いい部屋の日


 ~ 一月十八日(火) いい部屋の日 ~

 ※巣林一枝そうりんいっし

  小さい家でも満足すること




 眺めているだけで。

 夢が、妄想が広がるもの。


 そんなものは数あれど。

 将来必ず現実的に目にするし。

 いくらでも手に入るもの。


 それは。


「全部貰ってきやがって……」

「た、楽しい……」


 学校の最寄り駅を降りて反対側。

 消しゴムを買いに行った時に目についた。


 今どき、紙媒体で店頭に並んでいた。

 不動産屋の空き部屋情報。


 入居する気もないくせに。

 急に興味をそそられたとのことで。


 端から端まで、全部一枚ずつ持ってきてしまったこいつは。


 舞浜まいはま秋乃あきの


 授業中だというのに。

 机に並べてじっくり観察して。


 ずいぶん楽しそうにしてるけど。


「こら、そろそろ勉強に本腰入れろと言ってるだろうが」

「で、でも、すごく楽しい……」


 でも、という言葉の援護射撃になってないんだよ、その理由じゃ。


 さすがに強制介入して。

 家屋をすべて焼き払おうとしてみたんだが。


「こ、ここが立哉君の部屋……」

「お、おお。……そうなんだ」


 やたら照れ臭いことを言われて。

 紙を回収しようとした手をひっこめた。



 ……つい最近まで。

 同居していた俺達だけど。


 あの時は付き合ってなかったし。

 なんなら嫌われてると思ってたからな。


 そんな頃と今とでは。

 一緒に暮らす、なんて言葉の意味が。

 全く変わってくる。


 地方にしては珍しい。

 コンパクトな2LDK。


 広めのリビングに。

 家具を書き込んでいる秋乃の姿。


 二つの部屋の内。

 ひとつは寝室になるわけだけど。


 残りの一つを。

 俺の部屋にしてくれるなんて。


「いいのか? 俺がまるっと一部屋使って」

「うん。だって立哉君には、落ち着いて勉強できる部屋が必要……」


 気を使われて。

 悪い気はしないけど。


 そこまでしなくてもいいんだけどね。


 秋乃と二人で暮らせる、それだけで。

 俺は幸せなんだから。


「で、こっちの部屋が凜々花ちゃんの部屋」

「今日もいい感じにあげて落とすねえ」


 二人じゃないんかい。

 ちょっといい気になるとすぐこれだ。


 ねえ、それ、わざとなの?


 いつまでも楽しそうに物件の間取りを見比べてる。

 その表情をうかがい見ても。

 本気かどうかよく分からん。


 でも。

 俺の部屋、なんて言われたせいで。


 すっかり二人の生活を想像しちまった。


 家事とか、ほとんど俺の仕事になりそうだが。

 上手いこと褒めて、半々ぐらいになるといいな。


 部屋は俺にくれると言うけど。

 ここは二人の趣味の部屋にするとして。

 家具とかどう置こう。


「……間取りの図って、見てると楽しいんだな」

「幸せで……、楽しい時間」

「いろいろ想像できるよな」

「うん。ほんと」

「うん」

「いくつも密室殺人トリックを思いつく」

「なんでだよっ!」


 小声ながら激しく突っ込んでみれば。

 びくうと身を縮めて目を丸くさせる秋乃の姿。


 え? なにそのリアクション。

 大真面目に殺人トリック考えてたの?


「呆れたやつ……」

「そ、そうかな? 例えばこの物件……」

「……ん? ずいぶん安い部屋だな」

「二階から、寝室の真上に侵入可能!」

「そうなんですね」

「だから、お安い」

「事故物件にすんな勝手に!」

「過去、この天井裏からまだらの紐が……」


 怖い話は大の苦手だったのに。

 俺の趣味に付き合ってるうち。

 すっかりミステリにはまったな。


 そう言えば、久しく行ってないから。

 五十嵐さんに頼んで。

 また、マーダーミステリ同好会にお邪魔しようか。


「ねえ、立哉君」

「ん?」


 以前遊んだゲームについて。

 思い出そうとしていたところで。


 秋乃が見せて来たのは。

 随分大きな洋館の見取り図だった。


 そうそう、こんな感じだったよな。

 前にやったゲームの舞台も。


 犯人役の秋乃にまんまと逃げられて。

 みんなで頭を抱えたっけ。


「この家、どうかな?」

「どうも何も……。こんな広いとこ借りたってしょうがねえだろ」

「ここの部屋が立哉君」

「一階なのか? 広そうでいいけど」

「で、あたしの部屋がここ」

「真上?」


 別に、そんな必要はないけれど。

 窓から縄梯子でも下ろせばお互いの部屋を行き来できるのか。


「どう?」

「…………いや、別に」

「ドキドキする?」

「そ、そんな事ねえぞ?」


 妙な含み笑いと共に。

 秋乃が切れ長をもっと細めて俺の顔を覗き込む。


 やめねえか。


 口から心臓が飛び出す、なんてあり得ねえことは言わねえが。

 胃が表裏逆になって口から飛び出しそうなんだから。


「やっぱり、ドキドキしてる?」

「してねえってば」

「そんなこと言っても、ほんとは……」

「ほ、ほんとにだって……」

「ホントは、どこからまだらの紐が出てくるんだろうってドキドキと……」

「うはははははははははははは!!! 事故物件!」


 やっぱり上げてから落とすのな!

 ああもう、ドキドキして損した!


 俺は、怒りのあまり握ったチョークをぼきりと折った先生が何かを言う前に。


 秋乃を連れて、とっとと廊下へ飛び出した。



 寒い廊下に出れば、ちょっとは赤くなった顔も冷めるだろう。

 そう思っていたんだが。


「庭……」

「え?」

「お庭、欲しいよね」


 秋乃の言葉に。

 再び、鼓動が早くなる。


 小さな庭に。

 季節の花。


 水をやる秋乃が振り返ると。

 じょうろから溢れる雫が、秋乃の笑顔に照らされて光り輝く。


「ま……、まあな」

「立哉君もそう思うんだ」

「……ああ」

「だったら……」

「お、おお」

「週末、お庭の掃除に来て?」

「うはははははははははははは!!!」


 そうな。

 お前の家、庭があるのに。


 ガラクタ置き場みてえになってて足の踏み場もねえからな。



 短時間のうちに、三度も上げて落とされて。

 さすがに突っ込む気力もねえ。


 でも、過ぎ隣りで咲き誇る。

 秋乃の楽しそうな顔を見て。


 最後には、気分が上がって終わったから。

 よしとすることにした。




「……立たされても騒ぐとはいい度胸だな」

「げ」

「罰として、放課後は温室の花に水をやる作業を手伝ってもらおう」

「なんでお前と!?」



 ……結果。

 俺の気分は地の底よりも深く沈むことになった。

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