71話 諦めるには早すぎる(1)

「本日は娘の通学環境についてご相談したく伺いました」


 ようやく冷房が効いてきた応接室で、母は私の隣に座る先生に向けて落ち着いた口調でそう切り出した。


 ご相談。

 そうは言ってるけど体のいい建前だ。

 この人の中ではもう結論は出ていて、私の部活と一人暮らしを確実に辞めさせるためにこの場を用意しただけ。


 渡辺先生は少し深刻そうな表情で口を開く。


「河原さんの特別寮での生活についてと存じております。改めて今のご懸念をお伺いしてよろしいでしょうか?」


「端的に申し上げると、身辺の安全と学習環境の観点で一人暮らしを続けさせることに不安を感じております」


「失礼ながら、学校側として防犯、生活習慣の指導は行っていますが、何か至らぬ点がありましたでしょうか……?」


「先生方には適切な指導をいただいていると理解しております。身辺の安全と言うのは、このの個人的な問題です」


 母はいかにも申し訳なさそうな顔をしながら、バッグからスマホを取りだした。


「先日、娘がテレビゲームの催しに参加したのですが、このようにインターネット上で個人特定に繋がりかねない写真が掲載されているようでして」


 スマホを受け取って、先生は私にも見えるように画面を確認する。

 映っているのは見覚えのある写真。

 スマファミ公式大会の準優勝チームとして撮影されたメンバーの集合写真だ。


「これは……河原さんが最近入られたeスポーツ部で出場した大会の写真ですね?」


 念のためというように、渡辺先生が視線を向けてきた。

 嘘をつくメリットもないので素直に頷く。


 それを肯定と受け取った先生は、誠実を絵に描いたような迷いない所作で頭を下げた。


「申し訳ありません。これに関しては学校側の管理が甘かったと認識しております。該当の写真は削除するよう運営元に連絡いたします」


「ご対応ありがとうございます。お手数おかけしますが、写真についてよろしくお願いします」


「わかりました。部活動の顧問にも改めて河原さんのことをお伝えし、管理監督の見直しを行うよう伝えておきます」


「いえ、それには及びません」


 母は首を横に振ってはっきりとそう言った。

 用意されたペットボトルのお茶をゆっくりと開けて一口含んでから、ふたたび話し始める。


「娘には部活をやめて実家に戻ってくるよう話しております。今回の件は親である私の管理不行き届きも原因ですから、今後は家庭でしっかりサポートしようと考えています」


 母が不気味なくらい整った微笑を私に向けた。

 これは意思の確認なんかじゃない。

 この結論を受け入れて同意しろ、と求められている。


 自分の意思を伝えて、母親このひとに抗わないといけないって分かってる。

 なのに、無言の圧力に押さえつけられた視線は机にべったり張り付いて離れない。


「河原さんもお母様と同じ考えということでよいですか?」


 うつむいている頭上から、渡辺先生の声がした。

 この意思確認は先生がくれたラストチャンスだ。

 反撃するなら、いま。


 膝の上でぐっと手を握り、顔を上げる。


「私は、同じ考えじゃないです」


 精いっぱい脚で踏ん張ってる。

 身体の震えが声に伝わらないように。


 恐る恐る向かいに座る人の顔に目を向けると、眉はハの字に下がり眉間にしわが浮かんでいた。

 その口が開かれかけたのを見て、先手を打つように言葉を重ねる。


「たしかに部活のことで相談しなかったのは良くなかったかもしれないけど、別にやましい事してたわけじゃない。それだけの理由なら今の環境を変える必要はないと思ってます」


 あくまで論理的に反論する。

 このひとに感情の隙は絶対見せない。

 それがこれまでの戦歴で学んだ私の戦い方。


 だけどこれだけじゃ足りない。

 もっと何か、言葉を探さないと。


 そんな私への加勢というわけではないだろうけど、渡辺先生は口添えするように言った。


「一応学校の見解を申し上げますと、eスポーツ部の大会出場は、保護者への事前確認がなかった点を除けば、正当な部活動の範疇だったと考えております」


「存じております。私としても御校の部活動を非難する意図はありません」


 母は先生の主張を受け入れるように静かに頷いた。

 そして「大人の話は終わりだ」というように、あらためてこちらに目を向ける。


「けれどね、部活に関係なくあなたはうちに戻ってきた方がいいと思うわ。これから受験勉強で忙しくなるでしょう? 家と違って特別寮には勉強以外の誘惑も多いでしょうし」


「今までだってずっと成績キープしてるし、それこそ勉強するなら実家と往復する時間の方がもったいない。あと、寮には参考書も揃ってるし、すっごい賢い同級生がいて相談もできるし。家でひとりで勉強するよりよっぽど効率的」


「同級生ねえ……」


 母が口の中でぽつりと呟いて、余計なことまで喋っていたことに気が付いた。

 特別寮シェアハウス暮らしを正当化するための理由を並べようと必死になりすぎたからだ。


「あくまで、特別寮にいた方が効率よく勉強できるって言いたいのね?」


「はい」


 母が目を瞑ってこめかみに指を当てる。

 頭の中の考えをまとめているときの癖だ。


 次はどんな反論をしてくるのか、次から次へと湧いてくる懸念をかき消しながら言葉を待つ。

 そして、母が目を開けた。


「わかりました。本当に勉強をおろそかにしないなら、特別寮で頑張りなさい」


「はい」


 返事の声が上ずった。

 まさかこんなにあっさり認めてもらえるなんて。

 嬉しさと戸惑いとあといろんな気持ちがごちゃ混ぜになって身体がフワフワする。


「でも、勉強に集中するために特別寮で暮らすんだから、部活はやらないってことで合ってるわね? 念のための確認だけれど」


 確認という名の宣告だった。

 その平然とした表情をみて、ああ、やっぱりこのひとの方が一枚上手なんだと痛感させられる。


 母のロジックは正しい。

 勉強のために特別寮に居続けたいと主張したのだから、「だったら勉強以外にうつつをぬかすな」と制約をつけられるのは当たり前だ。



 つまりこれって、今までと一緒ってことだ。

 高校入学のときに独り暮らしを許してもらったときの条件と何も変わってない。

 そっか、だから母はこんなにあっさり認めたわけだ。


 ここがいい引き際か。

 シェアハウスでの暮らしは続けられるんだし、提示されてる条件は今までとおんなじ。

 今までと何も変わらないんだ。


 ごめん鳥羽。

 やっぱり私、あんたみたいに「思いをぶつける」なんて無理だ。

 勝ってない。けど負けてない。

 だからこれでいいんだ。

 これ以上ヘタな勝負に出てすべてを失うほうが最悪だもん。

 

 「うん」なのか「はい」なのか、自分の口がなんて言おうとしてるのか分からない。

 とにかく肯定の言葉を吐こうと口を開きかけて。


 左太ももに伝った振動に、意識が引き寄せられた。

 スカートのポケットに入れてたスマホの通知バイブだ。


 机の下でさりげなくそれを引っ張り出して、逃げ場所を探すように画面に目を向ける。

 届いていたメッセージの通知。



 ――『真剣勝負だ、手加減するなよ』

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る