の直筆じゃないと駄目なのよね。ねぇ、誰のせいで私は手紙を三度も書く羽目になったのかしら?」


 トレッドは考えた。

 ここで自分が上手く弁明しなければ!

 とりあえずこの前解雇したばかりの秘書に全責任を押しつけておこう。

 主に非がないことを主張しておかなければ、自分の身が危ない。

 トレッドは深く深呼吸をしてから、テレスに訴えた。


「全ては秘書が指示したことです! 旦那様は何も知らなかったのです」

「うふふ、主人を庇うなんて大した忠誠心ね……それとも、本当に忠誠心なのかしら?」

 

 愉快そうに笑いながら、第二側妃はシャーレット侯爵の頭を踏みつける行為を止め、トレッドの元に近寄った。


「あなた、近くで見ると端整な顔ね」


 第二側妃は、トレッドの顎を扇子の先で、テコのように持ち上げる。

 彼女はしばらくの間、じっとこちらを見詰めていた。

 何かを観察するように。

 トレッドが息を飲むと、第二側妃は「ふむ」と呟き、何か納得したように一つ頷いた。


「あなたの顔を見て確信したわ……そういうことだったのね。ナタリーは母親似だけど、目の色は貴方と同じだわ」

「……!?」


 ドクンッ!

 

 トレッドは一瞬、心臓をハンマーで叩かれたような感覚がした。

 それくらいに胸が強く高鳴ったのだ。

 今までうっすら背中に掻いていた冷や汗から、全身、滝のような汗が流れ出すのを感じた。

 気づかれた……第二側妃に、ナタリーの秘密を知られてしまった。

 今まで誰も気づかなかったのに!!

 テレスはシャーレット侯爵には聞こえないような耳元でトレッドに囁く。


『私の実家にもあなたみたいな人いたわ。忠実な執事を装った侵略者が』

「……」

『侵略者は私の父によって酷刑に処されたけど、あなたはどうなのかしら?』

「……っっっ!!」


 全身の冷や汗により寒気を感じるのか、ぶるぶると震える執事に対し、テレスはさらに声をひそめて言った。


『安心して。このことは内緒にしてあげる。その代わり、私の言うことを何でも聞きなさい。クラリスが実家に戻ったら、彼女を監禁してでもエディアルドから引き離すのよ』

「し、しかし」

『あら、私に口答えする気?』

「…………いいえ」


 トレッドは力なく頷くことしかできなかった。

 テレスは立ち上がり、クスクス笑いながらシャーレット侯爵に言った。


「あなたも可哀想ね。こんな裏切り者が執事だったなんて」

「え……? うちの執事が何を? ?」

「うふふふ、何でもないわ」


 第二側妃は閉じた扇子の先端で、怖々と顔を上げるシャーレット侯爵の額をぐりぐりと抑えつけた。

 痛みに涙ぐむシャーレット侯爵に、第二側妃は迫るような低い声で言った。


「とにかく、次回からはちゃんと招待状はクラリスに渡すようにね。それからあなたの口からもちゃんとクラリスを説得するのよ。エディアルドの婚約を破棄し、我が子アーノルドの元へ嫁ぐようにと」



 第二側妃の命令に、シャーレットは深々と頭をさげたが、その表情は悔しげなものだった。

 何故、ナタリーではなくクラリスなのか理解できないのだろう。その気持ちはトレッドも同じだ。

 

 

(どう考えてもあんな無愛想な娘より、愛らしいナタリーの方が社交界に相応しいに決まっている……くそ……クラリスが余計なことを第二側妃に吹き込んだに違いない)


 第二側妃には失望した。これほどまでに人の見る目がないとは。

 言う通りにしないと、ナタリーの秘密を暴露される恐れもある。だからといってクラリスをアーノルドの婚約者になるよう説得するなど、冗談ではない。


(くそっっ……くそっっ……)


 彼女はクラリスに騙されている!!

 あの娘さえいなかったら、こんなことにはならなかったのに。

 あの娘さえいなかったら……。


(このままでは私の娘が王太子妃になる計画が……クラリスには一刻も早くこの世から消えてもらわねば)


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