第16話

 屋敷に帰り、俺はすぐにあの執事のもとへ向かった。


 やっと、思い出すことのできた十年前の想い。


 執事のひとはなぜそれに気づいてほしかったのかはわからないが、俺はこれを利用して、あることを実行しようと考えていた。


 執事のひとは、食堂でお皿を並べていた。


 そのひとに食事のあとで話がある、という旨を伝えて、俺はその後執事としてバイトをこなした。


 もちろん、永井さんとは気まずくて話せずにいた。


 食事の時間が終わったあと、俺はすぐに執事と顔を見合わせてこくりと頷いた。 


 すると執事のひともわずかに頷き、お互いに食堂を出て、執事のひとについていった。


 二階西棟のほうへ行き、ようやくたどり着いたのが執事の自室とおぼしきところ。


 そこではソファに俺が座り、一つの椅子に彼が座った。彼がそう促したのだ。


「咲良のこと、思い出したんだね?」

「ええ。彼女は、俺の初恋のひとでした」

「……ああ、そうだ」


 一瞬、彼の黒い瞳が揺らいだ。


「そのとおりだ。そのうえで、僕から真堂くんにお願いがある」

「なんですか」


 この頼み事によっては、俺が指定する条件とは割が合わない可能性がある。

 それでも提示してみるが、条件を呑んでくれるかどうかはわからない。


「咲良のことを、支えてやってほしい」

「?」


 割に合う合わない以前に、彼が提示してきたお願いごとの内容がわからなかった。 


 いったい何を望むのか、これを言うための条件を指定してきた時点で、意味がわからなかった。


 だから本当に何を言ってくるのかはわからなかった。


 それが、予想以上にわからないものだった。

 それにおかしい。

 なぜ執事の身分である彼が、主人である咲良のことを呼び捨てにするのか。

 敬称をつけないことからすでにおかしい。


「それは、俺がやらなくちゃいけないことなんですか」

「……ああ、そうさ」

「どうしても、やらなくちゃならないことなんですか?」

「もちろん」


 なら、この条件を出してやろう。


「それには、条件があります」

「──な。こほん、なんだ」

「俺と協力関係を結びましょう」


 眉根にしわを寄せ、体が前のめりになる執事さん。


 あり得ない、とでも言いたげな顔だった。


 そんな状態が数十秒も続き、そのあいだもずっと彼は無言で、嫌悪感むき出しの顔になったり仕方ないといった顔になったりと忙しいひとだった。


 だが最終的には嫌悪感むき出しの顔になり、


「わかった」


 と仕方ないとでもいうような、呆れた口調でつぶやいた。


「ありがとうございます。で、さっそくあとから協力していただきたいのですが」

「なんだ?」

「深夜十二時ごろ。部屋を抜け出してください。それで掃除用具を持って、ソウ爺──えっと、白河宗助の書斎のドアの前で掃除をしてください」

「は?」

「フリ、だけでいいんです。要は見張りなんですよ」


 見張り、と彼は首をかしげてつぶやく。


「──まさか」


 だがすぐに気がついたようだった。


「やめたほうがいいぜ。あそこは、」

「わかっています。俺、一度入ったことがありますから」

「……そうか」


 そのあと、俺はすぐに執事さんの部屋から離れた。


***


 消灯時間を過ぎてから二時間が経過した。

 そう、いまがまさに深夜の十二時。

 今日と明日の境界線をまたいだとき、だった。


 俺はすぐに部屋を抜け出し、足音を立てぬようつま先だけで歩いていった。

 この時間帯にはもう使用人は仕事を終えて寝ている。

 俺が執事というアルバイトをしていたからこそ、早々に知ることのできた事実だ。


 きっと書斎の前で掃除をしているはずだ。

 二階東棟へ足を運び、書斎の前へ着く。

 そこには案の定、執事さんがせっせと掃除をしていた。


「ばれても僕は知らないからね」

「もちろん。ちなみにばれてもばれなくても、約束はお守りします」


 この日記の続きによっては、咲良ちゃんだけじゃない。

 白河家全員を支える──どころか助けなくちゃいけないことになる。


 書斎には鍵がかけられていたが、執事さんはそのことを知っていたらしく、それを開けるための鍵を持ってきてくれていた。


 その鍵を鍵口に挿入し、半回転させ、ドアノブを回し書斎へ入る。


 あの日記があったはずの引き出しのほうへ手を伸ばし、開ける。


 そう、そこに──ない? 待て、どうして。

 〝ソレ〟がないなんてことは……いや、すでに先手を打たれていたということか。


「そりゃ、そうだよな……」


 解っていたとも。


 そんな予感はしていたが、ほんと、嫌な予感ほど当たるというのはよく言ったものだなと苦笑をもらす。


 また見られるかもしれないと危惧するのは、誰だって同じだ。


 俺が永井さんの立場だったら、たしかに鍵をかけるし、そのうえの保険として日記をまた別の場所に移す。


 とはいえ、なかったとしてもあの執事さんが損するわけじゃない。

 だからなくても困ることはない……だが、あそこには重要なことが書かれてある。


 ここまで来たら、ただの好奇心では済ませたくない。


 大きな世話かもしれない。


 本当に余計におせっかいだろう。

 でも、永井さんがもしこれに縛られているのだとしたら──俺は、彼女を解放してやりたい。


 俺は部屋をあとにし、執事さんと合流する。


 そこでふと思ったのが、「咲良を支えてやってほしい」ということの真意がわからなかった。


 それについて、俺は彼に尋ねた。


「……詳しいことは、この場では話せないが」


 と、彼が事情を話してくれた。


 それは、咲良の過去のことだった。


 俺は失語症にでもなったみたいに言葉を失い、唇をぱくぱくと動かすことしかできなかった。


 だが、もっと気がかりなのは執事さんから見た、白河涼子という人間の印象だ。


 たしかに執事さんから見たとき、まさに極悪非道、それで男嫌いというだけで彼が話した〝息子〟つまり宗次郎さんを傷つけ、娘を暴力団へ売るなど、いいところななんて一つもない。


 だが、それを仕方ないと思わせる背景が彼女にはあったのだ。


 想い人がいた彼女が見合いをした相手──玄桐という男に、すべてを壊された。


 見合いを断った瞬間に家族や使用人などの親しかった者たちがすべて殺され、おそらく想い人とも別れさせられたのだろう。


 そのうえ、その化け物とのあいだで望まぬ妊娠が発覚した。


 ほぼ洗脳や催眠という手法で思いどおりにさせられたと見るべきだ。


 化け物との子供──つまり、その子供たちをも敵視してしまった。あり得ない心理ではない。


 つまり、そのことが要因して宗次郎さんや咲良ちゃんが多大なる被害を受けたのだろう。


「執事さん」

「ん?」

「……きっと、この家は呪われているんだ」

「だろうね」

「俺は、この家に棲む呪いを解こうと思っています」


 ただ一言、俺はそう言った。


「おい、誰か来たぞ」


 執事さんがそう言い、逃げるぞと俺の手を引いた。廊下の奥に光が見える。そして、光により鮮明に切り取られた輪郭は──永井さんと似ていた。


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