イヤホンの日


 ~ 一月八日(土) イヤホンの日 ~

 ※夫婦漫才めおとまんざい

  夫婦じゃない男女コンビがいると知って。

  小さな頃は驚いた。

  今は驚きはしないが。

  その代わり、邪推するようになった。




「何を見てたの?」

「な、なんでもねえ……」


 ワンコバーガーでバイト中。

 見つめていたのは。

 テーブル席のカップルさん。


 二股のイヤホンを、片耳ずつ付けて。

 身を寄り添わせて幸せそうに聴いている。


 秋乃は、ちょっと眉根を寄せて。

 俺が眺めていたテーブルに目をやると。


 頬に指を当てながら。

 ふむと小さく頷いた。



 ……実は昨日。

 凜々花が親父と見ていたアニメで。


 主人公とヒロインが。

 ドキドキしながら同じことをやっていたのを見てからというもの。


 どうやったら秋乃と片耳ずっこができるのか。

 そればかり考えていたんだ。


 だが、ここ数日の反省から。

 俺は一つ学んでいる。


 事を成すには。

 才たけて。


 不自然にならないよう。

 ほんとにたまにだけ。


 あのテーブルを。

 ちらっと見つめ続けていた。



 ……俺が気を抜いたタイミングを見計らって。

 笑いをぶつけて来る、この観察者。


 舞浜まいはま秋乃あきのが。


 そんな視線に。

 気付かぬはずはない。


 案の定、見事にトラップに引っかかって。


 俺の狙い通り。

 片耳ずつイヤホンの願いを汲み取ってくれたのだ。



「……よし」

「よし?」

「いや、ようやく休憩だなと思って」

「ほんとだ」


 俺たちが、レジを朱里に任せて。

 雛さんが抜けたせいで厨房に籠りっきりになったカンナさんに声をかけて休憩室に入ると。


 早速とばかりに。

 秋乃が鞄から携帯を取り出す。


「さ、最近ダウンロードしたんだけど……。聞く?」

「お? いいね。でも、どうせなら同時に聞いて『今のフレーズいいねえ』とか言ってみてえ」

「ああ、そういう事だったのね……」


 隣同士、寄り添う二人。

 そんな本心を隠しつつ。


 俺は、恐らく告白してから始めての恋人っぽい瞬間を迎える事に。


 心躍らせながら、秋乃の隣に腰を掛けた。



 ……秋乃が隣でイヤホンを携帯に差している間。

 俺は平静を保ちながら、正面を向いたまま。


 ごごっと椅子を寄せると。


 秋乃もごごっと椅子を動かして。


 そして手渡される。



 ワイヤレスイヤホンの『R』



「…………寄った分だけ離れたのはそういう事か」

「え? も少し離れないと狭い?」


 画龍点睛を欠く一手。

 最後の詰めを誤った。


 こいつは本気で。

 俺が、同じものを聴いて感想を言い合いたいと思ったようだ。


「無線か……」

「マスクをしながらイヤホンしてて、水を飲もうとしてマスク外したら……」

「あるあるだな。イヤホン抜けた時痛かったろ」

「がゆえの、ワイヤレス導入」


 えっへんとご機嫌な秋乃が。

 曲を選び始めたんだが。


 まだ勝負が決まったわけじゃねえ。

 切り札は、最後に取っておくもの。


 俺は、自分の鞄を広げて。

 起死回生の手段を取り出した。


「お、俺は使い慣れたゴム製じゃないと嫌なんだよ」

「そうなの?」

「だからこっちの、使い慣れたイヤホンを……」

「…………使い慣れた?」


 秋乃が見つめる俺の手に。

 握られているのは、ワイヤー式の。



 新品のイヤホン



 ……やば。


 いきなり破綻した。


「ゴゴゴ、ゴムキャップが無くなってな?」

「ああ……。無くなるよね、あれ」

「そうそう! それで買い換えたんだよ!」

「なるほどなるほど」


 俺の狙いに気付いたのかそうではないのか。

 ポーカーフェイスのせいでまるで分からん。


 それこそ、ポーカーする時は。

 役がそのまま顔に表示されるくせに。


「じゃあ……、それ貸して?」

「お、おお。ちょっと待ってろ」


 まるで秋乃のわたわたが乗り移ったよう。

 俺はもたつきながらイヤホンをケースから取り出して。


 ようやくジャックと『L』の側を秋乃に手渡してから。

 『R』を耳にしてコホンと咳払い。


「ど、どんなのなんだ?」

「二人で聴くのに、最適って思う……」

「ほ、ほう? そ、そうなんだ」


 止まらないどもりと咳払いを聞きながらも。

 秋乃は椅子を寄せて、イヤホンを耳にする。


 くっ付きそうでくっ付かない。

 微妙な距離感。


 感じそうで感じられない。

 秋乃の体温。


 自分の力では抑えようもない鼓動が、音となってあふれ出しそうな口をつぐんでいると。


 右の耳から流れて来たのは。

 ドキドキするほどロマンティックな音楽。




 ……ではなく。




『あかんあかん! あだ名のお陰で助かる例もあるやろ! 例えば、寿限無なにがし』




「うはははははははははははは!!! なんでやねん!」


 漫才の。

 ボケの方だけが聞こえて来たのだった。


「漫才をステレオで聞くな!」

「この方が臨場感……」

「あるけども!」

「で、でも、一つ問題が……」

「そりゃそうだろよ。そっちの耳から聞こえるのって」

「うん。なんでやねんばっかり」


 当たり前だろそんなの。

 呆れたやつだな。


 これが狙いなのか天然なのか。

 まるで分からねえけど。


 一瞬にしてドキドキムードが崩壊したことだけは確か。



 しょうがないから。

 耳から入る言葉をそのまま口に出すと。


 お返しとばかりに。

 秋乃もそのまま口にする。


 そんな、時間差漫才は。

 楽しい時間になるはずもなく。


 両耳から入って来る異なる情報のせいで。

 めちゃくちゃ集中を余儀なくされた。



 ……そのせいで。

 他のどんな物事も考える余地が無かったからかな。


 俺たちは、とっくに過ぎていた休憩時間を。

 休憩室に飛び込んで来た拗音トリオの騒ぎでやっと気づくことになったんだが……。


「にょーっ!! 先輩、大変ですよ!」

「何やってたのさ……」

「にゅ!」


 こいつらが言うには。

 どうやら、カンナさんがカンカンになっているらしい。


 やれやれ。

 こりゃあ、バイト代カットもまぬかれまい。


「……すいません、遅くなりました」

「お前ら、客引きな」

「今日は何も言い返せん」


 カンナさんに命じられるまま。

 俺たちが寒空に出ると。


 そこには、ミカン箱二つと。

 マイクが置いてあった。



「聞いてやがったのか……」

「お、お披露目できるね!」



 果たして、他人のネタで客引きをしていいのだろうか。

 そんなことを考えたまま。


 秋乃が喜び勇んで持って来たイヤホンを耳に付けた俺は。

 ぽつりぽつりと集まった人たちの前で。

 ボケ続けることになった。



「なんでやねん!」

「そ、それ、あたしのセリフ……」

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