第74話 悪役令嬢、悪役王子の母を救う~sideエディアルド~
一度自室に戻ろうとした途中、ドアに研究室と書かれた部屋からクラリスとデイジーの話し声が聞こえて、歩いている足を止めた。
最近、デイジーと薬を作るようになったとは聞いていたが、何やら真剣に話し合っているな。
俺はそっとドアを開け、中の様子を見てみることにした。
「あ、エディアルド殿下!」
「エディアルド様、王妃様のご様子は如何でしたか?」
クラリスとデイジーは心配そうに俺の元に駆け寄って来た。
母上の側にいた友人が君たちのような人だったら良かったのに。
確かに母上は王妃には向いていないが、彼女を支える友人がいれば少しはちがっていたのかもしれない。残念ながら周囲の友人たちは、母上を利用するような人間ばかりが集まってしまった。
俺は先ほどあった出来事を、クラリスとデイジーに話して聞かせた。
「そ……そんな。王妃様が毒を盛られていたなんて」
「……」
ショックが隠せないクラリスに対し、父親から予め話を聞かされていたであろうデイジーは複雑な表情を浮かべていた。
彼女も出来ればすぐにでもバートンを追い返したい気持ちだっただろうが、バートンが母上に薬を出すまで我慢するよう、クロノム公爵に指示されていたのだろうな。
クラリスが不安そうな声で俺に問いかける。
「王妃様は大丈夫なのでしょうか? 今までも毒を盛られていたわけでしょう?」
「クロノム公爵が言うには、毒の効能が発揮する量を体内に取り込むと、極端に痩せ衰えて、精神状態が悪化するらしい。母上は今の時点ではそこまでじゃないから、命に別状はないみたいだ」
「よ、よかった」
ほっと胸をなで下ろすクラリス。
心の底から母上の心配をしている彼女の気持ちが伝わってくる。
「クラリス、君が作った薬を母上に飲ませてやってくれないか?」
「私が作った薬がお役に立つのであれば、是非」
快く頷いてくれるクラリスに、俺は胸が熱くなる。
本当に君が婚約者で良かった。
その場にいたデイジーも両手を握りしめ、強い口調で言った。
「丁度、解毒作用にも秀でた万能薬が出来上がったところです。さっそく王妃様に飲んでいただきましょう!」
俺はクラリスとデイジーを連れて、母上の部屋に戻った。
先ほどのやりとりで、すっかり憔悴してしまったのか、やつれてしまっている母上の様子に、クラリスとデイジーは痛ましい表情を浮かべた。
クラリスは薬が入った小さな小瓶を盆の上に載せ、母上の元に歩み寄った。
「王妃様……私が調合した薬です」
「クラリス……あなた」
「今はとても辛くて、何も喉が通らないとは思いますが、せめてこれだけでもお飲みください。一刻も早く王妃様の身体を蝕む毒を消さなければなりません」
「……」
母上はクラリスが差し出す薬をしげしげと見詰めた。
小さな硝子の瓶の中には、澄んだエメラルドグリーンの液体が入っていて、まるで宝石のように煌めいていた。
「まぁ、綺麗なお薬なのね」
それまで虚ろだった母上の目にわずかな輝きが宿る。
クラリスの気遣う言葉が嬉しくもあるのだろうな。
母上は硝子の小瓶を手に持ち、ゆっくり一口ずつ薬を飲んでいった。
「……っっっ!?」
一口、二口、と飲んでいった瞬間、体力が回復していくのが分かったのだろう。
母上は驚きに目を見開き、クラリスの方を見た。
クラリスが一つ頷く姿を見てから、母上もまた一つ頷いて、もう一口、もう二口、ゆっくりと薬を飲む。
青白かった顔色がたちまち血色が良くなり、色濃く浮き出ていた目の隈も綺麗に消える。しかも金色の髪の毛も艶やかになった。
肌も何だか若返ったようで、張りがある。母上は思わず自分の頬をすりすりと触っていた。
「まぁ、身体が軽いわ。さっきまで寒気もしていたのに、今はお腹からぽかぽか温かいわ」
「血の巡りがよくなったのですね。体内の毒も無くなっているとは思いますが、念のため寝る前にもう一本、この薬を飲んでください」
クラリスはほっと安堵の笑みを浮かべながら、母上にもう一本万能薬を手渡した。
それを受け取りながら母上はクラリスに尋ねる。
「凄い薬なのね。なんという名前の薬?」
「万能薬です」
「でも今まで万能薬を飲んでも何の効果もなかったのに」
「体力と魔力を回復させる薬のことを皆万能薬と呼んでいるのですよ。この万能薬は魔力と体力の回復だけじゃなく解毒作用もある万能薬なのです」
「まぁ! じゃあ、この薬こそ本当の万能薬だわ。そんな凄いお薬をあなたが調合したの!? ……クラリス、あなたは本当に素晴らしいのね!!」
母上は嬉しさと感激のあまり、ベッドの傍らに立つクラリスを思わず抱き寄せた。
「お……王妃様」
「私のことを助けてくれてありがとう、クラリス。そしてごめんなさい。最初はあなたのことを傲慢な娘だと思い込んでいて」
「私には、そういう噂が広がっていましたし、そう思われるのも無理はありません。あまりご自分を責めないでください」
「どうして、あなたのようないい娘が……私は、私は本当に人を見る目がなかった」
そう言ってきゅーっとクラリスを抱きしめる母上。く、クラリスは少し苦しそうだけどな。
「私は幸せだわ、あなたのような娘が出来て」
「娘?」
「エディーの大切な婚約者だもの。もう、私の娘も同然じゃない」
「……っっ!!」
母上の言葉にクラリスは大きく目を瞠った。
彼女のピンクゴールドの目がしだいに潤みはじめる。
実母が亡くなって以来、家族からは冷遇されてきたクラリスにとって、母上の言葉はとても嬉しかったのだろう。
クラリスは泣くのを懸命に堪えながら、母上に言った。
「本当にご無事で良かったです……王妃様」
◇◆◇
母上のことはクラリスたちに任せ、俺は会議室へ向かうことにした。
クロノム公爵に呼び出されているからな。
ゆっくり話がしたいと言っていたが、一体どんな話をするのだろうか?
ただの世間話……じゃないよな。
「お待ち申し上げておりました」
会議室の重厚な扉の前には執事が立っており、俺の姿を認めると恭しくお辞儀をした。
扉の前に執事……誰も部屋には近づけさせないつもりなのだろうか?
執事の案内で、部屋に通された俺はハッと目を見張った。
部屋の真ん中には十数人の席は設けられそうな、楕円形のテーブルが置かれている。
そこにはアドニス=クロノムと、コーネット=ウィリアム、それからウィストとソニアも扉の両脇に控えていた。
公爵に勧められ、俺は一番奥の席に腰掛ける。
するとメイドが紅茶と、クッキーが載った皿を運んできた。
長い話になるのかな……?
俺の真向かいの席に座ってから、クロノム公爵は口を開いた。
「たまには若い子たちと気軽に話がしたくてね」
「……」
言葉とは裏腹、会議室には微妙な緊張感が漂っていた。
事前に何を言われているのか知らないが、アドニスもコーネットも平静を装っているものの、すこしばかり顔が強ばっている。
まぁ、俺じゃなきゃ二人の表情の変化は分からないだろうな。
「……」
「……」
「……」
「……」
――おい、誰か、何か喋ってくれ。
ものすごく気まずい空気になってきたじゃないか。
クロノム公爵は頬杖をついて、しばらく黙って俺の方を見ていた。
一見、優しそうな眼差しなのに、突き刺すような視線を感じる。
本当に何から何まで見透かしたような目だ。
前世、俺の上司だった人が同じような目で俺のことを見ていたことがあったな。
おっと、妙に懐かしい気持ちになってしまった。山田部長、元気かな……俺が死んで泣いてくれただろうか?
あまりの気まずさから、前世の上司のことまで思い出してしまったぞ。
ふとクロノム公爵とばっちり目が合った俺は、思わず目をそらしたくなるが、俺は逃げずにクロノム公爵の眼差しをしっかりと受け止めた。
「やっぱり違う」
「え?」
「以前の君は、僕の視線に耐えられなかったのに」
「……」
記憶を思い出す前のエディアルドだったらあり得るな。
世間知らずの若者にとって、百戦錬磨の宰相の視線はさぞかし痛かったに違いない。
「王子である以前に、君は従兄妹の子供だ。僕は従伯父として君を幼い頃から見守ってきたつもりだ」
「……」
「エディアルド=ハーディンが婚約者のお陰で変わった、と噂には聞いていたけれど、変わったどころじゃない。今の君は僕が知っているエディーじゃない」
訂正。
見透かしたような目で見ているのではない。この人は俺のことを見透かしている。
俺の中にユウキタイチの記憶があることを見抜いているんだ。
クロノム公爵は静かに問いかけてきた。
「ねぇ、今ここにいる君は“誰”なの?」
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