風邪の日
~ 一月九日(日) 風邪の日 ~
※
心底、おそれかしこまる。
人は。
環境が変わると体調に支障をきたしやすいものだ。
これは物理的、精神的。
どちらの環境変化についても当てはまる話なのだが。
「精神的、だよなあ?」
「……物理的には今まで通りなはずだからな」
鬼の霍乱。
青菜に塩。
まさか秋乃が。
「風邪をひくとは……」
「……微熱とは言え、学校が始まる前だしな。無理は禁物」
そう呟いた春姫ちゃんから。
朝方にメッセージを受け取った俺は。
駅前に出て。
この辺りでは誰知らぬ者とてない、見舞いの定番を手土産に。
インターホンを鳴らすのもはばかれるので。
春姫ちゃんにメッセージを送って家へ入れてもらったところだ。
「これ、お見舞い」
「……おお。駅前のお見舞いプリン」
「そんな呼ばれ方してるのか」
俺も一度口にしたことのあるご近所銘菓のミルクプリン。
味はともかく、舌触りがシルクのように滑らかでのど越しが心地いい逸品だ。
「……お姉様が健康な方なので、私はこれを口にすることはないものと思っていた」
「指を咥えて喉を鳴らすことが幸せのサイン、か。水平思考ゲームのお題みたいだ」
「……相変わらずうまい事を言う」
「さて、そんなプリンを春姫ちゃんにも振舞うわけなんだが」
「……ふむ。推理に協力せよという訳だな?」
さすが春姫ちゃん。
俺の悩みを確実に汲み取ってくれる。
そして二人で同時に二階の秋乃の部屋を見上げると。
早速会議を開催した。
「……女子としては、だ。お見舞いに心より感謝いたしますが、失礼を承知で顔を合わせることはご容赦願いますというのが本音だろう」
「女子としては、か。それはルックス的な問題が大きいのか?」
「……女子だからな」
「さて、そこで問題です。……秋乃に、そんな女子っぽい感性あると思うか?」
俺が朝から抱えていた最大の問題に。
この才媛も即答できずに腕を組む。
秋乃よりも細くて小さな手指を二の腕でとんとんと鳴らしながら。
目をつむって天を仰いで。
うむむと唸りながらさんざん悩んで。
ようやく出た結論は。
「……ドロー」
「そうなんだよ。俺の中の主審も副審も会場審査員も視聴者投票も。全員同意見なんだよな」
見舞いの際。
会いたいと思うのか。
それとも困るのか。
基本、俺にはわがままなのに。
妙なところで気を使う秋乃に直接聞いたところで。
本心がどっちかなんてわかるまい。
それなら、この小さな天才に判断を委ねようと。
丸投げしてみたんだが。
結果は同じだったかと。
ため息をついたその瞬間。
「……ふむ。それでは審査委員長に聞けばいいではないか」
「だれ」
「……立哉さん」
「ん?」
「……立哉さんご自身はどうしたいのだ?」
「だからその判断が付かないから……? いや。そうか」
なるほどな。
秋乃がどう思うかじゃなくて。
俺がどうしたいか、ということか。
さすがは春姫ちゃん。
おかげで答えが出たぜ。
「顔色ぐらい見ておきてえかな」
「……ふむ。それでは私は、紅茶とお見舞いの品を配膳してお持ちしよう」
「じゃあ先に行ってるな」
「……立哉さんの決断に、幸あらんことを」
らしくなく。
敬礼などして見送ってくれた春姫ちゃんの姿に笑い声を漏らしながら。
階段を上って。
秋乃の部屋をノックする。
「どうぞ」
意外と元気そうな返事に胸をなでおろしつつ。
扉を開いた瞬間。
俺は絶句した。
「な…………?」
秋乃の部屋と言えば。
実験道具に工作機械。
足の踏み場もないほどのガラクタと。
天を突くほど山になった専門書で埋め尽くされているのがあたりまえ。
それがどうだ。
落ち着いたベージュを基調としたラグとベッドとカーテン。
家具はシックにこげ茶の物で統一されて。
それでいながら花瓶やらレースやら。
女の子らしさもふんだんに感じられる。
そんな部屋と秋乃が、俺を出迎えてくれたのだ。
「だ、大改造……」
「お、お姉様!? いつの間に……」
後から入って来た春姫ちゃんも目を丸くする部屋の主は。
弱った笑顔のまま半身を起こすと。
「た、立哉君が入ろこともあるだろうって思って……」
そう言いながら。
弱々しく咳をした。
「それで? お見舞いに来てくれたの? それとも、何かのゲーム?」
「どっちでもねえ」
「……これは、同票という結果を出した愚か者からの謝罪」
首をひねる秋乃の前に。
正座して床に額をこすりつける愚か者が二人。
そのうち一人は、ほぼ土下座という姿勢のまま。
恭しく紅茶とプリンを秋乃に献上していた。
「あ……。これなら食べれるかも。ありがとうね、立哉君」
「そうか、食欲なかったのか」
「うん……」
「その……、なんだ。環境が変わったせいか?」
「風邪の原因?」
「そう」
「この部屋のせいじゃないとは思うけど……」
俺との関係性が変わったことが原因なんじゃねえか。
そういう意味で聞いたんだが。
こいつが、部屋のことを指摘されたと感じてくれたことで。
どうやら杞憂だったってことが分かった。
……でも。
そうな。
部屋のせいなんじゃねえの?
明らかに変なにおいが無くなって。
風通しもよくなったようだけど。
汚部屋暮らしの人がたまに掃除すると。
風邪ひくって聞いたことがあるからな。
「……立哉さん。こんな乙女な部屋がお姉様にお似合いではないとでも言いたいのか?」
「ひでえ。手のひらを返したように」
「……とにかく。具合を悪くされたのはこの部屋のせいではない」
「おお。そうだな、この部屋のせいじゃない」
こうして女子らしいことをしてみたのに。
それが悪と言われたら。
しょんぼりすることだろう。
俺は、部屋を一通り褒めてやって。
プリンを頬張る秋乃に笑顔をあげた後。
気になったことを聞いてみた。
「それにしても……。実験機材とかどうしたんだ?」
「それはもちろん、どのご家庭にもあるごく普通の地下実験施設に移設……」
「ねえよそんなもん!」
「……それでここのところ、夜な夜なうるさかったのか」
「もっと気にしろよそんな大工事!」
「……お父様に頼んで作っていただいたのですか?」
「立哉君の家からこっちに戻る条件としてお願いしたら、喜んで作ってくれた……」
なんて呆れた話だ。
でも、あの親父ならさもあらん。
「快適な実験室、昨日完成してね? 昨日は一晩中籠ってた……」
「なんだ。じゃあ、原因は寝不足か?」
「違うと思う……」
「だったらやっぱり……」
環境の変化。
この部屋のせいじゃないとしたら。
俺のせい。
環境が変わったから。
体調崩したのかもな。
……ここのところずっと。
恋人っぽい事を強要し続けてたからな。
反省しねえと。
ゆっくりゆっくり。
自然と変化していくように。
そう心掛けないと。
二つ目のプリンにかけようとした手を止めて。
俺の様子をうかがう秋乃に。
肩をすくめながらも笑顔を送ってやる。
今までだったら。
そんな遠慮、見せなかったろうに。
俺がお前に。
無理をさせているんだな。
「風邪の原因……、ほんとにこの部屋を綺麗にしたせいじゃない……」
「ああ、そうだな。原因はきっと、俺……」
「た、多分、一晩中いた実験室にエアコンだけはまだついて無くて、まるで冷蔵庫だったから」
「うはははははははははははは!!! じゃあ風邪ひいたの、やっぱりこっちの部屋綺麗にしたせいじゃねえか!」
人間。
急な変化には馴染めない。
今日は、そんな事を。
思い知らされる日になった。
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