千円札発行の日


 ~ 一月七日(金) 千円札発行の日 ~

 ※蒲鞭之政ほべんのまつりごと

  やさしい思いやりのある政治




 彼氏になったら。

 彼女が出来たなら。


 今までとすべてが変わるのかと思っていたのに。

 今までとなーんも変わらん。


 ……いや?

 変わったか。


 こうして。

 妄想する時間が増えた。



 連休も終わりが近付き。

 進路について、明確な未来へ続く一歩目を確定しなければいけない頃合いなのに。


 どてらを羽織ってベランダに足こたつを持ち出して。

 朝から昼下がりまで、ずっと。

 東京にいた頃とは比べ物にならない程、広く果てしない空をぼけっと眺めている。



 秋乃との関係の変化。

 この変化が俺にもたらしたこと。


 あれやこれやと考えてみたが。

 結論として。



 まるでプラスになっていない。



 そんなネガティブな考えは良くないと。

 そもそも秋乃に失礼だと。

 反省の気持ちを込めて舞浜家へ向かう。


 今日は秋乃に何を言われてもにこやかに振る舞おう。

 なんならお姫様気分にさせてやろう。


 インターホンを押しながら。

 俺は心にそう誓った。



 ……

 …………

 ………………



「というわけで秋乃にはこの怒りをぶつけられねえんだよ分かったかクソ親父!」

「この馬の骨が! 貴様のせいで、なんで私までこんなマネを……!」

「お前のせいだろうが!」

「貴様のせいだ!」

「……二人とも。口では無く手を動かしなさい」

「「御意」」



 ――昨日。

 こいつが乱射したエアガンのせいで。


 窓やら扉やら。

 果ては崩れかけていた外壁まで、至る所に穴が開いた舞浜家。


 その補修工事を司令官に命じられた男手二人。

 いがみ合いっ放しでセメントを壁に塗りつけているんだが。


 エアガンって。

 ここまで威力あるものか?


「お前が昨日撃ったやつ、改造でもしてるんじゃねえだろうな」

「何をバカな。正規品だ」


 正規品。

 そうなのか?


 にわかに信じられない発言に眉根を寄せた俺の目に。

 壁にめり込んだまま止まった、ぺしゃんこになった鉛が映る。


 ん?

 正規品?


 こいつ、自衛隊に顔が利くとか言ってたっけ?


「……急に黙りこくって。どうしたのだ、馬の骨」

「いや何でもごじゃいませぬよ?」


 この記憶と証拠をすべて消さないと。

 俺が消されることになる。


 そんな恐怖と共に。

 崩れた壁を、鉛弾ごとコンクリで塗り固めた。


 なにも見てません。

 なにも見てません。



 ……そんな左官作業を始めて一時間。

 せっかく太陽であたためられた空気が。

 北から吹き付ける風に押し流されてしまったせいだろう。


 冷え切って感覚のない手に痛みが走る。

 足が固まって、歩くたびにじんじんとしびれが走る。


 でも、頑張らなければいけない。

 そう思わせる見事なまでの飴と鞭。


「ご、ごめんね? こんな仕事させて……」

「……甘やかさなくて結構。ほら、そこの塗装が甘い」


 この、飴と鞭という物に。

 疑問を感じていた俺だが。


 なるほど、実際に体験すると。

 簡単なメカニズムなのだということがよく分かった。


 厳しい春姫ちゃんに対して。

 申し訳なさそうにお願いして来る秋乃。


 心理的には。

 春姫ちゃんに舌打ちしつつ。

 秋乃に感謝の念を抱くようになる。


 この相対性が、ちょっとした錯覚を巻き起こし。

 秋乃は味方に感じて。

 彼女のために頑張ろうと思うようになり。


 結果、熱心に仕事に打ち込む作業員が生まれるという訳だ。



 ……だが。

 そんな飴と鞭が効かない男もいるわけで。



「業者を呼べば済むだろうに。なぜ私がこんなことを……」

「……お父様には、凜々花のケーキを台無しにした罰でもあるのです。手が止まっていますが?」

「うぐ……。春姫がこんなことを言うようになったのも貴様のせいか!」

「うわっぷ! セメント投げて来るんじゃねえ!」


 確かに。

 出会った頃の春姫ちゃんとはずいぶん変わったと、俺も思うけど。


 でも、中二の初めから中三の終わり。

 性格に変化があるのは当然の時期だ。


「ぺっ! ぺっ! くそう、勝手なこと言いやがるダメ親父め……」

「なんだと!?」

「そもそも、花がどう咲くかなんて、お前の勝手で決められるものじゃねえだろ」

「……ほう? 私を花に例えるとは。恥ずかしくはあるが、嬉しいものだな」

「春姫にまで色目を使うか! この魅力も無い路傍の石如きが……!」


 歯噛みするクソ親父がに反撃しようとも思ったが。


 その言葉の中に。

 気になる単語が含まれてたから。


 この際訊いてみることにした。


「それな。俺も自分の魅力ってやつに疑問を持ってたんだよ。おっさんの言う男の魅力ってのは何だ?」

「金と権力」

「うわあ悪役。……うわっぷ! だからセメント投げるな!」


 こんな言葉に同調する奴なんかいねえだろ。

 俺は鼻で笑いながら、飴と鞭に振り返ると。


「……まあ、それはそう」

「必要だと思う……」

「まじか」


 意外にも。

 最大得票者が似合わん鼻歌を演奏することになった。


 そうか、そういうものなのか。

 俺もちょっとは考え方を改めよう。


 まあ、それはともかく。


「で、だ。秋乃はなにをわたわたし始めた」

「た、立哉君がお金と権力があるところを見せないと……」

「ふはははは! そんなものがこの馬の骨にあるのだったら見せてみろ! 私を納得させればお前たちの交際を認めてやらんでもないぞ?」


 そうな言葉を聞いて。

 秋乃のわたわたは速度三倍。


 でも、比較相手がエベレストだ。

 どんな物使ったって、マリアナ海溝の底からじゃ届かないと思うぞ?


「じゃ、じゃあ、立哉君! これで壁の穴をふさいで!」

「ん? なにこれ?」


 わたわたの挙句。

 秋乃が俺に手渡してきたものはセメントを塗りつけた紙切れ。


 よく分からんが、言われるがままに。

 壁にそいつを張り付ければ。



 現れたのは。



 學問ノスヽメ



「うはははははははははははは!!! 一万円札とは豪気!」


 おもちゃにしては完成度が高いなこのお札。

 どうせ乾いたらペンキ塗って見えなくなっちまうけど。


「おもしれえからもっと寄こせ。成金御殿にしてやる」

「え? ……あと一枚しか入ってないけど、いい?」

「うおおおおおおおい! 俺の財布!!!」


 なにしてくれてんだよこのおバカ!

 破れないように、そーっと、そーっと……。


「な、なんとか救出に成功したが……。これ、確か銀行で交換してもらえるんだよな?」

「そんなケチケチしてるお金持ち、いない……」

「いいんだよ金持ちじゃねえんだから!」

「ふん……。馬脚を現したな、小僧!」

「もともと隠してねえわ! どこにでもいる普通の男子高校生が金持ってるわけねえだろ!」

「ならば秋乃との交際を認めるわけにはいかんな。尻尾をまいて逃げ帰るがいい! この馬の骨め!」

「そうすっと、残りは全部あんた一人で補修するって事でいいんだな?」

「うぐ」


 なにやらモゴモゴと。

 口の中で唱えていたクソ親父が。


 最後に、ばーかばーかと子供みたいな捨て台詞をのこして。


 家の中の補修をするために。

 玄関から入って行った。


「……それにしても。彼氏というものは便利だな、お姉様」


 親父さんの姿が消えたところで。

 春姫ちゃんが秋乃にささやく。


 あいつの前で、俺と秋乃が付き合ってる事実を話したら大変だからな。


 ナイス配慮。


 とは言え。

 さっきのセリフはいただけねえ。


「ひでえ扱いだなおい。便利とはなんだ」

「……便利だから便利といったまでだが?」


 そう口にする春姫ちゃん。

 ポーカーフェイスに疲れが見える。


 ああ、なるほど。

 無理してたんだな。


「大丈夫だよそこまで飴鞭に徹しなくても。もう終わりが見えて来たから頑張るさ」

「……そうか。酷い作戦を取って悪かったな、立哉さん」

「構わねえよ」


 心優しい春姫ちゃんが。

 安堵のため息を漏らすと。


「さ、作戦、終わりなの……?」

「そうだ」

「よかった……。無理してたから」

「無理?」

「た、立哉君のせいで、昨日は家中寒かったから……。早く直してね?」


 秋乃はそう言いながら。

 寒い寒いと、家の中に入って行ってしまった。



 ……えっと。


 これって。



 鞭と飴。



「なあ、春姫ちゃん」

「……ふむ。わざわざ作戦を立てるまでも無かったとは恐れ入った」


 俺は、申し訳なさそうにお手伝いを始めた本物の飴に苦笑いを向けながら。


 彼女が風邪をひく前に。

 必死になって補修をしたのだった。

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