第10話 少年はツミビトと出会う。

 俺は白河さんを背負って屋敷へと向かっていた。

 何が起こったのかさえ理解できないけれど、とりあえず今やっておくべきことは理解できた。白河さんの背中には──獣につけられたような、三本のひっかき傷。


 それと右足と、左目に違和感がある。まるで新しく変わったようで、少し気持ち悪い。だが今はそんなことはどうでもいい。


「はぁ……はぁ……!」


 門の前にまでたどり着くことができた。

 

「……! お嬢様!」


 門で待っていた永井さんが俺たちを見つけては駆け寄ってきた。


「門を開けてくれ。今すぐ治療しないと……!」

「は、はい!」


 門を開けてもらい、俺はラストパートだと身体に言い聞かせて走った。情けないが、体力の限界というものに直面してしまっていた。しかしそんなものは何とでもできる。本当に限界が来ているのは──彼女のほう、なんだから。


 玄関まで来て、乱暴に扉を強く蹴って開ける。


 するとどうしたのか、と他の使用人が俺を見る。


 説明している場合じゃない。俺は自分の部屋へと向かった。

 そのほうが近いのだ。


 とにかく早く行かなければ。


* * *



 俺の部屋に突入し、ベッドにゆっくりと彼女を降ろした。

 

「聞こえるか」

「……んぅ、うん」

 

 そっと声をもらして頷く白河さん。


「じゃあ悪いけど、うつ伏せになってくれるか?」

「……ん」


 こくんと頷く白河さん。

 シーツの擦る音。体を動かして、やがて俺の希望通り仰向けになってくれた。


 背中に傷による出血があまりにひどい。傷も大きいし、ここまで血を流していたのだから、並大抵の人間ならばここですでに死を遂げるはずだ。

 

「あれ……?」


 傷はもう塞がれている。

 いや、まだわからない。

 ちゃんと確認しないとわからないぞ。


「重ねてお願いするけどさ」

「……ん?」

「上、脱いでくれ」

「うん……え?」


 承諾してくれたと思ったが、白河さんは俺に目を向ける。

 着物だから脱ぎにくい、という理由じゃないのはもちろんわかる。


「傷の具合をちゃんと見るんだ。頼む」

「え、ええ? ……なにいってるの?」

「──どうしても、無理か?」


 そう言うと白河さんは元気そうに飛び起きて、


「無理に決まってるでしょ! なんでそういうこと本気で言えるのかなあ?」


 怒鳴ったあとに呆れたふうに大きなため息をつく。


「……なんだ、元気じゃないか」

「……これでもまだ痛いほうなんだから」

「そっか。じゃあ、永井さん、あとはよろしくお願いします」

「了解いたしました」


 そう言って俺は永井さんと入れ替わるようにして、自分の部屋をあとにした。自分にできることはもう終わったし、白河さんの元気を確かめることもできた。


 それはそうと、俺はどうしよう。これからどこを歩き、何を待つ? まあ、屋敷内を歩き回って、白河さんの様子もときどき見に行こう。


 俺は廊下を歩く。

 黒い影。

 背広を着た身長百八十辺りの二十代後半の男性だ。

 俺はそのおとこから不吉な風を感じて足を止める。


 しかし、その男性は俺を通りすぎていった。あまりに不吉な空気を感じて、凍てつく意識を維持するのが難しくなってきたところだった。ある意味、期待していた展開とは別で、拍子抜けしたようなものである。


 俺はそっとため息をついて、踏み出そうとしたとき。


「真堂隆之くんだね?」


 ふと、俺の名を呼ばれた。やはりか、と俺はつぶやいて、後方へと振り返る。不気味な見た目だ。まるで死人のように色白で、それとは対極にある黒のフルスーツ。喪服のようで、不吉だ。


「はい、なんでしょう」

「いや、ずいぶんと懐かしいなと思ってね」

 俺は目を細める。

「どなたです?」

「しがないツミビトだよ」


 罪人?

 俺は首をかしげて、その言葉を頭のなかで反芻する。


「まあ、さすがに覚えていないか。この屋敷に来たのも、たった一回だけだからね。でもこれから僕はあの冷徹なお嬢様の執事として仕事をしなきゃいけなくなったから、またここに来たんだよ」

「冷徹?」


 昨夜の印象が強いからか、とても冷徹のようには思えないのだ。

 だから俺はその言葉に疑問符をつけて繰り返した。


「? 冷徹なのは君も知っているだろう。……ああ、そうだったそうだった。彼女、君にはご執心だったねえ」


 そう言って、ツミビトと名乗った男はにたりと含み笑いをする。俺はその顔を見て、背筋がぞくりとした。なにか不吉なものを感じて、彼が去ったあともしばらく呆然としていた。


 なんだったのだろう、あの男は。

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