第二章 僕は世界でたったひとり(5)


 校長室であたたかい茶を勧められたが、朱理は丁重に断った。

 校長は来年で定年を迎えるそうだ。穏やかな教員生活をおくるはずが、最後は名門私立と隣接する粗暴な公立に配属された。いままで勤めてきた学校では、一度も問題らしい問題は起きなかった。生徒が死した騒動に対して世間に頭を下げなければならないのはわかっている。けれどそれが自殺や殺人となると、謝罪だけでは済まない。わかりますよね……、と同情を請われて朱理は目をすがめた。

 須加校長は言い訳を吐き尽くすとハンカチで禿がった額に浮かぶ脂汗を拭った。

 黒革のソファに座って向き合っているが、彼の目はずっと泳いでいる。時折ちらりと朱理の目を見ては慌てて目を逸らしていた。とてもじゃないが落ち着いた様子ではない。彼の頭の中は保身でいっぱいなのだろうと思った。


「おなじことを何度も訊いて恐縮ですが」

「い、イジメはないと認識しております!」


 朱理の質問は前置きの時点で遮断される。


「最初に亡くなった殿とのおかくん、先月末に亡くなったまつくん、それから今日亡くなったやまもとくんは……、た、大変活発な生徒で、部活動も頑張っておりましたし、どちらかというと、その……目立つ生徒だったと聞いております」

「家庭に問題は?」

「そ、そこまでは、わたくしどもにはちょっと……。なにせ一クラス四十人はおりますもので、担任も家庭のことまでは把握しきれません。我が校ではイジメに関する調査も定期的に実施していますから、とにかく問題はなかったということで……まぁ、あるとすれば校舎が古いため、釘に衣類を引っかけたりすることはしょっちゅうかと……」


 須加校長は先ほどからすべてが事故であったかのように話を誘導している。責任から逃れようとしているのが見え見えだった。

 朱理は彼の顔色をうかがいながら、恵美の言葉を思い出していた。皆それぞれに思惑があってこの連続不審死を早く片付けたいと思っているのが透けて見える。

 自殺で処理したい所轄と、事故にしてほしい学校側。

 本庁の捜査員が双方から板挟みにされた結果、は奇特捜にまわしたというところか。


「と……ところで、猟奇殺人事件特別捜査課とはいったいなんでしょうか?」


 須加校長はテーブルの上に置かれた朱理の名刺を訝しげに見やりながら、ハンカチで顔全体をごしごしと拭いた。愛想笑いがすっかり怯えて引きつっている。常軌を逸した殺人──『猟奇殺人』という言葉をひどく気にしている様子だった。


「組織上の名称は気にしないでください。悪いようにはしません」

「と、言いますと……」

「現時点で捜査にあたっている者を全員撤収させます」


 朱理は組んだ両手に視線を落とす。


「……そういうことです」


 わざわざ刺激することもない。朱理はあえて明確に思考を開示しないことを選んだ。

 おそらくこれは殺人事件だ。敷地内に踏み込んだとき、ベルが反応した。この校舎の中にはベルが好む殺人者の魂を持つ者がいる──。朱理はガリ、とうなじを搔いた。


 ──ちょうどいい……そろそろ殺さなければならないと思っていたところだ。


 すると須加校長は良いように捉えたらしく、露骨に安堵の表情を浮かべた。


「必要最低限の捜査で生徒たちを不安にさせないようします」

「あっ、……ありがとうございます!」


 須加校長は立ち上がって自ら朱理の手を握ってきた。

 今後の捜査方針は追って連絡することを伝えると、朱理は校長室から出た。


「アタシは校長を守れなんて言ってないわ」


 むっつりとした恵美が壁に寄りかかっていた。


『おいシュリ、この女ずっと聞き耳を立てていたぞ』

「……おまえはあっちにいってろ」


 金色の蠅が耳元でぶんぶんとうるさかったので、朱理は鬱陶しそうに手で払う。


「全員撤収ってアタシのことも含めてかしら?」


 ここで彼女と意見をぶつけあっても朱理に利点はない。本件はあくまでも自殺であると譲らない彼女たちの存在は、単独での捜査を制限されて邪魔になる。


「ふざけないで。アンタたちの人間はそうやっていつも真実よりも自分たちが傷つかないことを選ぶから──……ちょっと、人の話を聞きなさいよ!」


 無視して通り過ぎようとする朱理の前に、恵美は立ち塞がった。

 男勝りな女刑事の目はナイフのように鋭い。


「事故で処理なんて絶対にさせないわよ。自殺なら自殺って、ハッキリさせるべきよ。イジメがあったのなら、それはそれで第三者を介入させてきちんと調査するべきだわ」

「本件はイジメを苦にした自殺と考えてますか?」

「たぶんね。学校側はなにか隠しているもの」

「亡くなった三名とも活発で目立つ生徒だったようですが」

「明るい子がイジメを受けていないなんてただの先入観よ」


 朱理が彼女を避けて歩き出せば慌ててついてきて食い下がる。


「今後学校は保護者たちに対して、事実を説明する義務を果たさなければならないの。これを事故にするなら、彼らはなにに対して謝罪するのよ。設備の不具合? 校舎の老朽化? 大人は逃げ道を知っているからいくらだって言い訳ができるの。でも言い訳は謝罪なんかじゃない」


 徐々に彼女の身振り手振りは大きくなり主張はヒートアップする。すっかり暗くなった校舎に、彼女の声が大きく反響していた。


「二度とおなじ過ちを繰り返さないって誓いをたてるのが謝罪なのよ。彼らにその謝罪を口にさせるのがアタシたちの責務でしょう!」


 階段の途中で朱理はぴたりと足を止める。


「謝罪は誰のためにあると思いますか」


 恵美は顔をしかめる。けれど迷うことなく即座に朱理の背中に答えをぶつけてきた。


「遺族のためよ。亡くなった生徒のご家族のために決まってるじゃない」


 彼女の言葉にはぶれない信念を感じる。同時に、自信に満ちあふれた正義感も備わっていることも痛感させられた。だがそれは、警察官としての「模範解答」に過ぎない。蚊帳の外から中立という名の偽善を振りかざしているだけだ。


「謝罪なんて死者に無関係な人間のための見世物です。俺たちがどんなお膳立てしたところで頭下げるやつらに『てめぇらいますぐ死ね』って思うのが遺族の本音です」


 足を止めた恵美がひゅっと息をのんだ。


「あなたは正しい。ですが正しさの押しつけは加害者への憎しみを捨てろと言っていることとおなじです。必要なのは謝罪ではなく、相応の償いです」


 彼女がどんな表情をしているのか見当はつく。

 朱理は階段の途中に彼女を残し、ひとりで二階の美術室へとあがっていった。

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