第2話 世界は揺れる天秤の如く The world is like a swaying balance

 されども酔っ払いが素直に帰らず、少々遅い時間に帰宅して、寝床に就いたのは午前三時半。


 なお、昼食時に合わせた開店準備があるため、朝の七時半には起きる必要があり、今日の睡眠はほど。


(うぅ、昨日はもう少し眠れたのに)


 一日、二日の話なら兎も角、毎日だと身体が持たない。事実、二等市民の平均寿命は短く、使い潰されては新たに補充される。


 私達は労働と引き換えに最低限の生活を補償された歯車に過ぎないのだ。


(極東に “衣食足りて礼節を知る” なんて言葉があるけど、他にも大切な事は多いよね)


 そんな事を考えていたら意識が霞み始め… 気が付けば暗闇の中を延々と落下していた。周囲に掴む物がないのだから仕方ない。

 

 偉い碩学せきがくの誰かは言う、地球上の資源が有限なのに対して人の欲望は無限、経済的な競争の結果として格差が生じるのは必然だと。


 社会はゼロサム的であり、“誰かの幸福” は “誰かの不幸” 。ぐらぐらと揺らぎながら、今日も世界の釣り合いは取れていた。

 

 重荷を背負わされた者達で沈んだ天秤から零れ、奈落に飲まれた私が行き着いたのは… 幼少期の実家で、咽返むせかえる血の匂いに包まれてしまう。


 したる事件などない田舎にもかかわらず、州都で猟奇殺人を犯した男が逃亡の果てに襲った郷紳ジェントリの屋敷。


 鳴り響いた銃声に驚いて二階から降り、扉越しにのぞいたのは両親や、兄姉達が血溜まりに沈んでいる光景だった。


 な私は隣室のクローゼットへ隠れて息を潜め、家族の安否よりも “猟銃の男が来ませんように” と神様へ祈る。


(翌朝、隣人がきてくれた時、死体にすがりながら謝罪してたんだっけ?)


 記憶、今更の記憶。そんなものを夢に見たせいで身体が重く、発条ゼンマイ式の目覚まし時計を止めるのも億劫。


「うぅ… ちっとも、疲れが取れてない」


 どんなに不調でも、朝支度をすべき刻限はくる訳で… スリップの上から、工場製のブラウスを着用して、膝上丈まである黒い長靴下も履く。


 更にプリーツスカートを身に着け、胸部が開いたコルセット・ベストを羽織り、もはや寝床に過ぎない寄宿舎を出た。

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