魔族の皇子
第78話 苛立ちの第二側妃
テレス=ハーディンは苛立たしげにテーブルを人差し指で叩いていた。
その様子に側に控えるメイドたちはブルブルと肩を震わせ、秘書である青年もちらちらと主の顔色をうかがっている。
テレスはワインのグラスを手に持ち、一気に飲み干した。
(クラリス=シャーレットをこちらに引き込む予定だったのに……)
ワイングラスを乱暴に置く音に、メイドたちはさらに身震いをする。極力、床を見てテレスの機嫌を損ねないように気配を消す。
テレスは大きく息をついた。
(ミミリアといい、ナタリーといい、何故、あんな阿呆な娘ばかりがあの子に言い寄るのか。それに……エディアルド)
ぎりっとテレスは紅を引いた唇を噛む。
思い出すのは、まるでこちらの思惑を見透かしたかのような視線。
テレス自身、社交界であらゆる人間と接し、その人柄を見てきたので、目つきをみればその者が愚か者かどうか見分けることができる。
もちろん愚か者を演じるのに長けた人物もいるので、全ての人間を見分けられるわけではないのだが。
以前会った時のエディアルドは、あんな目つきではなかった。
アーノルドばかりを褒め称える貴族達の声に悔しそうにしながらも、それに反論する勇気も無く、迷子の子猫のような目で周囲を威嚇していた。
あの舞踏会も、いくら婚約者のクラリスが参加しているからといって、まさかエディアルドまで参加するとは思わなかった。
アーノルドの舞踏会に参加すれば、自分がどんな屈辱にさらされるか分かっていて、参加を希望するとは、やはり馬鹿なのか?
テレスは間者のカーティスを使い、クラリスが城に到着する前に、エディアルドを会場に呼び寄せるように命じた。
周りの貴族たちがエディアルドに嘲笑や侮蔑の言葉をなげつければ、クラリスが到着する前に憤慨して帰るだろうと踏んだのだ。
だがこちらの思惑に反し、エディアルドは、周囲の言うことなど何処吹く風。
しばらくして、こちらの思惑通り、会場を出て行ってくれたかと思いきや、クラリスをエスコートして舞い戻ってきたのだ。
それでも何とかしてエディアルドから引き離し、アーノルドと婚約するようにクラリスに迫った。
多くの貴族女性たちが、喉から手が出るほど欲しがったアーノルドとの婚約。
聡い彼女であれば、今、どちらの王子が優勢かすぐに分かるはず。
そう思っていたのに――――
「妃殿下の申し出、身に余る光栄なことですが、私は辞退させていただきます」
クラリスは何の迷いもなく、断ってきた。
最初は聖女という恋人がいるから、遠慮しているのかと思っていた。実際、本人も「聖女を差し置いて王妃にはなれない」という理由で断ってきたのだ。
しかし、こちらがどんなに良い条件を出しても、彼女はまるで良い反応を示さない。
それどころか、時々、不快そうな表情すら浮かべていた。
茶席を退席し、エディアルドの元へ向かおうとしていたクラリスを引き止めたのは、アーノルドだ。
息子はクラリスのことを嫌っているとばかり思っていたから、テレスにとっても予想外だった。
今をときめく第二王子の告白を断る令嬢などいないだろう。
よくぞ、クラリスを口説いてくれた、とテレスは心の中で息子に拍手を送っていた。
しかしクラリスは先ほどと同じように、何の迷いもなく告白を断った……いや、断るどころか、あれは拒絶されていた。
アーノルドに何の不満があるというのだ!?
分からない……クラリス=シャーレットという人物が自分には全く理解ができない。何から何まで、自分とは考え方が違うのだ。
しかもエディアルドは、クラリスに想いを告白したアーノルドに対し、激昂することもなく、まるで父親が息子に言い聞かせるかのように、こう言ったのだ。
「アーノルド、欲張らないでミミリアだけを愛してやれ。彼女を一途に愛することで、聖女の力は初めて発揮されるのだから」
「兄上……」
まだ十七歳……いや、もうすぐ十八歳のはずだが、とてもその年の台詞とは思えない余裕と落ち着きを感じられた。
何がエディアルドを変えたのか分からない。社交界ではクラリスのおかげでといわれているが、エディアルド自身、根本的な何かが変わっているような気がして仕方がない。
(いずれにしても、邪魔であることは確かだわ……)
テレスにとって、エディアルドの存在が脅威に変わったのは国王謁見の時だ。
本来自分の母親が座る席であろう、国王の隣に自分が座っていたら、今までのエディアルドであれば、必ず激怒する筈だった。
しかしエディアルドは、自分と目が合ったにも拘わらず、まるで意に介することもなく、国王陛下に挨拶をした。
アーノルドを苛み、四守護士に怪我を負わせたことを国王や他の貴族たちが問いただしてきても悉く論破し、しかも将軍、宮廷魔術師長や宮廷薬師長の好感度を上げた。
さらにエディアルドは、王妃と共に旅をしたいと申し出てきた……メリアに毒を定期的に摂取させたいテレスには、とても不都合なことだった。
アマリリス島行きをその場で反対したものの、クロノムの援護もあり、エディアルドは見事に自分を出し抜いて、メリアのアマリリス行きの許しを国王陛下に取り付けた。
(……慌ててバートンを同行させることにしたけど)
テレスは先ほど届いた一通の手紙を手に取った。
自分がメリアの元に送った主治薬師、バートンからの報告だ。
(バートンの手紙によると、今の所メリアは順調に死に向かっているみたいね……バートンの存在があの
自分を殺そうとしている医者を必死に庇おうとするメリアの様子を想像すると、おかしさがこみ上げてくる。
(万が一、事が露見してもバートンには呪いをかけてある……ふふふ、私の余計な記憶も時には役に立つことがあるのね)
上手くいけばメリアとクロノム公爵の間に亀裂を生むことができる。あと邪魔なのはエディアルドだが、バートンにはメリアをアマリリス島につれてきた責任を問い詰めるよう言い含めている。
(ただ……今のエディアルドがバートンの言うことを素直に聞き入れるかどうかよね。ほんっとうに忌々しい子だこと)
その時扉を叩く音がした。
どうやら呼びつけた客人が此処に来たようだ。
テレスは手紙を置いてから、テーブルの上に置いてある扇子を手にとった。
「入りなさい」
扇子で掌を軽くパチンと叩く。
丁度、この苛立ちを解消してくれそうな玩具がが来てくれた。
侍女に案内され、入って来たのは、ビルゲス=シャーレット侯爵とその執事であるトレッドだ。
(あら、執事も連れてくるなんて……一人で来るのは怖かったみたいね)
テレスはちらりと俯く執事を見る。
年の頃は五十代前半くらいか。なかなか端整な顔立ちだ。
昔はさぞ女性にモテていたことであろう。
しかし――
……?
テレスは執事を凝視する。
初対面の筈なのに、初対面じゃないような気がするのは気のせいか?
誰かと雰囲気が似ているのだ。
一体誰と?
(こういう時、すぐに顔が思い出せるのだけど、駄目ね……お酒で頭が回っているみたいね)
ふう、と息をついてからテレスは席から立ち上がった。
シャーレット侯爵と執事は、両手を床に着け、深々とひれ伏す。
「よく来たわね、ビルゲス=シャーレット侯爵」
「王国の薔薇と誉れ高いテレス妃殿下にご挨拶申し上げます」
「薔薇だけじゃないわ。紅き薔薇よ」
「……っっ!!」
初っぱなから挨拶をしくじるビルゲスに、テレスは苦笑する。
あのクラリスの父親とは思えない。クラリスは自分に物怖じせず、堂々と挨拶をしていたのに。
しかしピンクゴールドの目の色は間違いなく、クラリスと同じもの。鼻の形など、部分部分は似たところがあるので、残念ながら本当の親子なのだろう。
「頭の中身は母親に似て良かったわ」
「今、何と?」
「ふふふ、何でもないわ」
訝るシャーレット侯爵に、テレスは愉快そうに笑うのであった。
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