第14話
夕暮れになり、アスファルトがオレンジ色に滲むとき。商店街では、この時間帯がいちばん人が多いのだと永井さんは言った。
俺がなぜこうして買い物に付き合わされることになったのか、それは単なる荷物持ちらしい。
両手には食材や飲料水、その他諸々が入った買い物袋。
永井さんはまだ何かを買うつもりなのか、下唇に指を添えながら、店を回って検討している。
「永井さーん、まだなんですかー?」
「もう少し待ってて」
「それ、一時間前にも言ってましたよね……」
もう少しどころの話ではないのだ。
「だいたい、商店街で買うものなんですか? うちって」
白河家はあの立派なお屋敷からもわかるように、名家なのだ。
そんなひとたちが、商店街で売られているような食材で満足するとは思えない。
現に実際に出てくる料理はどこか小洒落ているし。
「これでもけっこう満足するわよ。紅子お嬢様なんか、たまに一般家庭風の料理を食べたいとおっしゃられるし」
「……そ、そう……ですか」
白河さんの名前が出たとき、今朝のことが蘇り、頭が痛くなる錯覚を覚えた。
「まあ、ジャンクフードとか食べたことはないらしいけど」
「まあ、食べる機会とかないんでしょうね」
それから十分ほどで買い物は終わり、俺と永井さんは帰路についた。
夕暮れを背にし、白河邸へ向かう。
この先数メートルに位置する、あの坂──通称、白河坂を上ると思うと両手の荷物を離したくてたまらなくなる。
「──」
「──」
お互い、帰り道で言葉を交わすことはなかった。
俺としては非常に気まずいのだけど、永井さんはそうでもないらしい。
それが、少し悔しい。
なんだか、そう。
あたまに、くる。
「永井さんは、」
「ん?」
「恋人とか、いたことないんですか」
努めて、冷静に。
今朝の夢など思い返さずに、自分の気持ちに従って。
「え?」
「……」
なんでもない、はなしと俺は決めていた。
だから彼女が答えるまで、俺は一言もしゃべらないことにしていた。
「そ、そうね……まあ、そういうひとはいた、かな」
「……そ、そうですか」
さらにあたまにくる──けど、仕方のないことだと思う。
そう諦めていたとき、その言葉が妙なことに気がつき、俺は問う。
「過去形?」
「うん。まあ、そのひととは今も関わることがあるけど……あのひとは、もう私に興味なんかないと思うから」
やった、と思う俺。
だが、涙目になり顔をうつむかせる彼女を見ると、素直に喜ぶことははばかられた。
「どうして、」
「え?」
「どうして、私にそんなことを訊いたの?」
永井さんは立ち止まって、曇りない眼で俺を見つめて、はっきりとした声でそう問うた。
俺は「あ、え……」と少し戸惑った。
だが、ここは千載一遇のチャンスだとぱっと頭のなかに広がっていた曇りが晴れた気分になる。
「それは、」
「私が好きだから?」
「永井さんが好きだから──って、え?」
「……」
やっぱり、そうなんだ。
永井さんは唇をわずかに動かして、そうつぶやいていたのが聞こえた。一粒の雫が目じりから流れていく。
「ごめんね」
「ぇ」
「だって、そうでしょう。たった数日の付き合いだし、そんなすぐに好きって言われたって遠慮しちゃうよ」
「そんな……」
「そんなこと、あるから。なにより私には信じているひとがいるし、愛してはないかもしれないけど、それでも好きなひとだっている。だから、ごめんなさい」
「……」
そんな、そんな涙を流しながら言われたって、説得力ないよ永井さん。
たった数日の付き合いでそこまで涙を流すあなたもあなただ。
「おねがい、わかって?」
俺は、無言で頷いた。
「それじゃ、荷物代わるね。私、先に行くから」
そう言って、俺の両手から買い物袋を奪い去ってしまった。
最初からその背中は小さかったけど、みるみると彼女が先へ行くたび、さらにその背中は小さくなっていき、やがては消えていった。
「……やっちまった」
歩道のガードレールに手をついて、空を仰ぐ。
朱色の空。いくつかの雲が部分的に朱色の
「うわきもの」
「うわっ⁉」
声がしたほうへ顔を向けると、そこには見たことのある少女──制服姿をまとった咲良ちゃんがいた。
白を基調とした服装で、胸元には赤いリボンがあった。
「もしかして……さっきのやつ、ぜんぶ聞いてた?」
「まあ、そうですね」
「盗み聞きとか趣味悪いな」
「姉さん差し置いて他の女性に告白するなんて趣味悪いですね」
「う……」
耳が痛いな。
「……そうだな。白河さんに悪いな」
「それに。噂によれば姉さん、教室で泣いていたらしいですよ。それでもう男子も女子も大騒ぎ」
「──そんな、ことが」
「何かあったんですよね、真堂さんと姉さんのあいだに」
何かあった、どころではない。
俺は彼女の誘いを一方的に拒絶したどころか、殺しかけた。
殺意丸出しで首を絞めてしまった。本来ならば、泣くだけではすまない。
「まあ、何があったかなんて聞きませんけど。それより何があったんですか?」
「結局訊いてるじゃないか」
「いえ、姉さんのことではなく」
あ、ああ……と俺は頷く。
途端に心が重くなる。
どうしようもない無力感に囚われ、自己嫌悪にまみれてしまう。
「何があった、なんて咲良ちゃんが聞いたとおりだよ。俺は、ふられた。当たり前だけどさ」
「ふられた……ねえ」
「なに、その含み笑い」
にやにや、と口角を吊り上げながらこちらと視線を合わせている。
どちらかというと、呆れているように見えた。
「あれをふったふられた、と思うのは二人だけですよ」
「そう、なのか?」
「とくに永井さんはそうだと思います。ふるなら、自分を追わせないために足跡なんか残しませんよ」
俺はよくわからなくて、首をひねった。
「つまりは、どういうことだ?」
はぁ、と咲良ちゃんはため息をつく。「鈍感脳筋め……」
「え?」
「つまり、永井さんは真堂さんのこと、好きだっていうことですよ」
「は? そんな馬鹿なこと──」
あの、涙で濡れた瞳を思い出す。
「あると思いますよ、そんな馬鹿なことが」
「……でも、あのひとは好きなひとがいるって言ってた。それが本当なら、俺がそのあいだに入るなんてこと、できるわけがない」
「あれだって、はったりの可能性が高いと思います」
「はったり、だって?」
苦笑する。あまりにそれが噓くさくて、どうしようもないほど笑えてくる。
ただ単に怖くて踏み出せないという自分に気づかないために、俺は苦し紛れに笑う。
「ええ、嘘ですよあれ。あんなの、隙だらけです」
「……」
「もし、もしですが。永井さんのことが本気で好きだというなら、姉さんをちゃんとふってやってください。じゃないとまた学校で泣いて、妹である私が大恥かきますし」
「そう、だな」
そうしないと、本当に白河さんに悪い。
彼女はあまりに不遇だ。俺はずっと、彼女を振り回しっぱなしだ。
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