第5話 少年は屍人に囲まれる。

 目を覚まそうとしている自分がいる。しかしいざ目を開けようとすると、思ったよりも瞼は重く、後頭部からじんじんと全身に伝わってくる鈍痛を認識してしまう。


「いって……」


 そして瞼を開け切った。

 目の前は、暗闇だ。光一つ灯されていない場所で、そこがどこなのかわからずにいる。

 だが俺がイスに座っていることは、なんとなくわかる。


「……なんだ、ここ」


 首を動かして、あちらこちらに視線を向けても何も情報は得られない。

 それと、この違和感は──両手を拘束されているのか? 後ろに両手は回され、手首を何かで巻かれて拘束されている。どんなに腕を動かそうと、やはり手がその箇所から動いてはくれない。


「冗談、だろ……」


 絶望した。場所は特定できないし、誰かいるわけでもない。俺はというと手は拘束されている、あるいはイスに縛りつけられているとでも言うか──そんな最悪の状況だ。


「おい、誰かいないのか!」


 一縷いちるの希望に縋りつくように、俺は叫んだ。ただ誰かいてくれ、という想いで声を発した。


「頼む、返事をしてくれ!」


 そう言っても、返事はない。

 五秒、十秒と待っても霧のようにかかった静寂は簡単には去ってはくれない。


「くそ……!」


 そもそも、なんで俺はこんなところにいるんだ? 

 たしか──学校にいて、放課後になり祐介と道で分かれて……それからは?

 そこからの記憶はない。


 それと、後頭部がやたらと痛い。何本も針を刺されているみたいだ。たぶん、祐介を見送ったあとで誰かに後頭部を殴られ、気絶し、こんなところに連れてかれたということなのか。


「あぁ……可哀想な真堂くん。ごめんね、ほどいてあげる」

「……!?」


 後方から声が聞こえる。まるでこちらを哀れむような声。でも、なんだろう。この声はどこかで聞いたことがある。でも、その声の正体を探ろうとしても頭がズキズキと響いて、その痛みに耐えられず、やめてしまう。


 それで数秒ほどもすれば、手首は自由になる。

 俺は瞬時に立ち上がり、後ろを振り向く。声で思い出せないなら、しっかりとこの目で見てやる。


「いない……?」


 すぐ後ろにいたはずだ。


「そうね、電気つけてあげる」


 そう誰かが言って、灯りがついた。

 それで周りは明るくなり、一瞬まぶしいと目をつむり、手で覆った。


 ゆっくりと瞼を開けて、その空間を視界に収めた。


「ぇ……」


 声にもならないほど、小さなつぶやき。

 その光景を見て、俺は絶句した。


 腐敗、している。どこかで見たことがあるような、腐敗した“元”人間。ウジムシが湧いていたり、ハエがたかっていたりしている。やはり腐っているからだろう。肉はむき出しで、体のあらゆる場所が欠損していたり、中途半端に喰われている。


「う、うわぁぁぁぁああああああ!!」


 現実だ。

 そう思えば思うほど、吐き気は増す。


「……っ、うぷっ……!」


 そのまま体は崩れるように落ちて、四つん這いになる。右手で口を覆うが、それでもやはり耐えきれず、唇から漏れ出した。


 あとはもう簡単だと言わんばかりにどばどば流れ出る濁った胃液。中に臓器が混じってしまうんじゃないか、と思うぐらい、その嘔吐の時間は長かった。


 しかし、そんな時間もいずれ必ず終わる。終わってしまえば、あっという間なこと。だが今の恐怖は、今の心地悪い感覚は、これからも持続していくだろう。これが──トラウマ。


「大丈夫、真堂くん? ごめんね、こんな汚いもの見せて。こんなの、わたしも見せたくなったけど、仕方なかった。これは一種の試験なんだから」

 

 そいつの言っていることがいまいち理解できないのは、人間として当然のことだろう。おそらく相手も人間んなんだろうが、その趣味嗜好はあまりに狂っているとしか思えない。


「これだけは言うわ。わたしはね、別にそいつらが好きってワケじゃない。むしろ嫌い、だいっきらい。でも、でもね、真堂くんのことは好き、だいすきだよ?」


 そんな、可愛らしい少女のような声は言う。

 そんなのはまやかしだ。


「し……試験ってなんだよ」


 四つん這いから立ち上がって、俺は放送のようにかかる声を、上を見上げながら聞き取る。


「ルールは簡単なんだ。そいつら全員、起き上がるからどれくらいまで生きれるか、見せてよ?」

「は、はぁ!? 起き上がる? どのくらいまで生きるか? そんなのはどうでもいい、とにかくここから出してくれ」

「だめ。絶対、出さない」


 だと思ったよ。


「前回はすごくよかったよぉ。思わず見惚れるぐらい、動きが奇麗だった!」


 狂人は心底嬉しそうに声高らかに言う。

 前回? 前回なんてあったのか?


 そんなことを考えているうちに、その腐敗した死体はまるで生き返ったかのように起き上がる。


 その瞳に彩はない。おそらく、人間として自我もとうに亡くなっているだろう。しかしそれでも、あたかも蘇生したかのように、手足を動かしている。


 数は──ニ、四、六、八、十、ニ──なんだよこれ、多すぎるにもほどがあるだろう。


 操り人形のようなぎこちない動きで、こちらに一斉に寄ってくる。


 もしかして、死ぬのだろうか。俺はこいつらに襲われて、無惨な姿になるのだろうか。


「いや、死にたくない……」


 人間として当然のことだ。

 そう、死にたくない。とにかく生きたいんだ。


 そのためなら、どんな手段だってとってやる。


 俺は少し腰をすえて、構える。


「っ……!」


 正面からやってくる敵に足をかけて倒す。うつ伏せに倒れた死体の頭蓋を瓦を割る感覚で砕く。多少濁った血液を被って、とくに右手が濡れる。


 そして右からいきなり走ってきた敵の首を、横一線を描くようにして体を回して蹴る。すると面白いくらいに頭と胴体が切り離され、頭部は飛んでいく。


 一体一体の身体はあまりに脆く、壊れやすい。

 しかしこの数はまずい──少しでも油断すれば、奴らの沼にハマるだろう。


 この場を切り抜けるなんて、本当に俺にできるのか?

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