第3話
声が、聞こえる。
苦しそうな声だ。
吐息交じりの、切なそうな声。
手足に何かが絡みつく。下腹部辺りに何者かの体重を感じる。はぁはぁと興奮しきったような息が顔に吹きかかる。
ふと目を開けると、女が乗っていた。
声を出そうにも、声が出ない。言葉を失うというより、声を失った。
唇に柔らかな感触。下唇を軽く嚙まれ、ふふ、という笑い声。次に首筋に生温かい感触が広がっていく。
女は艶のある唇を押しつけ、ときに舌を絡ませながら、ゆっくりとなぞるように触れる。曖昧な感覚が頭のなかに広がっていく。麻薬的な快感。何度でも味わいたい、と本能が叫んでいる。
女はまた笑う。
俺もその女のウエストラインに沿って指を這わせて、やがて彼女のその部分に軽く触れていく。
──なんて、悦び。
ならば。
俺はこの時を、楽しむべきだ。
* * *
朝。目覚めて直後のこと。
「な、なんだったんだ……あの夢……ハッ!」
毛布をばっとどかせて、最低最悪な事態になっていないかどうかを確認する。
結果。
……セーフ。
夢精を心配していたのだが、そんなことはなかった。べつにどこも濡れていない。
しかし、どうも今の夢はどこか鮮明だった。あの感覚も、……その、まあ妙に生々しくて……いや、だめだそんなことは考えるなバカヤロー。
「でも、よかった。この歳になって夢精は引くからな……」
俺はベッドから離れて、朝食を済ませ、部屋へ戻る。
登校の準備をある程度まで進めたところで、突然頭のなかに昨日のことを蘇った。白河さんが永井さんを──いやいや、あれはきっと何かの見間違いだろう。それなのに俺は……。
俺はベッドの横に置いてあったゴミ箱を見て唸る。
ぐちゃぐちゃに折られたティッシュの塊がそこに捨てられており、アレを見たあとのことも頭をよぎる。
俺は……本当に何を考えてんだ。
額を叩いて、はは、と苦笑する。ここまでくると笑うしかない。笑って済ませたほうが、俺にとっては一番の慰めになる。
部屋を出て、玄関へ向かう。
もう朝食は済ませてある。そのときも白河さんと永井さんがいた。まあそれは当たり前のことなんだけど、やはりどうしても彼女らの姿を見てしまうと昨日のことを思い出してしまう。
玄関を開けて、少しばかり長い道のりのすえ、門にたどり着く。門を越えて、外へ。学校へ向かおう。
同時に。
たしかに俺は──真堂隆之は
正直、怖かった。
手の震えが、止まらなかった。
高鳴る動悸を制御できないと知ったとき、この感情に終わりがないと知ったとき、どくどくとあふれてきたのだ。
そんなことを考えていると、もうすでに学校に着いていた。
空を仰ぐと、灰色の雲が覆っている。やけに今日は寒い。いつもよりも手の震えが止まらない。自分のなかに獣がいるのだと思うと、どうしても……。
思えば。
なぜ白河さんは血を吸っていたのだろう。
なぜ永井さんは血を吸われることに抵抗しないのだろう。
謎は深まるばかりで、でもそれを知る気にもなれない。むしろ、知りたくない。
俺はあの二人を、どういう目で見ればよいのだろう。
まだあまり人が来ていない教室に着いて、自分の席に腰をかけてからも同じだった。
忘れようと思っても、次第にその記憶は自分のなかに強く刻まれていくのだ。授業を真面目に聞いていても、途中でまたそれを思い出す。
くどすぎる。
どうすればこの雑念を捨て去ることができるのだろう。
ここ最近の俺は、どうも考え事が多すぎる。
もう少しガス抜きしたほうがいいな、これは。
俺はそこで、しばらくあの人を見ていないことに気がついた。
黒岩真奈美。
オレンジ色に染まっていた歩道をともに歩いた、あの少女のこと。
学校に来ていないのだろうか?
風邪でも引いたのだろうか?
頭のなかに彼女の顔を思い浮かべる。頬を赤く染めて、寝台の上で辛そうに咳をしている彼女の姿を思うと、少し罪悪感が湧く。
もう少し早く思い出して、お見舞いにでも行ったほうがよかったな。
今日にでも行ってみるか。
俺はそう決心すると、始まりを告げるチャイムが校舎全体に鳴り響いた。
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