第24話

 真堂隆之は覚悟を決めた。


 服を着て、永井とも一時の別れを告げ、彼だけが屋敷に残った。


 すべての決着をつけるため。


 十年越しの、いやそれこそ、百年越しの決着をつけるためでもあった。


 真堂は書斎へ向かう。鍵はもうかけられていない。


 あの男に気遣われた、と思うと少年は少し不機嫌に眉をひそめた。


 境界線をまたいで、薄暗い血だらけの書斎へ踏み入る。


 独特かつおどろおどろしい雰囲気を漂わせている。


「よし」


 真堂は右手を拳に作り変え、それを腹へ打ちつける。


 それで自身に喝を入れた。


 真堂は一歩踏み出すと、そこからは早かった。


 壁沿いに置かれている縦長の二つの本棚。


 それらをそれぞれ左右に動かし、間を空ける。


 するとそこは壁ではなく、空洞が見られた。

 その空洞こそが地下室への入口である。


 これは前に永井から教えられていたことだ。


 真堂は行く前に深呼吸をしてから、と考えていたのだが、突然と余裕がなくなり、足で床を強く蹴った。


 それから階段を素早く降りていく。

 途中、転びかけたがなんとか体勢は立て直せた。


 これから憎き敵を戦うことに対する気持ち。


 百年越しの決着によろこびを覚えている自分。

 十年越しの決着に悲しみを覚えている自分。


 だが、それもすでに同化し始めている。

 分離していた二つの意識は、融合し、一つのものになろうとしていた。


 階段を下り終えて、眼前に檻が現れた。


 そこに、堂々と直立して、にやりと冷笑を浮かべている男が一人。

 真堂は拳を握りしめ、手のひらに爪が食いこんでいるのがわかった。

 それでも、やめない。目を細め、鋭い眼光で奴を見つめる。


「……いやはや、そこまで来ると君はもう完璧だ。

 私の好敵手としての完成は目前、といったところか」

「どういうことだ?」


 低い声で真堂は問う。


「ふむ。気づいていないのか? 

 それならいいさ。教えてやるよ。笑っているんだよ、いま君は」

「笑ってる?」

 

 真堂は唇の端に指を添える。

 するとたしかに、つり上がっているのがわかる。


「これは、問題だな」


 真堂はそれでも笑って、答える。

 真堂の血。その情報・記録・記憶は不明瞭なものばかりではあるが、頭のなかで整理すればおそらく全部有用に使えるものばかりだ。


 いま検索すべきものは、玄桐という一族についてだ。


 その情報・記録・記憶に触れる。

 突発的な頭痛。

 もうすでに脳は崩れかけているのがわかる。


 百年前の真堂と現在の真堂では、あまりに性能がかけ離れている。


 それを承知のうえで、少年は決心しているのだ。


 たとえこの身がほろびようとも、守るべきものを守れるなら、それで──と。


 ふと、彼は幼少のころを思い出す。


〝たすけて。〟


 あの言葉はたしかに彼を縛りつけるものだった。

 窮地に陥っている者に手を差し伸べる。その言葉は、つまりは絶対命令である。


 だが、いまはそんな悪いもののようには思えない。


 今度こそ、この言葉を清算できると思えば。


 なんてことない。むしろ良い機会チャンスだ。


「親父が、憎いのか? 本当に」


 真堂は尋ねてみる。


 あのときの妙な対応を見て、ずっとそれが気がかりであった。

 幽閉された借りを返す、という理由があまりにとって付けたもののように見えて仕方がなかった。


「……ああ。憎いさ」

「……どうして」

「私を殺さなかった。

 私の仕業だと気づいていたはずなのに、彼は最後まで優しい目で私を見ていた。あの目が、あまりに憎い……憎くて仕方がない……そういった意味では、君に似てるかもな」

「それは……」


 どうして、と言いかけたとき。


「君も、いままさにあいつと同じ目をしているからさ」


 それを合図に。

 玄桐は檻を爪で細きれにし、少年のほうへ駆けた。


 少年よりも一回り上の体躯。

 体格差でいえば玄桐の勝利だ。

 だが、そのうちに秘められた力の大きさでいえば互角──あるいはどちらかが上だ。


 玄桐が檻を壊してやってきたとき、真堂はどう対処すべきかを一秒足らずで考えついた。


 まず、この地下室のような狭い空間では戦闘をするのはリスクが高い。

 それには、彼──玄桐の持つ能力がどんなものか、まだ把握できていないからだ。


 それが遠距離特化型ロング・レンジ近距離特化型クローズ・レンジか。


 それを把握することが先決だ。


 真堂は後ろへ跳んだ。


 追われる形になりながらも、階段を駆け上っていく。

 駆ける、というよりも跳ぶ、のほうが近い形だ。


 やがて階段を上り終え、書斎へ辿り着く。

 後方には敵。血走った目でどんどんと迫ってきている。


 彼は書斎の扉にその身をぶつけ、破壊しながら開けた。


 廊下を駆ける。

 後方の奴は壁や天井を使って、こちらへの攻撃を仕掛けてくる。


 速さでは奴が上、ということがここで得られた情報だった。


 ──早い話、血に記録されたものすべてを利用すればいいだけなのだが、いまは生きて帰ることを第一に考えている。


 ある程度、自分なりに情報を得ること。


 それが真堂のなかで生まれた、絶対条件。


 改めて考察。


 玄桐の身体の構造について。

 彼の筋肉は、瞬発力重視の速筋がメイン。


 真堂自身も骨は軽く、出力をマックスにすれば十分な加速はできる。だが、あくまで真堂のメインは持久力重視の遅筋がメイン。


 速筋メインの彼に加速で負けてしまうのは、道理というものだ。


 廊下を駆け抜け、二階からロビーへ飛んでいく。


 軽々と床を蹴り、宙を舞う少年。

 それを追いかけるようにして、壁にクレーターを作りながらも右足で蹴って、少年の首を切り裂こうとまっすぐに飛ぶ。


 だが、高さで負けた。


 少年のほうは骨が軽く、そして筋肉の使い方を十分に熟知している。

 走ることより、跳ぶことに長けている少年に、玄桐が勝つことなどまずない。


 だが、高さで勝利をするつもりではないのだ、玄桐は。


 玄桐の保有する能力──それは血液の操作。

 彼の娘に同じ能力を保有する者がいるが、彼女とは比べ物にならない。


 血液の形状化。剣、短刀あるいは手や腕など。

 様々な形に変えることができる。形を得るだけではない、その機能さえも獲得できる。


 たとえば、爆散。もし血液が彼の身体に付着した場合、そこを爆散させ、彼の身体が四散することだって可能だ。


 玄桐には、少年のたくらみが手にとるように理解できている。

 彼はおそらく、こちらの能力を把握しようと広い空間へ移動したのだろう。


 ならば。


 こちらは速度スピードまさっている。

 つまりは把握される前に血液を付着させ、動きを封じることができれば──こちらの勝ちだ。


 真堂。


 高さではこちらが優っている。ならば上から攻撃を仕掛けるべき、と考えるのは当然の事。


 だが、なんだ、あの表情は? と少年は目を細める。

 宙を舞っているさなか、目に入ったのはにやりと笑う玄桐の相好であった。


 あまりに奇妙。


 裏に何かあるとしか思えない。


 思考をもう一度張り巡らす。

 たった一秒の思考。

 むしろ一秒では遅すぎる。


 ──まさか。


 きっ、と玄桐を睨む。


 縦軸の話ではない。

 横軸の話であった。


 遠距離からの攻撃はないため、よもや近距離特化型クローズ・レンジのほうだ、とそちらよりの思考でいたのが間違いであった。


 遠距離であるが故に、横軸の距離だけを狭めればそれで条件はクリアするのだ。


 ここで、負けるのか──?


 たった五秒以内に勝敗はつく。

 いや、すでに過ぎ去った一秒で勝敗は決まってしまったのかもしれない。


 なら──致し方ない。


 『記録』・『記憶』の部類に定め、検索する。


 九百年前の時代から培った真堂の体術。それだけは変化をせず、名称や正しい手順は知らずとも、その結果カタチは継承されている。


 だが、名称・手順を含め検索する。


 横軸の距離の打破。

 縦軸による必殺。


検索完了コンプリート


〝笑うのは、俺のほうだ──!〟


 目標のリセット。


 頭痛。──関係ない。


 血液に注意、と自身への警告。


 ぱりん、と頭のなかでガラスが割れる。──関係ない。


 距離を十分に近づける。


 ざわざわ、と脳内にノイズ発生。──関係ない。


 ──関係ない、本当にか?


 そんなの、


「応ッ!」


 当たり前だ。


 それぞれ形の違う回路を繋げる。真堂隆之の回路と、真堂一族の回路。あまりにアンバランスだが、それでも無理やりにつなげる。


 当然、そんなことをすれば死は目前へと迫ってくる。


 だが、少しでも拮抗するためにはこうするほかない。


 五秒。


 四、敵の相好を見据える。

 三、足先を彼に向ける・

 二、身体の軸を変更。

 一、脳の一部が死滅。再生不可能。


 そして、輝けし向日葵シャンデリアを背に、たった一瞬のうちに玄桐を地面にうちつける。貫かぬよう出力を調整。


 玄桐。

 一瞬のうちのことで、理解が追いつかなった。気がつけば、自身は床に落ちていて──そして、少年が目の前に降り立つ。


〝──、ハ〟


 眼前に立つなぞ、愚の骨頂。

 やはり愚かだ。

 愚かな一族。

 一瞬の隙で自身に消えない傷痕を残す。

 いつも、そうだった。


 玄桐は爪先を横一線に動かし、彼の足を断つ。だが再生は面倒だ。再生を防ぐ──そのためには、やはり形状化の流用。


 玄桐は立つ。


 ──毒。


 自身の手に牙を突きたて、傷をつける。そこからあふれる血を操作し、短剣と化し、毒素を開発。


 それを、少年の体内──つまり傷口を入口として利用し、体内へ侵入させれば、一時的に再生を止めることができる。


 あくまで一時的。だが、相手が致命傷を負った場合──たとえ一時的でも死に至る。


「──真堂──!」


 だが、先手を打たれていた。



 真堂。

 足を断たれ、まさに玄桐が上から攻撃を仕掛けようとしてきたとき──一秒という時間のなかで場合パターンを想定した。


 こちらは半吸血鬼という奇妙な身体ゆえ、足を断たれた程度で嘆くものではない。


 もう痛覚は遮断している。

 痛みという名の警告は、時に余計な判断材料となる。


 ──なら、彼が剣先を向けているのが、なぜ足の傷口なのか。


 それはつまり──。


 真堂は床に片方の手のひらをついて、逆立ちの形となる。腕を軸にし、身体を右方向へ回転させる。


 彼の身体を遠くのほうへ飛ばした。


 彼が遠くへ吹き飛ばされる際、短剣は血液へと還元され、床に舞い散る。


 再生が間に合い、直立も見事に成功。


 筋肉量もさほど変わっておらず、使い方や知識を改める必要はなさそうだ。


 玄桐が体勢を立て直し、こちらへ疾駆。

 休憩のつかの間。玄桐も、その気にさせるはないだろう。

 もとより少年もそれは承知の上。

 息を整える時間さえ惜しいものだ、と考えている。


 そこからは完全なる叩き合いだった。


 真堂──彼に至っては、もうすでに身体の崩壊が始まっていることに気が付いていない。いや、あえて気がつかないよう焦点をずらしている。


 玄桐──彼にはまだ奥の手、というものがある。もうすでに張った罠。先手を打たれていたのは、真堂のほうだ。


 玄桐がある壁に飛ばされようとしたとき、真堂はそれを防いだ。

 その壁が壊され、もしその奥へ玄桐が倒れていったら、それは、だめだと真堂はその一瞬のみ理性を取り戻す。


〝その壁の向こうには、──が大事に育てた花がある。それだけ、それだけは決して──〟


 もう、すでに真堂は永井の名前を忘れていた。同化──というより、浸食がすでに八割がた済まされている。


 そのぶん、真堂隆之としての意識……つまりは彼の記憶が犠牲になっている。


 そして、地雷を踏んだ。


 壁に散らばった血液。

 天井に付着した血液。

 床の赤いカーペットに深くにじんだ血液。

 四方に囲まれた。

 つまりは、結界のようなものだった。


 壁、天井、床。


 四方から剣、槍、刀、矢と形を変え襲ってくる。

 床から生えてきたのは、何本もの針。まさに針地獄であった。


 身体の機動性を生かして、すべてをよけようと努めるが、床に至ってはカーペットと同化しているあまり、それこそ〝地雷を踏んでいる〟とは気づけなかった。


 一歩、跳ぶように後ずさるが腕を一本持っていかれる。

 腕一本だけなら──と考えたのが甘かった。


 再生が間に合わない。

 どころか。再生自体、進んでいない。


 玄桐が嗤う。


 これが狙いであった、とみるべきか。

 紅色のカーペットを利用したトリック。


 真堂は心中で疑念を抱く。

 これは、敗北と見るべき、か──?


 再生機能が使えない、というのはあまりに不利だ。

 両方が保有していたものを、片方が欠けてしまえば、それこそ相性なぞ簡単に決まってしまう。


 負けた?


 負けたのか?


 これで、おしまいだというのか?


 ──ただの時間稼ぎにしか、ならなかった──?


 九百年の知識をもってしても、千年以上もの知識を従えている者とは、やはり格が違ってくる。


 知識量ではなく、知識の質で勝負と考えた自身が甘かったと見るべきか。


 まだ、負けるな。


 記憶が、蘇る。

 たったその一瞬。

 初めて彼女と出会った、あの日のことを。


 花に水をやっていた彼女。

 楽しいのか、と尋ねる。

 すると彼女は、〝きれいなものを見たいんです。〟と口にした。

 さらに尋ねる。

〝生き続ける。それは、わたしがこの世で最もきれいなものだと思っています。〟


「──あぁ──」


 そうだ。

 まだ、彼女には話していなかった。

 名前は思い出せない。けど、どれだけその考え方に憧れていたか──いつの日か、夜が明けるまで語って聞かせたい。


 ──だから。

 ──だから。

 ──だから。

 ──負け、られない。


 再生など不要。もとより時間などない。だが、それでも生きる方法を探せ。模索しろ。記憶のハコなどすべてこじ開けろ。加速、加速加速加速──!


 考えろ。

 考えろ。


 すべての情報・記録・記憶を利用し尽くせ。

 すべての構造・理念・道理を知り尽くせ。


 そのなかで、一から組み立ててやる。


 玄桐が迫ってくる。


 歩いて、寄ってくる。

 ──途中。彼の足が歪んで、肉がむき出しになったのを見た。

 回転、したように見えた。


 こちらがよろめいているから、と甘く見すぎだ。

 本当に、お互いさ──扱いきれてないよ。

 でも、こっちは扱いきれないなりに無茶してやるさ。

 構えろ。

 腰を低く。

 いつもやっていたことだ。

 だから、本領発揮には相応しい……!

 


 ──『極・一閃』──。


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