72話 諦めるには早すぎる(2)

 スマホに届いていた一通のメッセージ。


 ――『真剣勝負だ、手加減するなよ』 

           送信者:鳥羽快斗


 ほんっっっとに。

 なんなのコイツ? 意味わかんない。

 たったそれだけのメッセージをいま送ってくる⁇

 

 

 しかも、わたしも変だ。

 たったこれだけで、冷え切っていた胸がメラメラ燃えている。

 人間ってこんなに単純な生き物なの?


 

 でもそうじゃん、ここで諦めたらダメじゃん。

 そもそも私はまだ何も伝えてないんだ。


 逃げるな、戦え。

 これは話し合いゲームだ。

 相手の動きをよく見て、攻めるタイミングを見極めろ。



 もう大丈夫。

 スマホはスリープさせて膝の上に置く。

 開きかけた口を引き結び、まっすぐ前を向いた。


「母さん」


 母の目がちょっと丸くなったように見えた。


 思い込みかもしれないけど、続きの言葉を待ってくれているような気がする。

 だから私はもういちど口を開いた。


「私、将来のために勉強が大事ってわかってる」


 母はうなずきもせずに聞いている。


「でも、私にとっては寮で友達といる今の時間も、部活でゲームしてる時間も将来と同じくらい大切なの」


 今の自分はどんな顔をしているんだろう。

 急に自分語りして、ださい変な子だと思われてるかもしれない。

 それでも言わなきゃいけない。 


「それって今しかないから。あとから手に入らない時間だから……」


 たぶん初めての真剣勝負。

 恥も外聞も捨てて、思いをさらけ出せ。


「だから今の生活をつづけたい。寮暮らしも部活も続けさせてほしい」


 言った。


 言ってしまった。

 理屈もへったくれもなく、何の飾りつけもないただの我がままだ。

 気持ちをストレートに話すってこんなに恥ずかしくて情けない気分になるんだ。


 母はなんて言うんだろう。

 口答えするなって一蹴されるかな。




 

 沈黙が続く。

 前を向いているのがだんだん辛くなってきて、視線がどんどん落ちていく。




 不意に、母の声がした。


「それがあなたの気持ちなのね」


 思っていたより優しい声音だった。

 私は「うん」と答える。

 そして再び前を向く。


「受験勉強も委員会活動もおろそかにしないのが条件よ。両立は厳しいはずだけど大丈夫なの?」


「大丈夫」


 答えに迷いはなかった。

 できるかできないか以前に、両立するって覚悟はとっくに決めていたから。


 母がふっと口元を緩めた。

 異論反論口答えにはいっさい耳を傾けず、すべてシャットアウトする鉄の女。

 そう思っていた女性は目の前に居なかった。

 数年ぶりにちゃんと見た母の顔。

 なんだか、思っていたより柔和な感じだ。


「わかったわ、あなたが頑張っているのは知っているから」


 母が笑った。


「万智の好きなようにやりなさい」


「うん、……ありがと」


 やった、勝った、勝ち取った。

 母さんが「頑張ってる」と言ってくれた。

 初めて自分のわがままが通った。

 シェアハウスもゲームも続けられる。


 まるでゲームの接戦を勝ち取ったときのように鼓動が激しくて、聞き慣れた勝利のファンファーレが脳裏に鳴り響いている。

 バトルの緊張が解けないまま、勝利の驚きと喜びが飛び込んできて胸が感情を処理しきれないこの感じが病みつきになる。



 それからしばらく心臓を落ち着けている間、母と先生はなにやら大人の話を進めていた。

 たぶん部活のことやらシェアハウスのことやら手続き的な話をしていたんだろう。



 そしてようやく私の心拍が落ち着きを取り戻し始めたころ、ひとまず会話を終えたらしい母が「ところで」と私に声をかけてきた。


「万智はどうしてゲームとかeスポーツに興味を持つようになったの?」


「えっと、それは……」


 突然そんなことを聞かれてもとっさに言葉が出てこない。

 何から話せばいい?

 まずはeスポーツがどういうものか説明しないといけないか。

 この人そういう分野のこと何にも知らないはずだし。


「まずeスポーツって言うのは、テレビゲームとかを使う対戦をスポーツ競技としていう時の呼び方なんだけど――」


「ああ待って、そこはもう大丈夫よ」


 大前提から話そうとした矢先に説明を中断させられた。

 大丈夫ってどういうこと?

 予想外の反応に首を傾げると、母はなぜか苦笑いを浮かべている。


「eスポーツについてはね、さっき散々教えてもらったのよ」


 母が紙束をドサッっとテーブルに置いた。

 A4の紙が何枚あるの? 辞書くらいの分厚さになってる。


 ペラペラと一枚ずつめくると、eスポーツの歴史、大会概要、業界構造、今後の展望などなど論文みたいな説明書きがずっと並んでいる。

 しかもどこかの書籍の印刷とかじゃなく、明らかにパソコンで手打ちした見た目だ。


 つまりこれはわざわざ今日のためだけに作った逸品。

 ……これ書いたやつ頭おかしい。

 バカだわ。ほんっとにバカ。


「この面談が始まる前にね、校舎前で男の子から渡されたのよ。おかげでひとまずeスポーツについて基本的なことはもう分かってるわ」


「もしかして部活動にご理解をいただけていたのも、そういう経緯があったからでしょうか?」


 同じくプリントを感心して読んでいた先生が尋ねると、母は「ええそういうことです」と首肯した。


「正直、最初はゲームの部活動そのものに反対するつもりだったんですが、ここまで熱心かつ丁寧に説明されて流石に考えが少し変わりました。自分の視野が狭くなってると自覚させられて恥ずかしくなったくらいです」


「そうですか、いやあ子供っていうのは恐ろしいですね」


「まったく本当に」


 私を置いてけぼりにしておとな2人が談笑する。

 まさかあの母が考えを改めるなんて。

 ほんとにいったい何をどう説明したのよ……。



 だけど、これであいつの言ってたことがようやくわかった。

 このプリントの束が「説得の材料」ってわけだ。

 この布石のおかげで、母は偏見とか先入観を持たずに私と向き合ってくれた。

 最高の遊撃だ。


 あーもう。

 せっかく落ち着いてきたのにまた胸が苦しくなってきた。

 こんな借り、大きすぎて返せないじゃん。

 


 ドキドキうるさい胸を押さえつけていると、「ゲームのことはまた後日聞くとして」と母がふたたび私に話を切り出してきた。


「あとね、万智。寮で暮らすならひとつだけ約束」


「なに?」


「彼氏と仲良くするのはいいけど、節度は守ってお付き合いするのよ?」


「はッ、かれッ⁉」


「名前はたしか……鳥羽くんよね? 万智が『賢い同級生』って言っててすぐ分かったけど」


 聞いた瞬間、ぐわっとおでこと頬と耳が熱を帯びる。

 思い浮かべていた名前が予想外の文脈で耳に飛び込んでくるなんて。


 違うのに、とっさに否定の言葉を繰り出せない。

 というか、もしかして彼氏のふりをしてるのもあいつの作戦……?

 だったら下手にここで否定しない方が良かったり⁉


 頭の中が大混乱していると、母が見た事の無いような楽しそうな顔を浮かべる。

 

「万智、顔が真っ赤になってるわよ?」


「言わなくていいからッ!」


 ニヤニヤと鬱陶しい笑顔を向けてくるおとな2人の視線に耐えながら私は心の中で決意した。

 

 鳥羽あいつのことは後でぜっっっったいにしばく!

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