110番の日


 ~ 一月十日(月祝) 110番の日 ~

 ※鎧袖一触がいしゅういっしょく

  鎧兜がわずかに触れただけで

  たやすく相手を倒すという例え。




 明日からの。

 三学期開始を迎えるに当たって。


 問題が二つある。


 そのうち一つ目の懸念。

 大事を取って、今日も横になっているこいつは。


 舞浜まいはま秋乃あきの


 風邪をひいたのはこいつ自身のせいではあるが。

 それでも甘やかすのが彼氏としての義務だろう。


「角煮おじや、おいしい……。お代わり……」

「はいはい」


 限界まで脂を落としたトロトロトンポーローをふんだんに突っ込んだ玉子おじや。


 流石に、フーフーあーんについてはハードルが高すぎて実行できなかったが。


 茶碗を差し出されて。

 土鍋からよそってやるこの行為。


 悪くはないと思ってしまう俺なのだった。



 ……長い休みの始まりに。

 彼氏になると宣言をしてからというもの。


 毎日、たくさんの時間をこいつと過ごして。

 一緒にいない間も、いつも秋乃のことを考えて。


 やりたいこと、体験したいことは一年分ほど思いついたのに。

 フーフーあーんだってそのうち一つなのに。


 二十日ほどの時間が。

 何事も成すことなく過ぎていった。



 仕方がないから無理をせず。

 付き合う前からやっていたような行為を繰り返す。


 つまり、今日も。

 秋乃が喜ぶだろうと。


 メシを作って持ってきてやって。

 こうして食わせてやってるわけなのだが。


「ごちそうさまでした」

「おう、おそまつさま。さて、秋乃。一つ話がある」


 土鍋の残りをさらってお椀に入れて。

 キッチンペーパーとウェットティッシュでその場で洗い物を済ませながら。


 俺は、改まって。

 秋乃に問いかける。


 それは、明日からの。

 三学期開始を迎えるに当たって二つある問題。


 そのうち風邪じゃない方の懸念。


「お薬飲みながらでもいい……?」

「構わん」

「何のお話し?」

「ただいまより、緊急会議を行います」


 俺の宣言に。

 どういうつもりか、目を輝かせた変わった子。


 やったことないものは何でもやってみたい。

 そんなお前のことは分かっているつもりだが。


 お尻でぴょんぴょん跳ねるほど嬉しいか?


「そ、それ、やってみたかった……!」

「何度かやったことあるだろ、緊急会議」

「本格的な、誰かが会議室に駆け込んでくるやつは未体験……!」

「だれも駆け込んでこねえよ!?」


 いや、えーって顔されても。

 春姫ちゃんにも舞浜母にも頼めねえだろそんな役。


「た、大変です! わが社の株が! って」

「会議中に誰かが駆け込んでくるのはドラマだけ」

「そうなの? でも、会議の前に、ひとつ気がかりが……」

「きっとくだらないことなんだろうけど一応聞いておこうか」

「おじやなんか食べたから、パワーランチが食べられないかも……」


 おじやなんかとはなんだ。

 お代わりまでしたくせに。


 あと、パワーランチって何?


「ごちゃごちゃ言ってねえで。会議を始めるぞ」

「議題は何でしょう?」

「……お前との関係、みんなに言う?」


 すっかり忘れてたと言わんばかり。

 眉根を寄せた秋乃は、腕を組んで深々と鼻から息を吐く。


「重要案件……」

「だろ?」

「立哉君はどうしたいの?」

「これが、どっちも一長一短あるんだよな」


 そうだよねと頷いた秋乃。

 お前もどっちが正解かわからんか。


 どっちか希望があれば。

 従うつもりではいたんだけど。


「そもそも、うちの学校って、彼氏とか禁止?」

「そんなバカな。校内にどれだけ付き合ってるやつらいると思ってるんだ」

「じゃあ、話した方が気楽とは思うけど……」

「まあそうだな。俺もこそこそしたくはない」

「で、でも……。万が一ポリス案件だったりしたら……」


 そう言いながら。

 洗い終わった土鍋の蓋を被って。

 箸を手の平にパンパンぶつけるにわかポリス。


「…………ほんのり、頭があったかい」

「なんだその感想。それに警棒も弱そうだ」

「そっちのセットの方が良かった……」


 まあ、そんなトスは拾っておくのが自然だろう。


 俺は土鍋の本体を被って。

 お玉を手の平でぱんぱんさせて。


 思ったままのことを口にした。


「ほんのり、頭があったかい」

「そ、それなら外に出ても平気かな……?」

「風邪ひいてるやつがなに言ってんの? 外、無茶苦茶寒いぞ」


 おじやの余熱ごときでどうこうなるもんじゃない。

 絶対、体調崩すに決まってる。


「は、春姫にもそう言われて止められた……」

「当然だ。お姉ちゃん想いのいい妹じゃねえか」

「で、でも……。予定が……」


 そう言いながら。

 秋乃が見せて来た携帯の画面。


 そこに表示されたスケジュールに書かれていたのは。


「天体観測?」

「ちゃんとした天体観測じゃなくてね? あそこに行ってみたかったの……」

「どこ」

「ベンチのある山……」


 ベンチ。

 ああ、すぐ近所の見晴らしのいい山か。


 あそこは、そう。

 俺が二回目の告白をして見事に撃沈した場所。


「だめだだめだ。吹きっ晒しで凍えるような場所だし、それに何より行きたくない」


 今となっては、と、思わなくもないが。

 クラスの全員に見守られながら。

 笑い者になった嫌な場所。


 でも、秋乃は。

 少し寂しそうに俯くと。


「だから……、行きたいの」

「どういうことだよ」

「凜々花ちゃんとの、素敵な思い出の場所だったんでしょ?」

「う……。まあ、そうだけど」

「そんな場所が嫌いなままなんて……。あたしは、いや」


 寝たきりだったせいで。

 いつもより薄く開いた切れ長が。


 俺を見つめながらまつげを揺らす。


 そう、秋乃は。

 誰かの悲しいを拾って歩く。


 幸せの宅配便。


 折角の凜々花の宝物が。

 輝きを失ってしまう原因を。


 楽しい時間に塗り替えて。

 取り除こうとしてくれている。



「…………ありがとう」

「じゃあ、善は急げ……ね?」

「ちょっとだけ……。行って帰って来るだけだからな?」


 寝巻に土鍋を被ったままの秋乃が。

 コートを羽織ると。


 まるで子供の悪だくみのような顔で、口に一本指を立てる。


 俺もいたずらをしたときの。

 懐かしいドキドキ感に心を弾ませながら土鍋を被り直して。


 扉を開いたら…………。



「うはははははははははははは!!! ポリス!」

「あ、あたしたちより完璧な装備……」


 どうしてバレたんだろう。

 鉄鍋を被って綿棒で手の平をパンパンさせた春姫ちゃんが。


 扉の前で仁王立ちしていた。



「……ハウス」



 そんな正しい装備のお巡りさんの命令により。


 秋乃はベッドに。

 俺は家へと帰ることになった。

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