第11話

 ベッドに腰をかけ、永井さんに訳を話した。


 すると彼女はすぐに食らいついてきて、もっと詳しくと俺に迫った。

 そのとき顔が近かったため、多少動悸が速まったのを鮮明に覚えている。


 そのときに、この気持ちに対する不安と期待が現れた。


 この気持ちをはっきりと言葉にすること。それを俺は恐れていた。だが同時に、はっきりさせることで彼女への想いが強まるということを期待していた。


「……頭痛直前に、退魔の祖、ということについて思い出していたんですね」

「はい。まあ、それが関係あるかどうかはわかんないですけど」

「真堂君」


 はい? と俺は首をかしげる。


「そういった、突然と増えた知識については触れないほうが安全です。

 それを無理やり思い出してモノにしようとすると、脳が暴走を起こして廃人になりかねません」

「え? どういうことですか」

「それはつまり。あなたのなかに流れる真堂一族の血の情報・記録・記憶が一気にあふれかえったということなんです。

 本来ならば目覚めることのないものですし、現在いま真堂あなたにはそれをすべて包容するほどの力はない」


 頭のなかには疑問符しか浮かばないのだが、つまり俺には荷が重すぎる、ということか?


「血液というのは地続きの道のようなものなんです。受け継がれていくたび、道は新しくなり、そして同時に歩んできた道はなくなっていく。

 ですが、消えたわけではありません。むしろずっと残り続けるんです」

「は、はあ……」

「まあ、わかりませんよね。要は〝退魔の祖〟という主軸に関わる情報には一切触れないこと。いいですね」

「もちろんわかりました。けど、」

「けど?」

「なんでいきなりそんなものが目覚めたんですか?」

「え……と」


 なんだか怪しい反応。顔を背けて、わざと俺から視線をそらしている。さっきまで俺と目を合わせて会話していたのに。

 これは何か知っているな?


「まあ、とりあえずそういうことです」

「そういうこととはどういうことでしょう」

「こういうのはフィーリングです。感じるのです」


 うんうんと頷く永井さん。俺は眉をひそめ、目を細める。さっきから俺の視線から逃げているように感じる。まあ、だからといってこの人から無理やり何かを聞きだしたいというわけでも──ああ、そうだった。俺は前科持ちだったな……。ならなおさら無理だ。


 にしても、


「敬語、抜けてませんね」

「え。ああ、まあ今はバイト中というわけでもないので。ご主人様と同等です」

「でも、真堂〝君〟って」

「……まあ、それはむかしからクセです」


 そうだったっけ。

 むかしはあまり永井さんとは会話をしていなかったと思うから、そういうのはよく覚えていない。だが、真堂君と呼ばれて違和感がなかったのは、つまりはそういうことなのだろう。


「今夜はゆっくり休んでください。いくらしばらく学校がお休みだからといっても、生活リズムを崩すのはよくありません」

「はい、もちろん」

「でも、明日からもアルバイト続けてもらいますからね」

「そりゃあ、もちろん!」

「……」


 あれ、俺は何か変なことを言っただろうか。

 永井さんが何度か瞬きをして、眉根にしわを寄せている。


「どうしたんですか?」

「い、いえ。そんな元気よく頷かれるのは、心外でしたので」

「そう、ですかね? いや、けっこううれしいので」

「うれしい? ただ働きなのにですか?」

「え。だって、永井さんと仕事できるのはすごくうれしいことですから」

「ばっ……! そ、そういうことは言わないでください! もぉ、まったく心臓に悪い……」


 そう言って、顔を赤らめて口元を隠す仕草は、最高に可愛いと思ってしまった。


***


 ──ぴたり。


 天井から落ち続ける、黒薔薇のかけら。地面にぽつぽつと落ちてくるその様を見ると、どこか切ないと感じてしまった。


 空虚な日々。何もない、怠惰なる第二の人生。第二の人生、といえばと〝彼女〟の顔が脳裏にかすめていった。そう、彼女も自分と同じ穴のむじなというわけなのだ。


「アア──」


 ふと声を出したくなった。今日は一度たりとも声という声を出していなかった。朝、昼も彼女は自分に食事を運んできてくれたが、なんだか今日は気分が悪く、口を利きたくなかった。


 ……いや。


 今朝、彼女の顔を見たときからずっとだった。ずっと、この調子であった。これでもすでに歳を重ねすぎたというのに、そんな自分にまだ「青」が残っていた。


 一言で言うならば、彼女はどこか楽し気だった。彼女は自分と会うこと、自分に食事を届けることに楽しさを覚えていたはずなのに。あの顔は、自分と会うときとはまた別の顔だった。


 嫉妬、か。


 何者かわからない。それこそ、〝何者〟ではなく〝何物〟なのかもしれない。今日はなにか彼女にとって心躍るような出来事が待っていて……ただ、それだけだったのかもしれない。


 それでも、このじわじわと湧いてくる「青」は止まらない。


 ──とんとん。


 彼女が、食事を持って階段を下りてきている。足音が大きくなるたび、「青」は風船のように増幅し、面積を拡大していく。心を侵食し、「青」色に染め上げる。


 爪を立てる。牙をむく。目を細める。眉間にしわを刻む。脳が揺れる。奥歯がガタガタと鳴る。背筋が凍る。背中に百足が這っているかのよう。脳漿は沸騰し、眼球は飛び出そうになる。


 自分のモノにしなくては。


 しばらくは我慢していたかった。自分としても、彼女との関係はプラトニックはものでいたかった。──尤も、もとよりそんな純粋なものではなかったが。


 彼女がやってくる。

 檻のなかにプレートを。

 彼女の腕をつかむ。

 こちらへ引き込んで。

 あとはその華奢な少女らしい肉体に自分という傷を残すだけ。

 女は、ひどくかなしそうであった。

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