第25話

 咲良は、その姿を見て驚いた。

 その人物は腕をナイフで傷つけ、そこからあふれてきた血液を、長剣や短剣に作り変え、それを宗次郎へ向けている。

「……お姉ちゃん?」

 咲良の姉──白河紅子が、そこにいた。

 咲良が宗次郎とともに屋敷から出ていくところを目撃していた紅子は不審に思い、こうしてつけてみれば──案の定、というやつだった。

「紅子……なんでお前が」

「愚問ね。姉は妹を守るものなんだから、当然じゃない」

 その言葉を聞いて、咲良は胸のうちがわが熱くなるのを鮮明に感じた。

「……は、はは。そうだよなあ、姉は妹を守るもんだ。──でも、まあ。兄と妹との関係はさすがに僕も知ってるぜ」

「へえ、そうなの。言ってごらんなさいな」

「殺し合う。そうだろう?」

「ええ。あなたとの関係性はそれで十分説明できるわね」

 長剣、短剣の切先は宗次郎へ。

 宗次郎の視線が、頭部へ──その瞬間、宗次郎の身体に何かが突き刺さる。

 痛みにあえぐ宗次郎。そう、そのときにはもう宗次郎に向かって短剣が飛んでいた。負傷した部分は、両足。姿勢を崩す。

「……は、お前のソレ……なかなか厄介だな」

 しかし、宗次郎の〝回転〟はすでに作動している。姿勢は崩れたおかげで的はずれたが、その代わり、〝回転〟を胴体へ仕掛けることができた。

 五秒後。

 紅子の胴は右方向へ回転していく。血があふれ出す。紅子は苦悶の声をあげていたが、そんなものは二回転したあとには消え失せた。

 そして四回ほどまわったあと、紅子は後ろへ倒れ込んで、そのまま動かなくなった。

「……あっけなかったよなあ、咲良」

 宗次郎は咲良のほうに視線を移す。きっと絶望の表情を浮かべているだろう。目を涙で濡らし、口は半開きで、数秒後には「お姉ちゃんっ!」と叫んでいることだろう。──それを思い浮かべると、胸が痛くなることは、この際どうでもいい。

 しかし、宗次郎は咲良の様子を見て、細い眉を上げ、瞼を大きく上げた。

「……おい、なんで……」

 なんで、平気でいられるんだ、咲良?

 そう心のなかでつぶやいた。

 咲良は紅子を見て、何かを待っている。

 まるで──まるでそれでは、紅子は生きているような目じゃないか。

 そう思った次の瞬間、風が吹いて、宗次郎の全身に当たる。同時に宗次郎の全身に、血で作られた長剣、短剣の刃が突き刺さる。

 彼はその不意打ちに耐えられず、うつ伏せで倒れてしまう。長剣、短剣は突き刺さった瞬間、液体へと戻り、地面に付着する。

「──兄さん」

 彼を呼ぶ声。

 それは決して咲良のものではない。

 胴を曲げられたはずの、紅子のものだった。

「才能、なんて言葉は嫌いだけれど──兄さんより、わたしのほうが優れているということは、知ってるかしら?」

 紅子は、一族のなかでも最高傑作に近い、そんなことを誰かが言っていたことを彼は覚えている。

 それは単純に人間としての才能ではなく、もう一つの、『鬼』としての才能なのだろう。

 紅子の再生能力は白河家の歴代当主の誰をも超越している。心臓を完全に潰さないかぎり、紅子が死ぬことは、絶対にない。

 唯一、紅子を圧倒するものがいるとするなら、それはあの少年だろう。


 言ってしまえば。


 白河紅子の天敵は、真堂隆之なのだ。


 紅子は歩く。宗次郎のもとまで。

 

 宗次郎は紅子をじっと見ている。

 彼の額には汗がにじんでいる。

 歯ぎしりを繰り返しては、奥歯が砕ける。

 頭痛。頭痛。頭痛。

 生きたいという願望。

 殺したいという切望。

 

 宗次郎は、紅子の胸の先にある〝モノ〟を視た。


 その形が明らかとなる。

 その輪郭が、浮き彫りになっていく。


 幻視、する。

 これこそ宗次郎が最後に目覚めた能力。


 紅子の胸。そのなかにある、心臓。


 宗次郎は、それを捉えた。


 宗次郎の目が光る。

 作動、開始。

 発動まで、四秒。

 空気が乱れる。

 発動まで、三秒。

 回転軸は右方向へ。

 発動まで、二秒。

 磁界のように現れるリング。

 発動まで、一秒。

 全行程──終了。

 発動。


 紅子は、宗次郎の目が光った瞬間に、異変を感じて後方を下がったが、そのころにはもう遅い。

 心臓が、ねじ曲がっていく。

 胸の奥が締め付けられ、この世のものとは思えないほどの激痛が、紅子の脳をマヒさせる。

 唇から大量の血を吐く。

 心臓は、四回ほど、回転していき、歪な形へと変わり果てた。

 紅子は倒れた。

 今度こそ、再生することなく。

「お、ねえちゃん?」

 さすがの咲良も不審に思った。

 咲良は、紅子のもとへ駆け寄る。

「……無駄だよ? そいつの心臓はもう捻じ曲げちまった。再生することはもう、ない」

 咲良の顔が真っ青になる。

 自分のせい。

 自分のせいで、お姉ちゃんが。

 紅子の身体をゆさぶるが、答える様子は見られない。

 そこで考えた。自分の能力で、紅子の心臓の傷を消せばいい。そうすればいいのだと。

「……咲良、君ならたしかに紅子を蘇生するができるかもしれない。けど──その前に僕は、君を殺すよ」

 優しい微笑み。

 冷笑でもなく、嘲笑でもない。

 兄が妹に対して向けるような、優しいものだった。

 

 宗次郎は咲良の顔をじっと見ている。

 あとは作動させるだけでいい。

 もうこの瞬間で決まる。

 これで、いいのだ。

「くそ……なんでこんなときにっ……」

 目の前の少女が死ぬことを、恐れてしまっている。

 視界が歪む。鼻の奥がつん、となる。きっと涙があふれてきたのだ。これでは、咲良の頭部に狙いをつけれない。

 もし、咲良とは兄妹としてではなく。

 別々の家で生まれたのであったら。

 こんな歪み方はしなかった。

 ──それは、違う。

 この白河咲良に対して恋をしたのではない。あの、ぼろぼろの状態であった咲良に、彼の心は大きく揺さぶられたのだ。

 つまりそれは、咲良と宗次郎が、白河家の兄妹として生まれてこなければ、こうして恋愛感情が芽生えることはなかったということなのだ。

 宗次郎は涙をぬぐい、咲良を直視した。

 宗次郎の目が光った──しかし、咲良の前に誰かが立っていた。

「──どこまでもお前は、僕のまえに立ちふさがるんだな」

 宗次郎にとっても、咲良にとっても、その少年はヒーローと呼べる存在であった。

「どうして……! どうしてだ……! 僕はお前を認めたくない。僕はお前を殺したい。僕にとってお前は邪魔で邪魔で邪魔で仕方ないはずなのにっ……!」

 どうして、僕の願いどおりに現れるんだ、と心中で叫ぶ。

「宗次郎さん」

 その少年は、彼の名を呼んだ。

 嘘偽りのない敵意を、彼に向けて。

 そしてその瞬間、少年の左腕が回転した。

「今ので、わかったよ」

 そう、少年のなかには敵意がある。しかし、少年はそんな敵に対して、優しい瞳で見つめている。

「ずっとあんたは苦しんでいたんだ。自分のなかに、どうしようもない迷いが生じて──それで、本当の本当にどうしようもなくなったんだ」

 それは、宗次郎にとっては不要なもの。

 ただ咲良の前に立って、自分を打ち倒す存在を、求めていただけだ。

 そんな目は、いらない。

「うるさい……うるさいっ……うるさいんだよっ……! 一つ言ってなかったことがある。これならきっと、お前は僕を憎しみのままに殺してくれる」

 宗次郎は血を吐くような想いで、次の事実を言葉にした。

「僕が──お前の友人の、黒岩真奈美を鬼にしたんだ。僕のせいなんだよ、僕が全部悪いんだよっ……!」

 たしかな手ごたえはあった。

 少年の目はきらりと光り、その鋭い眼光を狂人へ向けている。明確なる殺意だ。

 だが、それでも少年は言った。

「ああ。もちろんそのことを許すつもりはない。あんたは大勢の人を殺した。咲良も、白河さんも傷つけた。その罪は償ってもらうぞ」

 それでいい、と宗次郎は言った。それならば、自分も躊躇いなく君を殺せる、と宗次郎は胸中でつぶやく。

「でも、これだけは言いたい」

「えっ……?」

「あんたは、それでも妹を救おうとしたじゃないか」

 それは、予想もしていなかった言葉だ。

 それは同時に今の宗次郎にとって不要な言葉だ。

「そうじゃなかったら、どうして俺に『妹の支え』になってほしいと言ったんだ?」

「……知るか、そんな……そんなことは」

「そう、知らないうちにあんたは妹を救おうと考えていたんだ。それは、あんたに残された『兄』としての感情なんじゃないか」

「黙れ。もう黙ってくれ」

 少年はそれでも、彼を見つめる。

「あんたは、救われるべき人間だ」

 少年はそう言ったあとで、自分の身体がそろそろもたないことに気が付いた。

 左腕はもう使えない。感覚もないし、再生することもない。

 彼はもう人間なのだ。こんな傷を負ってしまえば、もうそろそろ意識が消滅してしまう。

「でもあんたは同時に、償うべきツミビトでもある。法で裁くこともできない。だから、生かすことはできない」

「ああ、覚悟している」

 白河宗次郎は腕を広げ、「さあ来いよ、ヒーロー」と少年に告げている。

 少年は構えた。確実に心臓をつぶすつもりでいる。

「惜しいな」少年は言った。それに対し宗次郎は「なんでだ?」と訊ねる。

 少年はだって、と続けて言った。

「きっかけが変われば、俺とあんたは生涯の親友になれたかもしれなかった」

 それはもう、叶うことのない願望でもあった。

 少年は宗次郎を好いていた。

 同時に宗次郎も少年を尊敬し、好いていた。

 何も歪みなく、面倒な絡み方さえしなければ、たしかにこの二人は──お互いを信頼し合う親友になれたはずだった。


 ──瞬間、少年は駆けた。

 ──彼は、腕を広げたまま。

 ──少年は、最後に涙を浮かべて、彼の胸に拳を叩きつけた。

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