第2話 目が覚めたら悪役令嬢でした~sideクラリス~

 目を覚ましたら、くすんだ天井が視界を占めた。

 ん? 

 くすんだ天井? ? 私が住んでいる場所は築一年のアパート。天井は真っ白で綺麗だった筈。

 ちょっと待って、ここは何処? 

 私はベッドから飛び起き、恐る恐る周囲を見回す。汚れた小さな窓とボロボロの木の壁、薄汚れた床。

 起き上がって歩いてみると、床がギシギシと音が鳴る。

 どう見ても物置部屋だ。いかにも使わなくなった古びた家具や雑貨が乱雑に置かれている。


 いやいや、私の部屋はカーテンの色はピンクだったし、ベッドの横にはクマのぬいぐるみが置いてあったはず。

 だけど今、目の前にある現実は、立て付けの悪そうな窓から隙間風が入って来る物置部屋。


 

 応接セットも置いてあるけれど、よく見たらソファーの布はすり切れて色褪せ、テーブルも傷だらけ。使わなくなった応接セットを私の部屋に置いてあるだけなのだ。

 クロゼットを開けると、ぎぎぎっと音が部屋に響く。

 色褪せたワンピースドレスを着ながら私は、現在の自分自身の名前を思い出す。

 私の名前は山本穂香……じゃなくて、クラリス=シャーレットだ。

 あれ? 

クラリス=シャーレットって、どこかで聞いた名前のような? ?




 私は前世で亡くなる直前、読もうとしていた小説のことを思い出す。


“運命の愛~平民の少女が王妃になるまで~”という物語。


主人公のミミリア=ボルドールは、平民の少女だったけれど、女神に選ばれた聖女の証である薔薇の痣があった為、男爵家の養女となる。

 女神に選ばれた聖女は、民に崇められる存在だから、平民という身分ではあってはならなかったのだ。

 男爵家の娘として貴族が通う学びの場、ハーディン学園に入学したミミリアは、そこでアーノルド王子と出会い、恋に落ちる。

 アーノルド王子の婚約者であるクラリス=シャーレットはそれを知り、ミミリアに嫌がらせをするようになる。そして虐めがエスカレートした結果、しまいには彼女の命を狙うようになる。

 アーノルドは舞踏会の場で、そんなクラリスの悪行を咎め、婚約破棄を言い渡す。

 そしてミミリアこそが、真の婚約者であることを宣言するのだ。


 一方、アーノルドの異母兄、通称『馬鹿王子』であるエディアルド王子は優秀な異母弟に劣等感を抱いていた。

 しかも自分が思いを寄せていたミミリアが、アーノルドと恋仲であることを知り、憎悪を抱くようになる。

 そんなクラリスとエディアルドに力を貸すのは、魔族の皇子ディノ。

 生来から優れた魔術の能力があったクラリスは、ディノから闇の魔力を与えられ、絶大な力を得る。そして彼女は『黒炎の魔女』の二つ名で呼ばれるようになり、人々から恐れられるようになった。

 剣の才覚があったエディアルドには、光を切り裂く黒炎の魔剣を与えられ、『闇黒の勇者』と恐れられるようになった。

 黒炎の魔女クラリスと闇黒の勇者エディアルドは、魔物の軍勢を率いて王城に攻め込んだ。そしてクラリスは黒炎を放ち、ミミリアの身体を焼こうとするが、アーノルドが彼女を庇って深手を負ってしまう。

 瀕死のアーノルドを見て、エディアルドは魔剣でアーノルドにとどめを刺そうとする。 

 愛する人を失いそうになる悲しみに、ミミリアの聖女としての力が覚醒。

 クラリスが放った黒い炎は、ミミリアが放った聖なる光によって打ち消され、さらに重傷だったアーノルド王子の身体も全快する。

エディアルドは復活したアーノルドに聖剣で心臓を貫かれ絶命した。

 二人に闇の力を与えた魔族の皇子、ディノはミミリアが放った聖なる光によって力を失い、エディアルドと同様、アーノルドによって聖剣で心臓を貫かれ絶命した。

 クラリスは騎士達に取り囲まれたが、捕らえられる直前、自らの身体を燃やし自害をした。

 そしてミミリアとアーノルドは身分の差を超え結ばれたのであった。めでたし、めでたし


 全っっ然めでたくない!! 


 その時になって私はようやく、現世の自分が何者か自覚することになる。

 クラリス=シャーレットと言えば、“運命の愛~平民の少女が王妃になるまで~”という小説の中では、黒炎の魔女と呼ばれる悪女だった。


 いやいやいや、これは偶然……あの小説のクラリスとは限らない。同姓同名というだけで別人だって可能性もある。

 でも現世の記憶を辿れば辿るほど、私はあの小説に登場するクラリス=シャーレットであることを自覚させられる。

 家族の名前も一緒だし、住んでいる国はハーディン王国だし。

 ただちょっと小説と違うのは、今住んでいる部屋がすごく簡素な……簡素どころか粗末な所だ。それに着ている服も、かなりみすぼらしい。侯爵令嬢という地位でありながら、私の生活は決して豊かではなかった。


 主人公はあくまでミミリアだ。

 悪役の実家の詳細なんて描かれていなかった。

 だからって、まさかこんな酷い扱いを受けていたなんて。


 現世のクラリス=シャーレットとしての記憶をほじくり返すと、私は五年前に母親を亡くしている。そして程なくして、後妻とその娘がこの家に入ってきた。

 私は継母とその娘に事あるごとにいびられ、新たな女主人となった継母の命令により、使用人からも冷たくされていた。

 実は苦労人だった悪役令嬢。

 小説のクラリスは、今のような生活に戻りたくなくて、王子の婚約者という地位に固執していたのかもしれない。


 ということは、このままいけば、私は物語においては悪役……ヒロインと恋に落ちた王子様によって、婚約破棄されるってこと!? 

 何!? 私って婚約破棄される星の下に生まれたの!? そのあげくに自害って。

 でも待って。

 今の私は十七歳。

 まだアーノルドとは婚約していない筈。

 確か近々そのアーノルドと初めて会うお茶会が催されるんじゃなかったっけ? 小説では、クラリスはアーノルドの最有力婚約候補者として参加したんだけど、アーノルドは来なかった。

 アーノルドは我が侭で傲慢な令嬢であると噂されている、クラリスのことを嫌がっていた。ましてや、そんな令嬢が自分の婚約者候補だったのが耐えられず、顔も見たくなかったのだ。

 

 

 今、何時? 

 昼の二時……あ、そっか。本を読んでいたら眠くなったから寝ていたんだっけ? 


 その時、ノックもなしに部屋に入って来た人物がいた。

 私と同い年だけど、生まれたのが二ヶ月遅かったので妹になるナタリー=シャーレットだ。

 彼女と私は異母姉妹。

ブラウンのロングヘアはふわふわのカールがかかっていて、ブラウンの目は丸くて大きい。

 ナタリーは父の後妻であるベルミーラの子、私は亡くなった前妻の子供なのだ。


「お姉様! さっきお父様から聞いたわ! 王妃様のお茶会にお呼ばれされているんでしょ!? 私も連れて行ってよ!!」

「……」


 この娘の声って一体何デシベルなの? 耳がキーンときたわ。

 私の悪い噂の原因である異母妹、ナタリー。

 いつも彼女の我が侭に振り回されている。今の発言も彼女の我が侭だ。

 お茶会に正式に招待されているのはあくまで私だ。主催者側に断りもなく、勝手に妹を連れて行けるわけがない。

 侯爵家当主であるお父様とその夫人であるお義母さまも招待されているから、自分だけ招待されていないのが不服なのだろうけど。



「駄目よ。あなたは招待されていないのよ」

「あら、私が一人増えたところで問題ないでしょ?」


 可愛らしく小首をかしげてみせるナタリー。

 顔は人形のように可愛らしいんだけどね。あざとさが前面に出ちゃっています。

 私は溜息交じりに異母妹を諭す。


「事情があって家族を一人連れていなかければならない時は、主宰者側の許可がいるのよ。今から王室に許可願いを出しても間に合わないわ。親しい人のお茶会とは違うんだから」

「何よ、婚約者候補に選ばれたからっていい気になって!」

「王室から正式に招待されたのは私なのよ? 仕方がないでしょう?」

「姉様のケチ!! 本当に我が侭なんだからっっ!!」


 我が侭はどっちなんだか。

 ナタリーは憤慨して、ドアを乱暴に閉じた……貴族の女性として、はしたないわね。

 私はお母様が亡くなるまでは幼い頃から徹底的に淑女の立ち振る舞いを叩き込まれた。だけど、ナタリーの母親はそういったマナーの心得を熱心に娘に教えようとはしない。

 この分だと、じきにお父様が来るわね。

 私は溜息をついて、所々に罅が入っている三面鏡の前に立つ。

 やぼったい髪型だけど、紅の髪の毛は背中までのびている。前髪を掻き上げると見えるのは、ややつり目だけど大きいピンクゴールドの瞳、ぬけるような白い肌。

 普段は前髪で目が隠れちゃっているから、かなり地味な印象だけど、こうして見るとお人形さんみたいじゃない。

 前髪をあげた状態で、鏡越しに自分の顔をしげしげと見詰めていた時、乱暴にノックをする音が響き渡る。

 あ、お父様ね。ナタリーに泣きつかれてすっ飛んできたわね。

 ま、ノックをするだけナタリーよりましかも。


「クラリス!! また我が侭を言ったそうだな。ナタリーをお茶会につれて行かないとは、意地が悪いにも程がある」




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