70話 閑話|私はゲームに本気でぶつかる

 河原万智わたしは、ルーティンでこつんこつんと踵を打ち付けて久しぶりの上履きの履き心地を確かめた。


 夏休みの学校、とくに人のいない廊下はすっごい不気味。

 他の音は何も聞こえないのに、自分の足音だけがいやに耳に反響する。

 ホラーゲームでお決まりのシチュエーション。

 正直ちょっと……コワイ。



 自分で恐怖心を掻き立てているのも馬鹿らしいのでヘンな妄想はここまで。

 それよりもこのあとの面談バトルに集中しないと。


 今日は決戦の日だ。

 まだ半分も残っている私の高校生活を私のものにできるかどうか、それが面談で決まる。


 三者面談には、渡辺先生 ――シェアハウスを管理してる先生―― が同席するらしい。

 少し前に鳥羽と学校に来たときにも少し話をしたけど、渡辺先生はあくまで中立の立場のようだった。

 だから、基本的に私が孤立無援で 1 対 2 の戦いを強いられることはないはず。

 敵は母親あのひとだけだ。



 久しぶりの親子喧嘩をしなくちゃいけないというのに、不思議と足取りは重くない。

 それはきっと、溜め込んでいたいろんなものを昨日の夜に洗いざらい吐き出してしまったからだと思う。


 昨日の夜、私はゲームを好きになったきっかけを聞かれてただけなのに、気づけばべらべらと余計なことまで話してしまっていた。


 あれは深夜テンションがちょっと入ってたからだ。

 けれどそれ以上に、あいつがめちゃくちゃ真剣な顔で頷くのが悪い。

 あんな顔で話を聞かれると、普段は恥ずかしくて言えないようなちょっとエモい話だって真面目に話せちゃう。

 マジで天然の女たらしだ。あいつ。



 職員室のそばの階段を登って2階の応接室を目指す。

 渡辺先生は職員室にいるかもしれないけど、面談の前に話しておくことは特にないし、それよりも試合前の最後の調整に時間を使いたい。


 母親あのひとは、今日の面談はただの結果確認だと思っているはず。

 私がeスポーツ部の退部届とシェアハウスの退去届を先生に提出するところをその目で確かめるためだけに、学校へ足を運んでいるんだろう。


 そこに私は真っ向から反抗することになる。

 これまで学業と委員会をきちんとこなしてきた実績があるからシェアハウスに住み続けることを許可してほしい。

 ここまでは、それなりに交渉力があるからまだ説得の余地はある。


 けれど問題はもうひとつの方。

 シェアハウスに住むことに加えて、eスポーツ部に入ることも認めてほしいというお願い。

 これってもはや交渉じゃない。言っちゃえばただのワガママ。



 けれど、ワガママだからこそちゃんと主張しないと掴み取れない。

 昨日、鳥羽と話をしている中で、私はそのことに気づかされた。


 そもそも、私がゲームに手を出したきっかけだって親への反抗心だったんだし。

 だったらこの機会に徹底抗戦して、正々堂々、ゲームをかちとってみせる。





 幼稚園の頃から、私はいろんなお稽古をしてきた。

 どれも始めたきっかけは覚えてない。

 けど、自分でやりたいと言った覚えはないから親の都合であることは間違いなかった。



 あのひとの口癖は、「将来のために頑張りなさい」。

 いつか役に立つし、将来の選択肢が広がるから教養を身に着けておきなさい。

 そう言っていろんなものを強制しススメてきた。


 最初は私も純粋だったから、勧められたものには全力で取り組んだ。

 そして、どれもちゃんと身に着けた。

 習い事はもちろん、学校のテストだってほとんどいつも満点だった。


 だけど、ある日気づいてしまった。


 「将来」のために頑張ってるけど、その「将来」っていつなの?

 私の努力はいつ報われるの?


 きっと周りの友達がそうだったように、「テストで100点とったらご褒美をもらえる」みたいな分かりやすいゴールと報酬があったなら、私は盲目のまま走り続けていられたと思う。


 だけど、私の親はそんな甘いアメを与えたりはしなかった。

 楽器もお作法も勉強も、できて当たり前。

 当たり前のことだから、褒めるわけがない。


 むしろ学力が抜きんでていると、学校では悪目立ちする。

 褒めてもらえるどころか、周りから嫌味を言われることの方が多かった。


 誰からも褒められない、自分自身がやりたいわけでもない。

 なのに、いつかの「将来」のためだけに努力をし続ける。

 

 そうして中学生になったころ、私はもうゴールの見えないマラソンを走るのが心底いやになっていた。



 ゲームという存在が気になり始めたのもちょうどその頃だ。

 クラスの男子が楽し気に話しているテレビゲーム。

 断片的な情報だと、腕を磨いてバトルを重ね、実力が上がると「レート」という点数で目に見える形で示されるのだと言う。


 自分の実力が目に見えてわかる。

 頑張るほど実力は上がっていくし、ゲームが上手いと尊敬される。勉強と違ってうまい人が嫌味を言われるようなこともない。



 そうして私は、家族で唯一理解があるおばあちゃんにお願いして、親に内緒でゲームを手に入れた。

 そこから沼るまでは一瞬だった。


 始めたてはもちろん下手で、負けてばかり。

 けれど繰り返すうちに勝てるようになってくる。

 勝てばいろんな称号やご褒美が手に入った。

 

 強敵が出てきて急に勝てなくなる。

 何度も挑んでようやく勝てる。


 その繰り返しが、楽しくて嬉しくて仕方がなかった。

 自分の努力が成果につながっているのがわかる。認められる。褒めてもらえる。

 端的に言って、がんばった甲斐があると思える。


 ゴールの見えないマラソンなんかより、短距離走で何度もゴールテープを切る方が1万倍楽しいと感じた。



 ゲームの腕が良くたって何の役にも立たないっていう意見があるのもわかる。

 ゲームを究めても学校の試験に合格できるわけじゃないし、スポーツみたいに身体が鍛えられるわけでもない。

 ぶっちゃけ、将来の役に立つわけじゃない。


 それが分かっているから、私は勉強はおろそかにしていない。

 いつかは分からないけれど、勉強していればいつかの将来に役立つとは思うから。


 けど、私が生きてるのは今。

 極端なことを言うと、将来 ―― 今より先の未来―― のために今を犠牲にし続けていたら、いつまでも報われる日はやってこない。

 だから私は、今を楽しむことも大事にしたい。


 そして高2の私にとって、今を充実させているのはシェアハウスとゲーム。

 私は、私の今を守る。

 そのために母親あのひとと戦うんだ。



 目的の応接室に着いた。

 いくつか並ぶ扉を触っていると、一部屋だけ鍵が空けてある。

 きっと今日の三者面談のためにあらかじめ先生が開けてあったんだろう。


 私は先に中に入って他のふたりを待つことにした。

 例外的に職員室の中央管理から免れている空調のスイッチをポチリと押して、涼しい風を部屋に送り込む。


 4人掛けのテーブルに腰を落ち着けた。

 一応、スクールバッグは持ってきたけど中身はほとんど空っぽだ。


 鳥羽が「交渉のための資料はある」って啖呵を切ってたから、てっきり何か手渡してくるのかと思ってたのに、今朝になってもそんな素振りは無かった。

 あいつ、いつ何をするつもりなのやら……。


 もしかして、実は交渉材料なんて最初からなくて、本当の狙いは私をその気にさせることだったとか⁉

 ……うわあ、そのパターンめちゃくちゃありそう。



 けど、それならそれでもういいや。

 どっちみち、これは最初から私の問題。

 鳥羽の助けがないから諦めるだなんて、ちゃんちゃらおかしい話だ。


 

 ――コンコンコン。


 上品なノックに続いて扉が開く。

 やってきたのは渡辺先生。

 スクエアの眼鏡が良く似合うイケおじって感じの先生。


 話す雰囲気は知的なのに、異様に発達した大胸筋でシャツがパツパツ。

 なので生徒の中でのあだ名は「インテリマッチョ」。

 マジでぴったりなあだ名だわ。


「ああやっぱり、お子さんはもう来られてます」


 渡辺先生は、扉を大きく開けて後ろにいた人物へ入口を譲る。


「では失礼します」


 よそ行きの着物に身を包んだ母親が、先生に会釈して応接室に入ってくる。

 私は席に座ったまま向かいの椅子に座るよう促した。

 間違っても隣になんて座らせたりはしない。


 続いて渡辺先生が私の横に着席する。

 これで布陣は整った。



 さあゲームを始めよう。

 人生初の反抗期だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る