3 やったのは工作員なので私に後ろめたいことはありません。
それは、とある雨降りの日のことである。
「くそう……せっかく傘持ってきたのに――」
外は大雨、いくら待っても勢いの弱まる気配はない。だから仕方なく、俺は豪雨の中に飛び込んだ。
悲しいかな、持ってきた傘がなくなっていたのである。学校の傘立てに入れていたから、誰かに持っていかれたのだろう。
雨粒から頭を庇いながら、校門まで一気に駆け抜ける。幸い、近くにバス停がある。そこで雨宿りしながら、今日はバスを使って帰宅しよう。どうせびしょ濡れになるにしても、さすがにこの雨天のなか家まで走るのは抵抗がある――
「おや、先輩?」
バス停に辿り着くと、そこには見知った後輩の姿が。
「こんなところで会うなんて奇遇ですね」
「なあ、もしかしてお前、ストーカーしてない?」
「え」
「……この前、うちの学校に気になるヤツがいるとかなんとか――そいつのストーカーしてる? だったらマジで、やめた方がいいぞ。これ、先輩からの忠告」
「そ、そんな訳ないじゃないですかー。ところで参考までにお聞きしたいんですが、やめた方がいいと思う具体的な理由を教えてもらえますか?」
「いや、ふつーに犯罪だろ」
「バレなければ問題ないですね!」
「…………」
どうしよう、後輩が道を踏み外そうとしている……。
「ところで先輩、どうしたんですか? そんな、びしょ濡れになって。天気予報とか見てなかったんですか?」
「見てたよ。わざわざ傘持ってきたよ。でもパクられたんだよ」
「それは可哀想に。でも普通、折り畳み傘にしません? 私みたいに」
と、鞄から傘を取り出して見せる後輩である。くそう、まったくの正論だ。これからはそうしよう。
「せっかくなので先輩、傘に入れてあげてもいいですよ?」
「お前なんでバス停にいたんだよ。バスで帰れよ、俺が傘借りるから」
「図々しい先輩ですこと。いいですよ、じゃあ傘と一緒にお持ち帰りされてあげますよ」
「この会話、異常じゃないか?」
「ちなみに、バスが来るのはもっとずっと先です」
「……そうか。なら仕方ない」
これがもう少し小降りなら歩いて帰るところなのだが、せっかくタイミング良く傘を持った後輩がいるのだ。利用してやろう。
「じゃ、傘貸して。二人で入ったら遠回りになるじゃん。そっちの家に寄ることになるし」
「え? そのまま二人で先輩のお家に直行するんじゃないんですか? ……いや、むしろ逆? 濡れてる先輩が私の家でシャワー入る感じですか?」
「気遣おうとした俺が馬鹿だった。先に俺の家行って、そこでお別れ、それでお前には一人で帰ってもらおうそうしよう」
「雨に涙を隠すんですね……」
「はあ……?」
ちょっと何言ってるのか分からないが、ともあれ。
一つの傘に入り、バス停から歩き出す。
「ところでお前、なんでこんなところにいたの?」
「やっぱり気になります?」
「あ、いいや」
蒸し返すのはよそう。
「気になってくださいよー」
「女の子は少しくらいミステリアスな方がいいってさ」
「マジですか?」
「さあ?」
「ミステリアスといえば、今は雨のなかという密室状態。傘に隠れて好き放題できますよ? ちなみに後輩、空いてます」
「両手は塞がってるようですが?」
傘と、鞄だ。ところで傘は後輩の持ち物なので流れ的にこいつが手にしているのだが、いかんせん、俺との間に身長差がある。傘の位置が低く、視界が遮られて仕方ない。
「俺が持つよ。なんか、後輩に荷物持ちさせてる感あるし」
「荷物持ちする先輩の図」
「それも嫌だなぁ……」
「片手に傘、片手に鞄……今の先輩はとても無防備です。というかむしろ、自分から無防備になりましたね。……誘ってます?」
「くすぐったりしたら全力でダッシュする」
「おぉう、まさかの
「はっ……しゅんっ」
まことに遺憾ながら濡れ透けなのは俺の方で、下らないお喋りをしているうちにすっかり体が冷えてしまった。くしゃみが出て、身震い。
「私が温めてあげましょう。むぎゅー」
「やめろ歩きづらい」
そして生温かくて気持ち悪い。お前も濡れるぞ。
「……ところで、後輩」
「なんです?」
「お前、欲求不満なの?」
「お、おぉう……先輩ったら、大胆」
「愛に飢えてるの? 親から愛されてないとか? そっか、つい最近までスマホも買ってもらってないんだもんな……」
「いや、愛を求める求道者ですけど、そんな憐みはいらないでくしゅんっ」
「ほら、風邪ひく前にさっさと帰るぞー。離れた、離れたー」
後輩を家に送る頃には雨の勢いもだいぶ弱まってきたので、俺は傘を帰して歩いて帰宅した。
後日、揃って風邪を引いた。
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