まくらの日


 ~ 一月六日(木) まくらの日 ~

 ※銃刀法違反じゅうとうほういはん

  事が起こってから適用されて

  いるでは手遅れなのだが。




 平常心。

 明鏡止水。


 昨日、うかつにも。

 手を繋いでみたいとか考えたせいで。


 すっかり平静を保つことが出来なくなった俺。


 こんなことではいけないと。

 今日は精神鍛錬のため。

 一人、裏山へと足を踏み入れる。


 ざくりと音を立てながら。

 雪まじりの斜面を踏みしめて運ぶ足に心地よい疲れが行き渡る頃には。


 透明な凍てつく空気が。

 胸の穢れをすっかり洗い流す。


 歩き始めて一時間半。

 山頂まではあと十分ほど。


 でも、俺は最後まで登り切らない。


 トレーニングに最適な踏み分けから、尾根伝いの山道へと出たこの辺り。

 ふもとを臨む方へ向けて腰を下ろせば。


 絶景とまではいかないが。

 野山の起伏が美しい。

 そんなご褒美が俺を待っているから。



 腰にぶら下げたボトルのキャップをひねって。

 まだ冷たさの残る水を喉に流し込みながら。


 山と空との稜線を眺めていた視線を下に落とすと。

 うっすらと灰をまいたように白く煙った街並みが見える。


 まるで現世と別世界との境界のように感じて。

 哲学じみたことを考えるのに、ここは最適なのだ。


 世界とは。

 宇宙とは。


 生物とは。

 人とは。


 そして今日の。

 俺のテーマ。


 急斜面を登りながら。

 ずっと考えていた事。


「…………膝枕してくれねえかな」


 引き締まった、秋乃の長いすべすべな腿。

 あそこに頭を乗せてみたい。


 今日も今日とて。

 どうしようもないことを考えていた俺に。


 ふいにかけられた。

 耳馴染みのある声。


「膝枕?」

「きゃあ!!!」

「や、やっと追いついた……」

「あ、あきのぉ!? どうして……?」


 夢でも幻でもない。

 目の前に現れたのはぴっちりデニムに包まれた太もも。


 ではなく。


 舞浜まいはま秋乃あきの


 どこから後を付けていたのやら。

 息を弾ませながら、俺の隣に腰かける。


「どうしてって……。だって今日は、水族館に出かけるはず……」

「え!? そうだったっけ?」

「そう、あたしの予定表には書いてある……」


 ナップザックをお腹にまわし。

 水を一口飲んでから秋乃は携帯を取り出したんだが。


 その画面を見るなり。

 俺はおでこにチョップした。


「むこう半月びっしり予定入れてるけども! 全部俺は聞いてねえ!」

「それはそう。こんなにたくさん、全部言ったら立哉君が怒る……」


 なにその気遣いと押し売りの同居。

 結果として後者がシークレット商品を押しつけるだけになってるんだけど。


「安心しろ、怒りゃしねえ。呆れ果てて怒る気が失せたから」

「じゃあ、水族館に……」

「行かねえよ!? 今日は登山って書き換えとけ!」


 なるほどいいアイデアね。

 そんなことを言いながら律義に書き換えてるけどさ。


「どういうつもりだったんだよ」

「か、彼氏が出来たら行きたいところ、思い付いた端から書いていったの……」

「お、おお」


 不意打ちの言葉に言葉が詰まって。

 思わず顔がにやけそうになる。


 そんな可愛いこと言われたら。

 無下にできねえじゃねえか。


「…………でも、これは密」

「うん」

「一週間に一カ所くらいにばらせ。あと、アポ取ってから書け。なんのための予定表だ」

「うん……」

「そこまでしょんぼりするな。できる限り希望は叶えてやるから」

「ほんと?」

「できる限り、な」


 そんな返事に。

 嬉しそうにするこいつの顔見てたら。


 堪えてた笑みが。

 自然と顔中にあふれ出て来た。


 俺だって同じ。

 彼女と一緒に行きたいところは、ひょっとしたらこんな比じゃないくらいある。


 勉強時間が減っちまうだろうけど。

 秋乃と過ごす時間の方が、今は大切だ。


「……膝枕?」

「ん?」

「して欲しいって……」

「んがっ!?」

「あ、あたしも希望は叶えてあげたいけど……、一応確認とってから……」


 聞いてたの!?

 いや、最初に言われたか!


 でもお前、そんな恥ずかしいこと聞いといて。

 なんで冷静でいられるの?


 そして誰に確認とってるの!?


 あまりのことに、俺が阿吽像みたいなポーズで固まっていた間に。


 秋乃はどこかにメッセージを送っていたようだが。


 おそらく送信ボタンを押して十秒と経たない間に。



 ……俺の足元に。



 手裏剣が突き刺さった。



「のわっ!? こ、これって、この間のエージェント!?」

「ど、どこから飛んで来たのかな……?」

「まさかお前! そのメッセージ、親父さんに!?」

「女性のことはお母様に。男性のことはお父様に聞きなさいって教わったから……」

「最悪っ!」


 そんな叫び声と同時に。

 たんっと乾いた音がすると。


 俺の頬を。

 熱い何かが掠めていった。


 明らかに手裏剣と違う方から狙撃された上に。

 マウンテンバイクのエンジン音まで聞こえて来たけど。


「お父様からの返事、まだ来ない……」

「もう十分届いてるわ! 呑気なこと言ってないで逃げるぞ!」

「ひゃわ!?」


 慌てて秋乃の腕を掴んで。

 踏み分け道を疾走する。


 厳密に言えば、俺だけ逃げれば済む話だが。

 お前のせいでこんなことになったんだからちょっとは同じ恐怖を味わえ!


「た、立哉君、殺されそうになってる……?」

「ただの威嚇で頬から血は出ん!」

「ど、どうすれば……」

「司令官を叩くしかねえだろ!」


 そうは言っても。

 どうやって東京にいるはずのバカ親父を叩けばいいんだ?


 いや、確か三が日のあいさつ回りが終わった辺りで。

 こっちに来るとか言ってたような……。


「そ、それなら逆に、こっちの司令官を叩かれれば負け?」

「司令官も兵卒も高みの見物の黒幕も全部俺一人だ!」

「じゃ、じゃあ、分業しないと……」

「分業!?」

「せめて司令官は春姫って事に……」

「この場にいないやつを巻き込むな!」

「お城に籠城中ということで……、ね?」

「ね? じゃねえ! 司令官任せたところで兵卒の俺は死ぬだろうが!」

「あと、高みの見物の黒幕は、あたしのうちで春姫にケーキ作ってくれてる凜々花ちゃん……」

「うはははははははははははは!!! 優雅な籠城だなおい!」


 籠城中にケーキパーティーすんな!

 こんな時になんてネタぶっこんで来るんだよ!


 その後も、この四人目のエージェントに何度も笑わされて呼吸を乱されて。

 何度も命を危険にさらすことになったけど。


 山肌を滑るように逃げる事三十分。

 辛くも城にたどり着いて。


 門をくぐったところに。

 正面から見覚えのある黒塗りの高級車が猛スピードで突っ込んで来たかと思うと。


 ブレーキもそこそこに、左ハンドルの窓が開いて。

 血相を変えたバカ親父が半身を乗り出した。


 そして。



「うそだろおおおお!?」



 城を背にした俺たちに向けて。

 バカ親父が手に抱えていた。



 マシンガンが火を噴いた。



 ……なんの刷り込みなのか。

 あるいは持って生まれた本能か。


 他の行動もとれただろうに。

 俺は、その場にしゃがみ込んだ。


「……い、痛いかも」


 どれくらいそうしていたのだろう。


 無意識に胸に抱きかかえた秋乃が。

 ぽつりとつぶやいたところでようやく目を開けると。


 窓やら扉やら、銃弾を浴びてぼろぼろになった家から。

 我が司令官が顔を出した。


 そんな彼女の手にした皿。

 その上には、ぼろぼろになったケーキのような物の残骸。



「……お父様。その銃が、わが友の愛情をこのような無残な姿に変えたのですか?」



 この一言により。

 敵の司令官は武器を捨てて投降し。


 地にひれ伏しながら。

 醜い言い訳を並べ続けることになったのだった。



「あ。お父様がいらっしゃったから、直接聞こう……」

「やめろ。……もうこれ以上、血を流す必要はないだろう」



 たったひとりの歪んだ欲望が生んだ惨劇。

 もう、決して膝枕して欲しいなどと思うまい。



 ……それにしても。

 エアガンって、そんなに威力あったっけ?


 

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