最終話 そして、少年は紅の雪花に彩られる──。

 ああ、終わった。

 またもや、遅かったようだった。


 限界まで追い込んだ結果、目がくらんだ。

 もうすでに、自身の生命が相手の手のなかにあるということを。


「いや、そうでもないさ。隆之君」


 ──え?


「気づいていないのが恐ろしいな。もう、君はすでに私を、殺してる」


 ──ああ。


 手のひらには、潰れた心臓。

 すでに血があふれかえり、床へぽたぽたと滝のように流れていた。


「……そうか。俺は、勝ったんだな」

「ああ──」


 切なく、すぐにでも消えてしまいそうなくらい、細い声。

 男は、もう千年もの歴史すべてを忘れ、自身の心に帰っているようだった。


「なあ、隆之君」

「なんです、か?」

「真堂に手紙を預けているんだ。来年の春になったら、読ませてあげてほしい、とね」


 お互い、背中合わせで会話をする。


「そこには、僕の娘たちを救ってほしい、と書いたんだ」

「……」

「──でも、その必要はなかったな。

 ……君は、十分にまっとうしてくれた。僕という呪いから、彼女らを解き放ってくれた」


 いくつもある終わりのなかで、玄桐──白河宗助だけが望んだ終わり。それが、今日だというのか。


 ああ、それは──、


「バカだなあ、ソウ爺は」

「ほう?」

「そんな手紙を書かなくても、たすけたいと思ったら、たすけにいきますよ」

「……あぁ、そうだった」


 ──君はそう。いわゆる、大馬鹿だった──。


 その一言を最後に、彼の温もりは少しずつ冷めていった。


***


 雪が、積もっている。

 屋敷から抜け出して、俺は全力疾走だった。

 俺の実家と白河邸はそう通いところではない、が。

 もうすでに俺の心臓は崩壊している。この身体も、この脳も崩壊しかけている。


 全力疾走、といったところでただの早歩きだ。


 でも、早く彼女のもとへ──。


「な まえ」


 わから ない。


 なま えが──。


 思い出せなくて、どうしようもできなくて──でも、だからこそ俺は歩き続ける。腕はやられた、皮膚も腐りかけているが、足はまだ健在──いや、そうでもない。


 肉は若干抉れて、骨がむき出しになっている部分がある。


 視界も、眼球に血がしみこんで赤い景色が広がっているだけ。


 だが、どこへ向かうべきかなどは本能で理解していた。


 ある く。


 こわ い。


 なにも わから ないのが こわい。


 それ でも 歩かなく ちゃ。


 あと すこし だけ


 すぐ だ。


 ねえ おれ ちゃんときれいなままで かえってきたよ?


 ──っ。


「な、まえ──なまえ」


 ごめん ね あなたの なまえが わからない。


「あっ──」


 ころ んだ。


 だめ だ。


 ここ で 立たない と。

 

 じゃない と きれいなまま で かえれ ない。


「っっ──‼」


 いた い。


 もう いたみ が もどって きたのか。


 はいずり まわってでも いってやる


 よし やっと だ。


 もどって きた。


 おれ の いえ。


 もん の まえ。


 ──さん。


 ──さん。


 ──さん。


 たのむ おもい だして くれ。


 よばない と。

 な──ま──え。


「あかい、はな」


 ゆり、のはな。

 もん の まえ。

 ゆり が 咲いている


「──!」


 ゆり ゆり ゆり ゆり──!


「ゆり、さん──!」


 おもい だせ た。


「ゆり──っ! ──ぁぁ──、ゆり、さん」


 きて くれ。


 まど だれかが ああ さくら ちゃん だ。


「ゆり、さん」


 ゆり さん。


 おれ ちゃんとかえって きました。


 ゆり さん──ゆ、りさ──。


***


 エピローグ


 陽が落ちかけるころ。

 冬の季節。

 灰色の曇り空の下、商店街を歩く二人の親子。


 少年は思った。

 母のとなりで、母の手を握って。

 少年の、もう片方の空いた手を見て、自身の父親というのはどういうひとなのか。


 母を呼ぶ。


「ん、なに?」


 母は少年のほうへ顔を向けて、首をかしげた。

 その微笑みは、母性あふれる優しさがにじみ出ていた。


「お父さんが、どんなひとなのか?」


 少年は気になっていたことを、伝えた。


「──そうね。誰にでも優しくて、強くて、それでね」


 母はそっと息を吐く。白く染まる吐息。すぐに空気のなかへ消えていった。


「たすけて、といったらすぐにたすけてくれる──そんなひとよ」


 そっか、と少年は相槌をうつ。


「会うの、楽しみ?」


 少年は頷いた。

 そして、二人の親子はある坂を越える。

 その坂の向こうには、彼がいる。


 少年は籠からユリの花を一輪とって、彼へ届けよう──と考えた。


 母は言う。


「きっと、喜ぶわ」


 命の唄を歌うような、そんな弾んだ声だった──。


                        ──紅の雪花・了

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る