スキー記念日
~ 一月十二日(水) スキー記念日 ~
※
人生に起こる様々な困難。
昨日の雨が。
夜のうちに雪に変わったせいで。
いつもより三十分ほど早く。
銀世界の中に引っ越した自宅の前で待っていると。
おっかなびっくり。
ペンギンのような動きで近づいてきたのは。
「ひゃうっ!?」
「あれま」
絵にかいたようなすってんころりん。
滑って転んで、お尻と背中で雪の上。
ファーのついた赤いショートコートが。
真っ白なファンデーションして照れ隠し。
そんな、ミルクに浮いたとちおとめに。
俺も照れながら、あさっての方を向きながら。
手を差し出して。
コホンとひとつ咳払い。
時間すら凍り付いた冷たい世界の中で。
横を向いた俺の視界一杯に広がる景色。
それはもちろん。
紺の色した学校指定ジャージ。
「くそう! 一面の銀世界を期待してたのに!」
「ス、スケベ対策に、はいてきて正解……」
いくらスカートの下にジャージをはこうとも。
そこは乙女の条件反射。
裾を整えて、カバンでブロックすると。
ふくれっ面を向けて来る。
「なにがスケベだ。言いがかりはよしてもらおう」
「そ、その状態のどこがスケベじゃないのか、ちゃんと説明すること……」
「そんなの簡単だ。こうして九十度横を向いてるだろうが」
「二百七十度、体が横を向いてるから意味がない……」
よっぽど機嫌を損ねたんだろう。
秋乃は俺の手を借りずに立ち上がると。
ジャージとスカート。
そしてコートについた雪をはたいていく。
「しかし、そんなごついスノーブーツ履いといて転ぶかね」
「ゆ、雪の下に氷が張ってるとか、高度なトラップ……」
そりゃそうなるだろ。
雨で濡れた地面が凍ったところに雪が降ったんだから。
「たしか、スタッドレスタイヤだったらこういう路面に強かったはずだが」
「ス、スノーブーツはこういう路面に弱いことが証明された……」
「そんなわけねえだろ。弱いとすればお前の運動神経」
「ふにゅ」
怒っていたと思えば。
急にしおれて膝から雪の中に落ちて。
そしてなにやら悔しそうに。
雪をミトンでポフポフ殴る。
……ははあ、なるほど。
単にお前。
「雪が積もってるからテンション上がりまくって空回りしてやがるな?」
「そ、そんなことない。こいつめ……。えい、えい」
「やめろ秋乃。地面に横たわる敵に攻撃を加えるのはあまりに無慈悲だ」
「ソリッドジハイドロゲンモノオキサイドごときがあたしの足を取るなんて……」
「固体の水って言葉をわざわざ怖く言うな」
それにジハイドロゲンモノオキサイドを舐めたらいかん。
この間、少し触れただけで俺の手の甲に火傷痕を作った恐ろしい物質だ。
……寝ぼけまなこでカップラーメン作る時には要注意だな。
「ほら、早く行くぞ」
「こんな雪なんて、こうしてこうしてこうして……、えい」
「うわっぷ! 雪玉投げんじゃねえ!」
「だ、だって三十分も遊べる……」
「遅延してるだろうから三十分も早く出たんだ!」
どうして遊ぶために早く家を出たと思ったの?
相も変わらず常識のない人だこと。
秋乃の腕を引っ張って。
無理やり立ち上がらせた後。
雪の重みに難儀しながら。
それでも速いペースで駅へと向かう。
電車の遅延は間違いない。
それに電車に乗れたところで。
徐行運転に決まってる。
「遅刻はまぬかれないだろうけど、それでも一時間目の間には学校に着いていたい」
遊びたい秋乃と。
学校に行きたい俺。
今までも。
こういうことは多々発生した。
でも、秋乃と付き合い始めた時に。
こいつは言ってくれたんだ。
希望が異なる場合には。
はっきりくっきり伝えて欲しいと。
その時は。
必ず俺の希望に沿うようにすると。
だからこうして口に出してみたんだが。
秋乃は俺の希望を叶えてくれることは無かった。
だって、俺の希望。
はっきりくっきり伝えるためには。
お前が雪に夢中で忽然と姿を消しているでは不可能だからな。
「どおおおこ行きやがった! おい秋乃!」
「こ、ここ! スキーできそう!」
お前、膝まで潜って空き地入って。
塀に沿って出来上がった雪の斜面見上げてるけど。
「道具も無しに何言ってやがる」
「こ、こんな事もあろうかと……」
「鞄からショートスキーだと!?」
「ではさっそく……」
「無理無理! 風に吹かれて積もっただけで、圧雪されてなきゃ潜るだけ!」
「でも……。試してみたい……」
「無理だっての。あいつくらい敏捷じゃなきゃな」
俺が指差す先にいるのは。
ご近所で評判のラブラドールレトリバー。
スタッドレスタイヤも履いてないのに。
雪の中を平気でサクサク歩いてる。
さすが4WD。
でも、ラブラドールを連れて歩く二輪駆動な女の子の方が難儀そう。
小学生には、雪は深すぎるし。
氷に足を取られて、何度も転びそうになっている。
確か、朝の散歩当番はお母さんだったはず。
秋乃と同じで、雪にテンション上げて出て来たんだろうな。
でも、あまりの歩きづらさに音を上げている模様。
俺に困り顔を向けて何かを言おうとしているんだが。
「ああもう。家まで連れてってやるから」
「で、でも……。ラブのお散歩、まだ始まったばっかり……」
そういうところは融通利かせろよ。
なんて思ってはみたけれど。
きっとお母さんに大見え切って出て来たんだろう。
あっさり帰るわけにはいかないんだろうな。
でもまさか代わりに散歩させるわけにはいかないし。
一体どうしたら……。
「お、お姉ちゃんに任せなさい!」
「あ……。変なお姉ちゃんだ」
「変!?」
「この間は、風船取ってくれてありがとうございました……」
俺の知らない所で。
秋乃がこの子にどんな変な姿を見せて。
そして、どんな親切をしてあげたのやら知らないが。
女の子は丁寧にお辞儀して。
バランス崩してすってんころりん。
そんな拍子に放したリードを。
秋乃がすかさずキャッチする。
「おい、散歩なんてしてる時間ねえぞ?」
「ぜ、全速力なら大丈夫……。立哉君は、しのんちゃんをお家に連れてって……」
「全速力?」
眉根を寄せる俺に。
自信たっぷりに頷いた秋乃。
その足には。
ショートスキー。
「お前、まさか!」
「はいよラブラドルドルフ! 地平線のかなたまで突っ走れ!」
「わおん!」
一声咆えたラブちゃんが。
秋乃の合図と共に走り出す。
すると犬ゾリよろしく、雪の上を滑走する秋乃が。
楽しげな声と共にあっという間に遠ざかる。
でも、さっきも言ったけど。
スキー板ってやつは、圧雪してないとこだとよっぽどの上級者じゃないと雪に埋もれるだけな訳で。
足がひとたび雪に潜ったら。
ラッセル車のように、脛から膝へ、そして腰へと雪が積もって行って。
あっという間に等身大雪だるまが完成した。
「た! たすけもご……」
「うはははははははははははは!!!」
そんな重量をものともせず。
雪だるまを牽いたラブちゃんは、雪に埋もれた道なき道を突き進み。
畑に突入して、凍った用水路を一気に渡ったんだが。
雪だるまの方は、薄氷を割って水没した。
「うはははははははははははははははははははははははは!!! は、腹いてえ!」
すぐに助けに行きたいのに。
笑っちまってまるで走れねえ。
ようやく氷水から秋乃を救出したころには。
凍えて震える唇から、いわれのない文句が雨あられ。
しょうがないから、舞浜母に電話して。
風呂を沸かし始めた家へと秋乃をおぶって戻ることにした。
やれやれ。
今日は学校サボりだな。
俺は、おぶる秋乃から滴る冷水で凍り始めた震える身体で携帯を取り出すと。
親父に風呂を沸かしておくように電話した。
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