第13話 少年は紅い少女に笑顔を向ける。

 「紅子!」


 永井さんを置いて、俺は紅子の部屋へとやってきた。


「……あれ、タカユキ……」


 弱々しい声。

 昨日までの彼女とは全く違っていて、まるで病人のようだった。


「いったいどうしたんだ?」


 彼女はベッドで横になっている。横には大きな容器に氷水が入っており、それに濡れたタオルが紅子の額に載っていた。つまりは熱を出した、ということだろうか。


 俺は彼女へ歩み寄った。

 それで紅子の赤くなった顔を上からのぞき込むようにして見つめた。


「ちょっと熱、出しちゃったみたい」


 俺は額に手を乗せようとして、タオルを取った。そのタオルはまるで温かいおしぼりみたいに温度が上昇していた。そして実際に額に触れると、まるで火に触れたかのように熱くて、一瞬で俺は手をどけた。


「ちょっとどころじゃないぞ。四十度はいっているだろ、これ……!」

「そう、なんだ……そこまでひどいんだ……わたし」


 あはは、と乾いた笑みが紅子の口から洩れる。


「ばか……笑いごとじゃない」


 俺はタオルを氷水につけて、しぼる。


「何か原因があるはず……いったい、どんな無茶を──」


 俺はあることに気づいて、言葉を切る。タオルをしぼる手が止まった。


「もしかして、昨日の傷か?」

「……う、ううん。それは違う。絶対に違うよ」


 両手を左右に振って、否定する紅子。

 俺はタオルを絞り切って、長方形にたたんで彼女の額に乗せた。


「ちゅめた……!」


 あまりに冷たかったのか、甲高い声でつめたのつをちゅと言い間違えて、我慢するように強く瞼をつぶった。

 ……少し、可愛いと思った自分がいたのが一番の驚きだ。


「……まあ当たり前だけど、長期戦になるよな」

「そうかも……ね」


 少し申し訳なさそうに細い声で言う紅子。

 俺は一つ決心して、彼女とは反対に太い声で宣言した。


「じゃ俺、紅子を毎日看病するよ」

「……はい?」

「聞こえなかったか? 看病するよ、紅子のこと」


 それでも何を言ったのかわからないと言わんばかりに口を閉ざさないまま。

 俺は額のタオルをまた取る。予想通りですぐに温まっていた。そして水につける。


「だ、だからタカユキが責任を感じる必要はないってば……!」


 そう言うと思って、俺は少しにやりと笑ってすぐに言い返した。


「違うよ。曲がりなりにも俺は君の未来の旦那だろ? それぐらいさせてくれ」

「……っっ!」


 安心させるように、目を細めて彼女に笑いかける。

 

「……許嫁、だからでしょう? 別に……お父様が勝手に交わした約束なんて……」

「ばーか」


 俺は彼女の額にタオルを乗せる。


「……ちゅめ……!」


 また言い間違えてる、と俺はくすりと笑った。すると彼女は今度こそ怒ったみたいで、こちらを睨みつける。でもそれさえも可愛げがあって、眼福だった。


「俺が個人的にしたいことなんだから、そんなこと考えるな。病人はおとなしく俺に看病されるがいい」


 すると彼女は少しだけ黙ったあとで、「そうだね」と微笑んでくれた。また、そのあとで頬をかいてそっぽを向いた。どうやら、気恥ずかしいみたいだ。


 そんなのは俺も同じだ。

 こんな恥ずかしい言葉をなんの躊躇もなく女の子に言ったのは、人生で初めてのことだ。まあ、それほど長く生きちゃいないし、これからだってこんな言葉を彼女に送ることも何回かあるだろう。まだまだ、というだけのことだ。


* * *


 しばらく紅子と話していると、こんな話をした。


「本当にタカユキって変わんないよね」


 そんな言葉は咲良からも聞いたが、そこまで変わっていないのだろうか?

 それはつまり、彼女たちから見れば俺はまだまだ子供ということなのだろうか?


「そんなに俺、子供っぽく見えるのかな?」

「ううん、そういうことじゃないよ。誰に対しても優しいところが、本当に変わらないってだけ」


 誰に対しても、か。


 それに対して俺が言えることは、誰に対しても優しいというわけじゃない。もしかしたら昔はそうだったのかもしれない。でも今の俺は、誰にでも優しくするということに意味を感じなくなった。そうすれば何かいいことがあるかもしれない。でも、やはり自分が好きだと思った者に対して優しくするのが一番いい生き方じゃないだろうか、と思ったのだ。……もちろん、そんなのは持論でしかないし、人にはさまざまな生き方がある。


 正しい生き方などない。はっきりと間違いだ、と言える生き方もろくに存在しない。


 結局のところ、自分という存在に対して対価の見合う生き方を選ぶのが無難というものだろう。


 でも彼女に対して、特別に好きになったから優しくしているんだと言う気にはなれなかった。今さら何を言っているんだか、とは自分でも思っている。どれくらいの時間を要するかはわからないが、彼女を好きと素直に言うためには、黒岩さんの死を受け入れる必要がある。


 ……なんて、優柔不断なんだろう。


「そうではないと思う」

「え?」


 まあ、その誤認を否定するくらいはしよう。


「俺は別に、誰に対しても優しいってわけじゃないよ」

「……そっか」


 紅子は顔をうつむかせる。やはり幻滅させただろうか、と胸に不安がつのる。


「じゃあ、一緒だね。わたしも器用じゃないから、そんなことできないよ」


 そんな俺を瞬時に安心させる笑顔が、そこにあった。太陽に照らされた向日葵みたいで、ふと綺麗だと思ってしまったぐらいだ。


「そうなんだ。よかった、俺だけじゃなかったんだな」

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