第一章 いつもの道でわたしたちは(6)



 女子大生二十三区連続通り魔殺害事件──。

 五件目が発生してから半月がった。捜査本部は事件の長期化の懸念を理由に、奇特捜と情報を共有した。表だっては捜査の強化との判断と遺族関係者に伝えているようだが、実際のところは捜査員の数を大幅に減らしている。実質捜査にあたっているのは朱理ただひとりだけだ。まもなく完全に奇特捜案件という扱いになるだろう。これは警察内部の効率を考慮した都合であり、一般的には捜査は変わらず継続されていると思われている。

 一匹の働きありが縦横無尽に動きまわっていれば、大群が動いて見える。その蟻が奇特捜だった。警察組織が管理する「共有ネットワーク」の存在により、多くの捜査官が捜査状況を閲覧可能状態であり捜査は強化しているなどと言い訳にできるわけだ。

 だがいまの朱理にとっては、その迅速と効率をはき違えている、言い訳だらけの現代社会の矛盾などどうでもよかった。


 ──むしろもっと殺せばよいのだ。そのほうが我にとっても、貴様にとってもであろうが。


 ベルの言う通りだ。朱理はうなじに左手を当てる。

 より凶悪な殺人者を見つけられる機会が増えれば増えるほどいいと思っていた。




 ……捜査を開始してから三週間が経過した。

 朱理は第二の殺人があった現場付近、ねりの果てにあるけい女子大学から最寄り駅まで歩いて戻っていた。京花女子大学は坂の上にあり、どんなに早く歩いても明るい道路に出るまで二十分はかかる。故に学生たちは通学には自転車かバスを利用していた。

 殺された女子大生は自転車で駅に向かっている途中で殺された。捜査資料によると、第二の事件が発生した現場はあの苺農園と似ている。倒産して夜逃げした農場だった。

 凶器はやはりその場に残されていたロープだ。


「中肉中背、A型の男性、前科はなし……」──朱理は駅を振り返って呟いた。


 駅前には大型の無料駐輪場がある。ほとんどの学生たちはこの駅から自転車に乗って大学に向かい、授業が終わると駐輪場にとめて電車に乗って帰るようだった。


「このクレームブリュレクレープとやらは美味いな!」

「でしょー?」


 駅前にとめられたクレープ屋のワゴン車前で、明るく甘ったるい声が響く。


「お兄さん外国人? 観光客? どっから来たの?」

「ギリシャからだ」

「ギリシャ!」

「やばっまじで!」

「いまは我ら悪魔かいわいで流行中のジャパンツアーを満喫中だ」

「えーまじお兄さんイミフでおもしろーっ」

「言葉遣い変で超かわいぃー、ねぇ連絡先交換しよー?」


 金髪碧眼の青年は駅前で女子大生ふたり組と戯れていた。見目麗しい青年に女子たちはすっかり心を奪われているようだった。朱理はひそかにため息をつく。


「あいつはまた余計なことを……」


 京花女子大学までは一本道ではない。コンビニや本屋を経由するルートや、陸橋を渡るルートもある。実際歩いてわかったことだが、大学から駅までの最短ルートは街灯が最も少なく、車の通りがほとんどない。第二の殺人はその道の途中で起きた。

 先週聞き込みに来たときと景色はなんら変わっていない。

 駅前に店が集中していて、駅から離れれば離れるほどシャッターの下りた店が増え、昭和の色を濃く残したマンションの隙間に、空き家らしき荒れた建物がぽつぽつと見える。大学周辺に点在する賃貸アパートには『空室あり』の看板が目立った。

 そういえば──と、朱理ははためくクレープ屋ののぼりに目をとめる。先週聞き込みに来たときにはこのクレープ屋のワゴン車はなかった。いろいろな場所に移動して商売をしているのだろうから特別事件についてなにか知っているとは思えなかったが、朱理はこっそり──念のため──と、車両の状態の確認も兼ねて声をかけることにした。


「警視庁の一之瀬といいます。すこしお話よろしいですか」


 ワゴン車の中でバナナを切っていた男はきょとんと目を丸くし、警察手帳を掲げる朱理を見下ろした。男は髪を明るく染めている。左右非対称な髪型で、片耳には大きな黒いピアスがぶら下がっていた。遠目からは二十代半ばくらいかと思ったが、相対すると意外にも落ち着いた雰囲気の男だった。クレープ屋という職業柄、若年層が話しかけやすいようわざと若作りをしているのかもしれないと朱理は思った。

 すると彼は「もしかしてあの事件?」と、数度まばたきし、作業の手を止めた。


「女子大生が殺されてるやつでしょ」

「えぇまぁ、そうです。なにかご存じないかと……失礼」


 くつひもを結び直すふりをしながらワゴン車の左側面を確認したが、傷ひとつなかった。上から塗料をのせた形跡も見受けられない。とはいえ新車とは言いがたく、そこそこ使われている車両だった。事件とは無関係のようだが、朱理が警視庁と口にしただけで、彼は──あの事件──とすぐに答えたことに引っかかりを覚える。


「なぜすぐに女子大生連続殺害事件のことだと思われたのですか?」


 立ち上がって朱理は再び彼を見上げた。


「この近くで殺されてるんでしょ、あの子たちから聞いてるもん」


 個性的な髪型の男は、未だベルの周りで騒いでいる女子大生たちを指さした。


「危ないからなるべく『いつもの道』で帰るようには言ってるよ」

「いつもの道、とは?」

「寄り道しないで帰ったほうがいいよって意味だよ」

「……なるほど。あなたはどのぐらいの頻度でここで出店されているんですか?」

「うーん、別に決まってないね。稼げそうなら出店許可が下りてる場所に不定期で行く感じ。ここは四月になって学生が増えてきたから、ぼちぼち。……あぁ、前日にSNSで告知はしてるよ」

「事件当日はここに出店されてましたか?」

「んー、どうだったかなぁ……何日?」


 朱理はさっと手にしたスマートフォンの画面に視線を落とす。


「三ヶ月前の十八日です」

「ちょっと待ってね」


 男は両手をエプロンで拭いてから、ごてごてに飾られたスマートフォンをいじった。


「んっとね、あー……その日は……ひかりおかに行ってるね」

「ここからさほど遠くはないですね。何時ころまで光が丘にいましたか」

「……え、なに? オレ疑われてる感じ?」──男はげんそうに顔を歪める。

「警察官は疑うのが仕事なもので」

「たぶん夜の八時には引き上げたと思うよ。だいたいいつもそんぐらいだし」

「証明できる方はいますか?」

「さぁね。それを調べるのが警察の仕事じゃないの?」


 明らかに嫌そうな態度で男は答えた。


「失礼ですがお名前とご連絡先を教えていただけますか」


 名刺を差し出すと、男は苛立った様子でそれを奪った。名刺の裏にがりがりと書きつけ突っ返される。おかざきしげあき、と書き殴ってあった。


「念のためですが免許証を拝見してもよろしいですか」

「はぁ? んだよ……職質かよ……。噓ついてないよ、ほら」


 彼は渋々二つ折りの財布から免許証を出す。三十五歳……住所は、東京都──。朱理が免許証番号の控えを取らせてほしいと伝えたら、いよいよ彼は激高した。免許証をふんだくられる。


「なんなんだよアンタッ、オレは殺人犯じゃないよ!」


 朱理は表情を変えず「ご協力ありがとうございました」と、そっと名刺を警察手帳にはさんだ。彼の剣幕に驚いたのは金髪の青年とスマートフォンで写真を撮っていた女子大生たちだった。マスカラとアイラインをたっぷり塗った四つの目が見開かれる。


「えっ……あの人って」「マジもの?」「マジっぽくね……?」


 ふたりは朱理に熱っぽい視線をやりながらひそひそ話し始めた。


「シュリよ、このおなごらの話は聞かなくていいのか?」

「いらん。怨恨の線は見ていない。……もういいか、行くぞ」

「まぁそこそこ楽しめたからよしとするか」


 クレープを食べ終えた金髪の青年は満足そうに指をめる。女子大生を小脇にはべらせてふてぶてしい笑顔を浮かべた。勢い余って彼女らを搔き抱くような下卑た気配を感じた朱理は肩を落として「早く行くぞ」と念を押す。


「ねぇベルちゃん、あの人ってぇ……」


 女子大生のひとりがベルのシャツの袖を引く。朱理が聞き込みをしている間に、すっかり仲良くなったらしい。金髪の青年はにこりと笑んだ。


「うむ、殺人事件を調べておるだ」

「やば────いっ! やっぱ本物の刑事じゃん……ッ!」

「待って待ってドラマじゃねドラマ、まじドラマ!」


 彼女たちのテンションが一瞬にして爆上がりする。ぴょこぴょこと髪の毛を跳ねさせ、自撮りのシャッター音が鳴り響く。朱理は額に手を当てて重いため息をついた。


「おいベル、余計なことを言うな」

「いいではないか、おなごにはやされるのは心地よいことだぞ」

「おまえと一緒にするな。……コラやめろ、許可無く人を撮影するんじゃない。学校で習わなかったのか」


 女子大生ふたりは朱理に声をかけられて、ハッと顔を見合わせた。


「枯れ系……めっちゃアリ」「アリよりのアリ……」


 彼女らはスマートフォンで口元を隠しながら、品定めするような目で朱理を見上げる。警戒心が薄く好奇心旺盛な年頃の彼女たちに、朱理はわざと眉間にしわを寄せて不愉快な表情を向けた。睨まれたふたりは、ひるんで肩をすくませたものの、口元を綻ばせてむしろ注意されたことを喜んでいるかのようだった。


「なんの事件の捜査なんですかぁ?」

「うちらでよければなんでも訊いてください」


 朱理はステレオで詰め寄られてさらに表情を険しくする。

 女子大生の熱い視線は完全に「刑事」というステータスの男に向いてしまった。


「……こんなところで道草食ってないで早く家に帰れ」

「えー、なにそれぇ!」──子ども扱いされたことに片方が頰を膨らませた。

「役に立つ情報あるかもしんないじゃん!」

「そのときは一一〇番しろ」


 冷たくあしらうと彼女たちは揃って唇を尖らせた。

 朱理はさっさと駅に向かう。一刻も早く──時間が惜しい。そう思いながら、朱理は舌打ちしてうなじを引っ搔いた。




「はー……女子大生ブランドに食いつかない男って、マジどうなの?」

「刑事だから仕方なくない? 職業柄っしょ」


 両極端な雰囲気の男ふたりが去って行くのを見送りながら、刑事のそっけない態度に対し悪態をつくいっぽう、もうひとりの女子はカラリとしていた。


「あーゆードライに見せてる男のほうが意外とSNSとかマメにチェックしてるんだよね。写真アップしたら食いついてきそうじゃね? なんか女のほうに突っかかる理由ないと踏み込めない男っているじゃん」

「アタシはそーゆームッツリ系は無理、積極的なほうが好み」

「まぁそー言わずに公務員を狙っていこうぜ……って、あれ……?」


 撮影した写真をSNSにアップしようとスマートフォンを操作していた女子大生の表情が曇る。「え、どした?」名残惜しく去って行く金髪の青年に手を振っていたもうひとりが、友達の手元を覗き込んだ。


「いま……ウチら写真撮ったよね」

「うん、撮ったよ?」

「ないんだけど……てゆーか──」


 画面には駅前の景色と、彼女たちふたりの姿しか写っていない。記念撮影した金髪の美男子も、ちょっと渋い雰囲気の色っぽい刑事も、そこにはいなかった。


「ウチらは写ってるよね」

「うん……」

「待って、もしかしてアタシのもッ?」


 スマートフォンを突き合わせながらふたりはぼうぜんと画面を見下ろす。


「幽霊……とか、じゃないよね……」

「そ、そんなの……いるわけないじゃん……」


 振り返れば既に彼らの姿はなかった。

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