第二章 僕は世界でたったひとり(7)


「子ども相手にムキになりおって」

「なんの話だ」──回収した紙に目を通す。

「久しぶりに貴様の可愛らしい姿を見れたぞ。普段からそれぐらい生意気なほうが、我も退屈しないのだがなぁ」

「……なにが可愛らしいだ」


 朱理はベルにぎろりと睨みをひとつ返して、生徒たちから集めた紙に視線を戻した。


「褒めておるのだぞ。貴様のアングリーなフェイスは、ベリー・キュートだ」

「その変な英語の設定はもういい」


 裏庭には朽ちた用具室が建っている。その周辺は雑草が膝丈にまで伸びて生い茂り、かつてはサッカーゴールに使われていたであろうネットの残骸がつたのようにそこかしこに絡まっていた。

 ベルは転がっていたサッカーボールを蹴り上げ、リフティングを始めた。


「いまのジャパンは不自由だな。子どもは遊ぶことも許されぬのか。毎日休まず学校、学校が終われば塾に通い、家でも勉強を強いられる。性根が歪むのも無理はない」


 用具室の腐った木壁には赤いスプレーで「死」と吹き付けられている。


「なんとも窮屈な世界だ」──言葉とは裏腹にベルは嗤う。


 雨水を吸ったボールが変則的に跳ねて雑草の中に埋まった。


「だからこそ我も居心地がいいのだがな」


 ベルはへこんだサッカーボールを踏みつけて上機嫌に言った。

 悪魔にとって居心地のいい世界とはどういう意味なのか、朱理は頭の隅で気になりつつも、それはきっとよくない意味なのだろうと思い言及しなかった。彼が愉快なときは大概ろくでもない。朱理は相づちも打たなかった。


「おいシュリ、聞いておるのか?」

「聞いてない」

「聞いておるではないか。どうだ、気になる感想でもあったか?」


 サッカーボールで遊ぶことに飽きた悪魔が朱理の手元を覗き込んだ。

 特別授業の最後に発言した男子生徒、──僕は『死』は始まりだと思います──と答えたあの生徒の感想だ。他の生徒たちの回答はありきたりの文言ばかりで、なんの引っかかりも感じなかったが、真面目に書かれた彼の言葉だけは意味深だ。


「……『イジメは僕らの世界を成り立たせるためのカースト制ではない。生きていいか死ぬべきかの選別の儀式である』……ほぅ、深いな」

「深沢しゆういち。この事件についてなにか知っていそうだな」

「なぜそう思う?」──ベルは青い目を丸くした。

「教室の隅にいた瀬戸裕也という生徒を覚えているか」


 ベルはぱっと思い出せないようだ。だが、朱理ははっきり覚えている。机にたくさんの胸くそ悪い落書きをされていた生徒だ。誰が見ても彼は長期間に亘って誰かからイジメられている。彼を担任の教師も、他の生徒たちも、そこにはいない存在として扱っていた。須加校長もイジメはないとしきりに言っていた。死んだ生徒三名は素行が悪く、どちらかというと目立つ生徒であったから、イジメられていたとは考えられない。そもそもイジメと彼らの連続死は無関係だ、と。

 来校してからずっとこの学校全体から感じられる隠蔽の空気。殺人ではなく自殺でもなくにしたい──……それは三名の生徒の「死」を隠したいわけではないのかもしれない。朱理はこの学校で起こっていた「イジメ」を隠そうとしているような気がしてならなかった。

 そんな中で唯一、死とイジメを結びつけて、におわせてくる生徒がいる。


「深沢秀一に話を聞くべきだろう」


 ベルは興味なさそうに頭の後ろで手を組む。


「となると、もう一度特別授業をするのか?」

「いや……その必要はない。彼は俺が警察官であることを知っている。そうだな?」


 七月のまぶしい夕日を浴びて伸びた用具室の影が、ぴくりと揺れた。

 朱理の視線の先を追ってベルが振り返る。

 短い黒髪。この学校では制服を着崩した生徒が多い中、彼はきっちりとシャツの第一ボタンまで留めている。せいかんな顔つきの深沢秀一が会釈をしながら顔を見せた。その姿と振る舞いで、規律正しい真面目な生徒だと一目でわかる。


「これは気づかなかった」──そう言いながらベルは口の端をあげる。

「おまえが気配に気づいていないわけがないだろう」

「いいや確かに気づかなかったぞ。……雑魚らしいごとよ……」

「雑魚……?」


 朱理はどことなくベルの言葉に引っかかりを覚えた。


「まぁその話はいい。……で? 貴様はなぜシュリが警察官だと知っておるのだ」

「山本が死んだ日の放課後にあなたとすれ違ったからです」


 深沢秀一の声はまっすぐだった。

 どこですれ違っただろうかとベルはうなって首を傾げた。「階段だ」と朱理が呟くと、ベルは「あぁ」と両手をポンと合わせた。あの女刑事に同行していたときベルは蠅の姿になって朱理の背中にくっついていたから、覚えていないのだ。


「やっぱりあなたも刑事さんなんですよね。さっき先生たちに訊いてもはぐらかされたんですけど」

「俺じゃなくても、もっと前から知らない大人が出入りしていただろう」

「えぇ……でもあの女性刑事さんは自殺の一点張りで、僕の話をちゃんと聞いてくれなくて。あなたなら僕の話を聞いてくれそうだったので」


 なるほどと朱理は小さく肩を落とす。


「死んだのは瀬戸くんをイジメていたやつらなんです」


 やはりそうかと朱理は内心頷く。


「一人目の殿岡が首を吊って死んだって聞いたときはあんなやつでもなにか悩みがあったのかなぁって不思議に思わなかったんですけど、二人目の松田がおなじように死んだと聞いたときは、もしかして……って思いました。山本のときに、あぁきっとそうだって疑問が確信に変わっていって」


 朱理は聞きながら目を細める。


「三人は自殺じゃなくて殺されたんじゃないかって思いました。そう思っているのはたぶん僕だけじゃないです。最後の一人が死ぬまで続くんじゃないかって思うから、みんな怖くて話題にしないようにしているんです」


 あえて口は挟まず、深沢秀一に続けさせる。


「瀬戸くんをイジメていたのは四人です。あともうひとりすずじんぱちっていう──」


 話の途中で、ガシャン、となにかが割れる音がした。

 三人は一斉に振り向いた。直後に誰かがわめきちらす怒号のような声が聞こえ始めた。「この声、鈴木だ!」と、深沢秀一が忌々しげに吐き出して走り出した。

 朱理はベルに目で合図し、その後を追った。

 金色の蠅が上空へと飛んでいった。




「つぎはオレを殺すつもりか!」

「やめろ鈴木!」──深沢秀一が声を荒らげる。


 瀬戸裕也は蜘蛛の巣状にヒビ割れたガラス窓の下で、潰された虫のように小さくなっている。彼の髪を引っ摑み、真っ赤な顔をした鈴木仁八が拳を振り上げた。


「やめろって!」「うるせぇッ!」


 肉と骨がぶつかり合う嫌な音が響く。

 殴られた瀬戸裕也は人工土の上に、うつ伏せに倒れた。うめいて背中を丸める彼に容赦なく蹴りが浴びせられる。くそが、おまえが死ね、汚物のくせに──。およそ人間に投げかける言葉ではない罵声とともに激しい暴力が降り注いだ。


「警察がいるんだぞ!」

「けっ、けい……さつ?」──鈴木仁八はぎくんと固まった。


 陰で様子を見守るつもりが、そう言われて致し方なく朱理は姿を見せた。


「あァ……警察ってぇ、さっきの通訳のオッサンじゃねーか?」


 朱理は渋々、上着の内ポケットから警察手帳を出す。

 子どもであろうと大抵の一般人はそれが本物かどうか疑って目を凝らすが、彼は警察手帳を見せられて条件反射のように震え上がった。おそらく過去にこれを見せられた経験があるのだろう。補導されたか、それ以上か。反応をうかがう限り後者かもしれない。


「ち、違うって、オレらはこいつに……っ」

「……おまえも……死ね……」


 くぐもった声がした。

 瀬戸裕也が人工土にガリガリと爪を立てていた。


「おまえもあいつらみたいに……さっさと死ねよ」


 ガラスの破片が光る乱れ髪の隙間から、血走った目が睨み上げていた。


「ひっ……!」


 彼の禍々しい殺気にされた鈴木仁八は後ずさりし、やがて悲鳴にも近い雑言を吐き捨てて走り去っていった。

 瀬戸裕也はゆっくりと立ち上がった。額からは一筋の血が流れていた。

 鞄の中身をぶちまけられたのか、人工土の上にはノートやシリコンペンケースが散乱している。ペン、定規、分度器……。彼は何事もなかったかのように静かにそれらを拾いながら、鞄に詰めていく。


「深沢くんは、もう行って」

「……でも」──深沢秀一は困って朱理を見た。

「その人、警察の人なんでしょう」

「うん……」

「だったらボクは話さなきゃならない」

「そ……、そっか……」


 うつむいたまま、瀬戸裕也は額から流れた血を手の甲で拭った。


「いままでありがとう」

「……っ、ご、……ごめん……僕は……、そんなつもりじゃなくて──」

「謝らなくていいよ。キミは正しいよ、わかってるから」


 躊躇いながらも深沢秀一は校舎に戻っていった。

 彼は途中、何度も振り返ったが、瀬戸裕也は鞄の中身を拾うことだけに専念するフリを見せてクラスメイトの気遣いに拒絶を示した。小さな唇を嚙みしめていた。


「深沢くんがボクを助けたって、誰にも言わないでください」

「なぜだ?」

「深沢くんまでイジメられちゃうから。学校ってそういうところなんです。ボクをかばったって知られたら誰が深沢くんを無視しだすかわかりません。あのクラスで『いるけどいない存在』なのはボクだけでいいんです」

「いるけどいない存在……」

「人ってそうやって弱者をつくって均衡を保ってるんですよね」


 ぎこちない笑顔を見せられて、朱理は軽率にそれは違うなどと否定の言葉を口にしてはならないと思った。彼は彼なりの解釈をもって自分を納得させようとしているのだ。この狭い水槽の中で、自分ひとりがいたぶられることを我慢し続ければ、他の生徒は被害を受けないという悲しい正義ルールを背負いながら。

 朱理はかがんでペンケースの中身を拾うことを手伝った。


「変わった消しゴムだな」


 ブロック状の消しゴムが散らばっていた。それらはほぼ均一の形をしており、数えると全部で十八個もあった。一個だけ赤い。あとはすべて青色だ。

 興味本位で凹凸を重ねるとくっついた。


「組み立て消しゴムっていうんです。……知りませんか?」

うえ駅の無限パンダ消しゴムなら知っている」


 すると瀬戸裕也はぱっと顔を上げてフフッと笑い出した。


「無限パンダって、もしかして押し出し成形の消しゴムのことを言ってますか?」

「……なんだそれは」

「金太郎飴みたいに切るとおなじ形の消しゴムがいっぱいできるやつです」

「あぁ……それだ。俺の娘がそう言っていたんだ」


 子どもはちょっと変わった文房具を集めるのが好きだ。朱理が幼いころは香りがついた「ねりけし」がった。大人たちはなぜそんなものを欲しがるのかと不思議がるが、子どもは収集目的の文房具に機能は期待していない。収集用と、普段使いは別なのだ。だから大人になってから、なんでこんなものを集めていたのだろうかと思うほど、引き出しの奥から大量のシールが出てきたりする。


「組み立て消しゴムということは、これを組み立てたらなにかになるのか?」

「はい、お魚さんになります」

「お魚さんか。いまはそういうのが流行っているのか」

「流行っているっていうか、ボクが好きなだけです」


 しかしこの十数個のブロックだけで魚を一匹作るには足りない気がする。ブロック状ということはおそらく立体になるのだろうし、そうでなければ楽しくはない。


「お魚さんは全部で三十六個のブロックを組み立てると完成するんです」

「三十六個か……残りは家にあるのか?」

「あ、……えぇと、た……たぶん、あとは家にあります」


 瀬戸裕也の目が急に輝きを失ったので、朱理はそれ以上を言及するのはやめた。彼は再び唇を嚙んだ。残りのブロックはイジメられて奪われたのかもしれない。


「全部拾えたか?」

「えぇと……、あ、はい。大丈夫です」──消しゴムを数えて彼は頷いた。

「警察の俺に話があると言っていたな」


 鞄にすべてを詰め込んでから、ようやく朱理は切り出した。


「はい……でも学校では、ちょっと……」


 瀬戸裕也は無理に笑顔を作った。乾いた額の血の跡が痛々しかった。


「学校の外で話していいですか」


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