第22話 歪んだ憧れは正され──、


「執事さん」


 白河宗次郎ぼくを呼ぶ声。

 僕はロビーで清掃をしていた。


 そんなとき、僕よりも少し身長の低い、正直ちょっとだけ憎たらしい少年に声をかけられた。


 彼に名前を告げることはしなかった。


 彼は何か、大きな問題を抱えているように見えた。

 きっと彼一人では背負えないような大きなもの。

 そう感じたとき、なぜか名前を告げることに抵抗が湧いた。


「なんだい」

「お願いが、あるのです」

「またか」

「これが、最後のお願いです」


 僕は動作を止めて、彼に目を向ける。


 いったい何事だと思っていると、少年は思った以上に真剣な顔つきをしていた。


 目蓋を大きく見開き、ゆるぎなき瞳で僕の目を見据える。

 そっと、息を呑んだ。


「で、頼み事とはなんだ?」

「永井さん、白河さん、咲良ちゃんのみんなを守ってやってほしいんです」

「……きみ、これから死ぬ気なのか?」

「まさか。あくまで保険です」


 否定しているように見えて、否定していない。


 僕の知らないところでどうやら彼は彼なりに動いていたようだった。

 それでも滑稽だ。

 僕は名前を出されたうちの一人を守るどころか傷つけ続けていることに、彼は気づいていない。


「……正気か?」

「正気じゃないとしても、正気だったとしても、すべきことは同じです」

「そう、か」


 卑怯だ。


 咲良を置いて、どこかへ行くなど気が知れてる。


 だが、


 ──守ってほしい。


 そう言われて、なぜだか黒い気持ちが湧き起こらない。

 本来ならば僕はこの少年に殺されるべき化け物だ。

 だから、そんな僕が君から頼み事をされるなどあり得ないと思っていた。

 そう、予想外のことが起きて、それで僕は戸惑っているだけだ。


「本当に、あとちょっとだったのにな……」

「えっと、何がですか?」

「いや、なんでもないさ」


 少しだけ、あとほんのちょっとだけだった。

 絡まった糸をほどくことができたとしても、問題はちぎれた糸のほうをどう結ぶかだった。


 言ってしまえば。


 ほんの少しだけ何かが変われば、僕と君はきっと軽口をたたき合えるような仲になれたのかもしれないな……と、後悔している自分が滑稽に思えて仕方がない。


 守る、ということなら。


 僕は彼女らから離れたほうがよさそうだ。


 やがて、彼は一礼をして離れていく。

 どこへ行くつもりなのか知らないが、玄関を開けて外へ行ってしまった。


「──、ハ」


 笑えるな、これは。


 本当にまったく変わってない。

 手に届くものすべてを守ろうとするから、死んでしまうんだよ、君は。

 いざとなれば見捨てればいい。

 見捨てて、逃げてしまえばいい。


 そうすればいいのに。


 そうしないから、僕は君が憎い。


 そして、僕も僕が憎い。


 見捨てて逃げかえっていく君の姿を見るのは、すごく嫌だと感じてしまった僕が、あまりに憎い。

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