蔵開き


 ~ 一月十一日(火) 蔵開き ~

 ※躊躇逡巡ちゅうちょしゅんじゅん

  ぐずぐずすること




 学生にとっての日常。

 それは。


 自分の席から眺める景色。


 席替えというものをしない担任のせいで。

 愛着まで感じるほど馴染んだこの景色は。


 今や、いかなる時でも。

 

 俺に安らぎを与えてくれるようになった。



 ここ数日。

 訪れた変化が俺に与えた焦燥。


 それがまるで嘘のように。

 こんなにも落ち着いて。


 素晴らしきかな日常。

 教室の窓側、一番後ろの席は。


 俺に安らぎを与えてくれる。

 心のオアシス。


 だからこんなにも。

 安らいだ声音で。


 挨拶が出来るのだ。



「み、みんな! 本日は良いお日柄も実に素晴らしくワンダフォー!」

「…………なに言ってんだ~、立哉~?」

「外、土砂降りなのよん?」

「……安らぎとは」



 気を付けていないと。

 右手と右足が同時に出てしまいそうなほどの緊張感。


 朝からずっと冷や汗をかき続ける原因になっている。

 お隣りに座っているこの女は。


 舞浜まいはま秋乃あきの


 席に着いても。

 ずっと緊張しっぱなし。


 手にはじっとり、滴るほどの汗をかいて。

 そんな雫で出来た海を。

 視線がすいすいスイミング。


 結局、カミングアウトしたものかどうか。

 決まることなく迎えた今日。


 秋乃は、隠すでも告白するでも構わないとは言ってくれているが。


 隠すにしても。

 告白するにしても。


「できるか! と、叫びたい」

「お、同じく…………」


 まったく同じ思考速度。

 お隣りから俺を見つめながら。


 額に脂汗を浮かべている秋乃と顔を見合わせて。

 同時に深いため息をつく。


 そもそも日陰に生息していた俺たちが。

 扉を開けて明るい世界に飛び出して。


 みんなの注目を浴びる事なんてできやしない。


 だったら隠し通せばいいじゃないかと言われても。

 人付き合いが苦手な俺たちに。


 そんな器用な真似ができるはずもなく。

 蔵の隅で、びくびく過ごすことになるだろう。


 山に登ろうが川を下ろうが。

 どちらを向いても険しい道。


 でも、隠し通すと決めたなら。

 これから毎日、こんなプレッシャーと戦い続けなきゃならないわけだ。


 ……カミングアウトしねえと。

 そう決めた俺が。


 顔というキャンバスに。

 塗りたくったその色は。


「り、理解できたかも……」

「助かる」


 今日は無理。

 明日頑張る。


 そんな顔色を。

 秋乃は一目で察してくれた。



 ――ホームルームの五分前。

 予鈴が鳴るまであと数分。


 せめて授業が始まれば。

 こんな緊張から解放されるだろう。


 でも。

 その数分が針のむしろ


 年末年始の間、まるで会っていなかった。

 懐かしい顔が出揃うと。


 そのほとんどが。

 俺たちに鋭利な視線を投げて来る。


 そりゃそうだ。

 秋乃が年末に。

 ホテルに無理やりみんなを招集したあの騒ぎ。


 その後、どうなったのか。

 知りたいなんて当たり前。


 こんな視線にさらされて。

 秋乃もきっと同じような心地に……。


「ま、まるで聖剣エクスカリバーのむしろ……」

「俺以上のダメージだったか」


 ワンチャン、針なら痛いで済む可能性もあるし。

 なんならうまいことツボに刺さって健康になるやもしれん俺に対して。


 そんな筵に座ったら。

 即刻シュラスコだ。


 そんな秋乃のことを不憫に思った俺は。

 覚悟を決めて立ち上がった。



 ……予鈴が、椅子の音で掻き消される。

 俺たちを見ていた瞳が、期待で大きく見開かれる。


 一瞬が数時間にも引き延ばされたような。

 そんな感覚に襲われながら。


 俺は、我ながら男らしく。

 単刀直入に、結論だけ叫んだ。



「ほ、本日は蔵開きと申しましてですね?」

「なんだなんだ?」

「それがどうしたんだよ」

「なに言い出したんだ立哉」



 うぐ。

 激しい突っ込みが各所から。

 高速で入ってきて二の句が継げなくなる。


 だがここで踏みとどまってはいけない。

 俺は再び、熱く煮えたぎるような肺腑に冷たい空気を流し込んで。




「俺! こいつと付き合い始めたんだ!!!」




 …………どういう訳か、一年生の女子を連れて。

 交際をカミングアウトした吉川君のせいでクラス全員の耳目を奪われてしまった。




「なあああにいいいい!?」

「まじかおめでとう!」

「めでてえわけあるか!」

「そんな可愛い子と貴様……っ!!!」


 途端に爆発した男子一同。

 好意的二割、好戦的八割と言った世紀末。


 門出を祝福する平和なシビリアンが。

 圧倒的暴力に駆逐されていく。


「…………ほ、保坂先生の次回作にご期待ください」

「こんな恥ずかしい冒険が、まだまだこれからもずっと続くのか?」


 秋乃に打ち切られた作家としては。

 大人しく席に着くしか術がねえ。

 

 明日には必ず。

 俺が、そう心に誓うと同時に。


 ……秋乃が。

 がたっと椅子を鳴らして立ち上がった。


「ま……、まさか、お前」

「あ、あたしに任せて……」



 人付き合いが苦手で。

 恥ずかしがり屋の女の子。


 そんな今までのイメージを覆すような行動は。

 彼氏という存在ができた故のものなのだろうか。


 呆気にとられて、止める間もなく。

 ただ茫然と見上げていた秋乃の雄姿。


 飴色の髪をなびかせて。

 息を大きく吸い込む姿に。


 みんなの目が集まったその瞬間……。



 がらっ



「……なにをしとるか、舞浜」


 タイミングの悪いことに。

 先生が入ってきたせいで。


 行き場を失ったセリフが。

 数秒間のわたわたを経て。


 姿を変えて。

 口から飛び出した。


「………………じ、次回作の先生にご期待ください」

「うはははははははははははは!!! あいつを打ち切りにしやがった!」


 言い間違えか。

 それともワザとか。


 とにもかくにも先生の顔を一瞬で真っ赤に染め上げたその言葉が。

 クラス中の笑いをかっさらうと。


 ファンからの。

 こんな応援メッセージを頂戴することになった。


「そのまま立っとれ」


 ……もちろん、審査員である俺は。

 頑張ったで賞として、秋乃の肩を叩いて座らせると。



 代わりに廊下へ向かったのだった。

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