いいくちの日


 ~ 一月十九日(水) いいくちの日 ~

 ※一日之長いちじつのちょう

  先達である者が、自分を謙遜して

  言う言葉。




 ほぼほぼ一か月もの間。

 恋人という関係性に思い悩まされ続ける俺。


 幻想に振り回されて。

 それが叶わない現実に頭を抱えて。


 だったら何も妄想するまいと自分に言い聞かせたところで。

 無理が生じて結局空回り。


 それならいっそ。

 無理するのをやめてみよう。


 そう考えるに至った瞬間。

 早速気になる場所を見つけて。

 今日は一日。


「ど、どうしたの……?」

「今日乾燥してるからな」

「リップ?」


 マスクを外した時にちらりと見えた唇を。

 気付けばずっと、目で追っている。


 淡いピンクのリップクリームのせいで。

 ドキドキするほどの艶をたたえた。


 そんな唇の持ち主は。


 舞浜まいはま秋乃あきの


 水を飲むときとか。

 メシの時とか。


 マスクを外すたびに、俺はチラチラ視線を投げていたんだが。


 今までと違って。

 見ているのを誤魔化すという無理をやめることにした効果が。


 良い面と悪い面。

 双方同時に顔を出す。


「ま、また見てたの?」

「うん。まあ」

「ぬ、塗り方、へたっぴだから……。そんなに気になるなんて……」

「そんなことねえぞ? ちゃんと塗れてるってずっと言ってるだろ。可愛いから見ちまうだけだって」


 下手な気遣いなしで、気楽になった反面。

 今度は秋乃に皺が寄った模様。


 ちょいちょい唇を気にし始めて。

 そしてとうとう、塗り方がおかしいという間違った結論に達してしまった。


「ど、どうやったらうまく塗れるんだろ……」

「だから。ほんとに上手く塗れてるって」


 いくら説明しても。

 ふるふると首を振るばかり。


 どうしたら本当だって伝わるんだろう。

 そんな課題はあるのだが。


 まあ、それよりも今は。

 こっちを先に聞いとかないと。


「で? それがどうして部活の開始時間を遅らせることに繋がるんだ?」

「緊急開催短期集中講座に出席してくる……」


 秋乃が指差す先。

 放課後の鈴村さんの席にできた人だかり。


「ああ。それでさっき、鈴村さんに話しかけていたのか」

「相談した時、周りにいた子もみんな揃って教えてって……」


 俺の堂々としたスケベ心のせいで。

 鈴村さんにご迷惑かけたかとも思ったが。


 参加者の皆さんを前にして。

 腕まくりをする鈴村さんは、むしろ楽しそう。


「ひのふのみ……、大盛況だな。参加者はお前を入れて五人か」

「ううん?」


 首を横に振った秋乃に腕を無理やり引っ張られて席を立ったきけ子も参加者か。


 でも、きけ子。

 メイクとか嫌いだろうに。


 すげえ嫌そうな気持ちを無理やり苦笑いで隠してるように俺には見えるぜ?


「なんかすまん」

「ああ、いいのいいの。一人じゃ行きづらいだろし」

「でもお前、メイク嫌いそうだから」

「そうなんだけど、あたしもちょっとは教わっといた方がいいのかもなって思わなくも無いから……」

「ほんとにすまん」

「に、西野さんも行こう?」

「そしてお前はこれ以上巻き込むなよ!」


 秋乃のヤツ。

 鞄を手に席を立った王子くんの腕をひょいと捕まえちまったんだが。


 それににこやかに笑いながら。

 王子くんは、カバンを開く。


「あっは! 僕はメイクについちゃ完璧だよ?」

「そ、そうか……」

「お芝居やるもんね」


 秋乃ときけ子のリアクションに。

 王子くんは得意げに汚れた巾着を取り出すと。


 その中からは。

 可愛らしさの欠片も無い、無骨なドーランがごろごろと顔を出した。


「……これは、メイクちがう」

「乙女が足りてない」

「ちょ、ちょっと!?」

「うはははははははははははは!!!」


 結局、王子くんは秋乃ときけ子に引っ張られて。


 集中講座へと連れていかれた。



 ――冬の、ありきたりな一日。

 その放課後の、クラスの片隅。


 いつもは気にもならない女子同士のトークが。

 内容を知ってるせいで、はっきりと耳に入って来る。


 秋乃のせいで、部活の開始時間が三十分後ろに倒れたことで。

 こうして参考書を広げている俺ではあるが。


 妙に気になって。

 まるで内容が頭に入って来やしねえ。


「まったく。今日は部活もないから遊んで帰ろうってことになってたはずなのに」

「そうだよ~。豚まん、楽しみにしてたのに売り切れる~」


 そんな俺の元に寄って来た。

 甲斐とパラガスが、きけ子を見つめて肩を落とす。


 豚まん。

 駅前の、夕方には閉店する豚まん屋か。


 溢れるスープがめちゃくちゃ旨いんだけど。

 学校帰りには売り切れてることが多いんだよな。


「なんか俺のせいですまん」

「は? なんで立哉のせいなんだ?」

「いや……。俺がちょいちょい秋乃の唇見てたせいで、どうやら塗り方失敗してると思ったらしくてこの騒ぎ」

「……この発情期」

「このむっつり~」

「今日はなにも言い返せん」


 普段は凜々花か秋乃がそばにいるからな。

 男同士だからこそ話せる気軽さが嬉しい限り。


 お互い、高校生男子だ。

 スケベや変態に何の気兼ねがあるってんだ。


「でも~。確かに冬の唇はツヤツヤ五割増しで良いよな~」

「だろ?」


 さすがパラガス。

 思春期力を常にさらけ出す男。


「そうなのか? マスクで何も見えんだろ」

「甲斐よ、お前は何も分かっちゃいねえ」

「そうだぜ優太~。お前は何にも分かってない~」

「リップの艶がいいんだろが」

「ちがうよ~。隠れてるから、マスク越しなら無理やりチューできるかもって想像して楽しむんだろ~?」

「……すまん。個人の嗜好についてとやかく言う気は無いんだが」

「お前の思春期が合法で済む国が地球上に見当たらねえ」

「なんでだよ~!」


 ムキになったパラガスが絡んで来るが。

 さすがにそんな想像しねえよ地球人は。


 でも。

 そんな直後に、こいつはなかなか建設的な話を持ち出した。


「じゃあ優太~、チューってどうやるの~?」

「どうって、どういう意味だよ」

「いや、俺には分かるぜパラガス。シチュエーションとか、具体的な方法とか。とにかく全部ひっくるめてどうやるのかって話だよな」

「そうそう~。お前しか分からないんだから教えろよ~」


 普段、みんなでバカ騒ぎしてるからあんまり気にしてなかったけど。

 こいつらだって当然二人でいる時間はいくらでもあるわけで。


 そんな時には。

 そんなことになることもあるんだろう。


「……まあ、確かに気になるよな、男子としては」

「珍しく肯定しやがったな、堅物のくせに」

「堅物だからって、まったく興味がないわけじゃねえ」


 ほほうと腕組みをして。

 パラガスと二人で一つ頷く。


 よし、経験者よ。

 この流れで白状してもらおうか。


「優太~、教えろよ~」

「甲斐、教えろよ」

「お前ら、教えろよ」

「「お前が聞くんかい!!!」」


 パラガスと同時にツッコミを入れた先。

 甲斐が大真面目な顔してたせいで。


 俺は、パラガスと二人で腹を抱えて笑うことになった。



 そんな中、この堅物だけは。

 意味も分からず、一人でむっとし続けていた。



 ……じゃあ。

 恋人ってなんだろう。


 俺は、今日もそんな事ばかり考えて。

 まるで勉強できなかった。

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