69話 意地のぶつけ合いは全力勝負に限る(2)

「っくぅ、このッ!!」


 切迫した息遣いと共に、コントローラーが激しく音を立てる。

 バトルの状況は、お互いにストックが残り1つずつ。

 拮抗しているとも言えるが、見方を変えれば俺があの河原を追い詰めてるということだ。


 最後はお互いに無言のまま殴り続けた。

 満身創痍の傷を負いながら、絶体絶命の局面が目まぐるしく入れ替わる。


 そして、決定的な瞬間が訪れた。


 河原のキャラクターがふわりと空中に身を浮かせた瞬間。

 全身全霊で一撃を放つボタンを押しこんだ。


「くたばれぇッッ!!!」


 空中で繰り出した足蹴りがあやまたず相手の脳天に突き刺さる。

 河原のキャラクターは自由落下を遥かに超えるスピードで奈落の底へと吸い込まれていき、画面外で爆散した。


 ――Game Set!


 勝った。

 一喜一憂もない沈黙の中、試合を締めくくる場違いに陽気なファンファーレが鳴り響く。


 静かにコントローラーを床に置いて横に目をやる。

 河原はじっとコントローラーを握りしめたまま固まっていた。


 俺は彼女のプライドに傷をつけられただろうか。

 負けるはずがないと思っていた天狗の鼻を折ってやることができただろうか。


 こちらの視線に気づいたのか、河原はふぅと短い吐息と共にコントローラーを手放した。

 両手を後ろにつき、伸びをするように胸を反らして天井を見上げる。


「あー負けた。下剋上おめでとう」


 まるで負けたことをなんとも思っていないかのような脳天気な声音だった。


 やっぱりだ。

 彼女は傷ついた自分のプライドから目を逸らしている。

 傷口を見なければ痛みを感じないとでもいうように。


 悔しくはない、もともと何も求めていなかった、私は凡人なんだから気にすることなんて何もない。

 そんなふうに暗示していれば、それ以上辛い思いをせずに済む。


 けれどそれは、酸っぱいぶどうだ。

 手に入らない絶望を味わいたくなくて、人は自分に嘘を吐く。

 そしてその嘘は、いつの間にか本物に変わってしまう。


 彼女ほどの強者オタクに、こんなところで志を失わせてはいけない。

 そのためにいま俺ができることは、彼女が「自分に嘘をついている」と自覚させることだ。

 心の傷を慰めるための紛い物が本物になってしまう前に。


「これで下剋上? 笑わせんな」


 俺が吐き捨てるように言うと、河原が苛立った声で反応した。


「なにその言い方。いま私に勝ったじゃん、何が不満なの」


「わからないのか」


「わかんないけど?」


 本当に自分で気づいていないのか。

 俺がオタクと認めた高潔で最強な彼女は、こんな不貞腐れた人間じゃないはずなのに。


 なんて絶対に許さない。

 プライドを捨て、悔しさを忘れてしまった人間は立ち上がることすら放棄してしまう。

 今の河原に必要なのは、慰めや励ましじゃない。

 彼女に必要なのは傷ついた己のプライドに向き合って再起しようとする意志だ。


 腹をくくれ。鬼になれ。

 彼女を助けるには、彼女が痛みに気づくまで徹底的に傷つけてやるしかない。


「分かんないなら言ってやる。お前が本気だしてねえからだよ」


「そんなこと――」


「あるだろ。なんで一番得意の女神様を使わなかったんだ」


 図星だったのか、河原は何も答えない。

 ギリギリと食いしばるように顔を歪め、肩は微かに震えているようにも見える。


 実際のところ俺が僅差で勝てたのは、河原が2番手のキャラクターを選択したからだ。

 このキャラクターとは、彼女から借りていたフィギュアを使って散々なほど模擬戦をやってきた。

 AIで再現した動きとはいえ、河原の動きの癖やパターンは本人そのもの。おかげでこのキャラクターに限っては俺は高い勝率を維持できるようになっていた。


 そんな事情を彼女が知っていたかどうかはどうでもいいが、事実として彼女は真剣勝負を挑まれた試合で1番手のキャラクターを選ばなかった。

 つまり、彼女は本気の全力で俺を迎え撃つことから逃げたのだ。


「なあ、なんでなんだよ。教えてくれよ」


 河原は俯いたままだ。

 表情もよく見えない。

 構わず俺は続ける。


「格下の俺になら一軍キャラじゃなくたって余裕で勝てると思ってたのか?」


 お前はそんな人間じゃないはずだ。

 そう思いつつ、心にもない言葉を吐き続ける。


「ゲーム大会は優勝できなかったけど、有名選手を倒せたから満足したのか? 結局マークすらしてなかった相手にやられたくせに」


「……ぅっさい」


 ぽすんと頼りない拳が俺の胸を小突いた。

 こんなんじゃまだ足りない。


「部活を辞めるのもあっさり決めたよな? まぁもともと俺に勧められただけだもんな、大会でいい経験できたし、用済みになったら部活なんてポイ捨てってことか」


「うっさいッ」


 今度は、固く握りしめられた拳が打ち付けられる。

 あとすこし、もう少しだ。

 殻を破ってみせろ。


 下手な芝居と自覚しながら、俺は精一杯にニヒルな笑みを浮かべて言った。

 

「あとシェアハウスから出ていくってのも相談なんてなかったよな。この場所に思い入れなんて無いんだろうけど、それは人として――」


「そんなんじゃないっっ!!!!」


 悲鳴にも似た叫び声とともに、拳が俺の胸を強く叩きつけた。

 けれど打ち付けられた手はみるみるうちに力を失って、ずるずるとずれ落ちてお腹のあたりで服をぎゅうと握りしめる。


「なにが?」


「全部違うッ!」


 震える手で、これ以上は落ちたくないと必死にしがみついている。

 その手を支えるように、そっと自分の手をかさねた。


「なら思ってることはちゃんと口に出したほうがいい。じゃないと、いつの間にかその嘘が本心に変わる」


 「俺がそうだったから」だなんて余計なことは付け足さない。

 そんなことよりも、一番伝えたかった言葉を口にするべく息を吸う。

 本心からの言葉。

 そして、かつての自分に伝えたかった言葉だ。


「だから、自分に嘘をつくな」


「ッうううううぅぅぅッ‼‼」


 ほとんど身体ごと崩れ落ちるように、河原が俺の胸に頭を埋める。

 すがりつくように服を握りしめ、震える身体からは熱い体温が直に伝わってくる。


「サンドバックならここにある。愚痴でもなんでも吐けばいい」


 俺はその頭を撫でることも、抱きしめることもしない。

 ただ、河原の言葉を受け止めてやるだけだ。




 長く沈黙が続いた。

 河原は俺の胸に顔を埋めたまま、嗚咽交じりに声を漏らした。


「……優勝、したかった」


 俺は「おう」とだけ短く相槌を打つ。


「部活やめたくない」


 涙で濡れた服のシミが広がっていくのも構わない。


「それだけか?」


 静かな問いかけに、河原は頭をふるふると横に振る。

 そしていっそう強い力で俺の身体を抱きしめ、すべてを吐き出すように叫んだ。


「もっと、シェアハウスここに居たいッッ!!!」


 きっと紛れもない河原万智の本心だ。

 魂の叫びを真正面から受け止めて、俺はただ一言だけ言葉を返す。


「だったらその気持ち、ちゃんと母親あのひとにもぶつけろ」


 返事の代わりに、河原は無言のまま一度だけ大きくうなずいた。


 これできっともう大丈夫だ。

 俺からはどんな言葉も要らない。

 今は、抱きしめるように体重を預けてくる河原に自分の身体を貸してやっていればいい。


 あとは自分で立ち上がれるはずだから。



 しばらくして河原が俺の胸からもぞもぞ抜け出したあと、俺たちは一言も交わさず、ひと3人分くらいの距離を空けて座っていた。

 もちろん顔を合わせられるわけがないので、俺は河原に背を向けて壁紙の模様をずっと見つめている。

 

 気まずさMaxなのだが、黙って部屋を出ていくにしては今さらすぎし、そもそもこのまま退室するのは不誠実な気がする。

 だって悪意があったわけではないとはいえ、形的には俺が河原を泣かせてしまったわけだ。


 せめて表面だけでも謝罪すべき?

 いやでも下手に謝ったら余計にプライドを傷つけるんじゃ?

 なんて悩みが堂々巡りして、今の今まで沈黙を貫いてしまっている。


 ぽそりと後ろから声が聞こえた。


「明日の面談……」


「お、おう?」


「バカこっち見んな」


 振り返りかけた瞬間にピシャリと声が飛んできて、弾かれるように顔の向き壁側に戻す。

 たぶん、というか絶対そうだが、泣きはらした顔を見られたくないんだろう。


 ……あのクールで大人びた河原の泣き顔か。

 不謹慎だがちょっと見てみたい。

 これを逃すとほぼ確実にこんな機会はないだろうし。


 とは思うものの、紳士な俺なので決して振り返ることはしない。

 黙って次の言葉を待っていると、再び河原が口を開いた。


「面談であのひとに交渉してみる」


「お願いじゃなくて交渉か。お前らしいな」


「無条件でお願いを聞いてくれるような親ならこんなに苦労してないわよ」


「それもそうか。でも、その交渉って具体的にはどうするんだ?」


 すぐに返事はなく、代わりにスンと鼻が鳴った。


「部活には入らない代わりに、シェアハウスに住まわせてほしいって伝えて譲歩を引っ張り出す」


「つまり部活……、というかゲームのことは諦めるのか?」


「さすがに妥協する。それを除けばこれまでと同じ条件だし、成績とかあのひとから出された条件は今もずっと守れてる。だからこのラインなら交渉の余地はあると思う」


 客観的な理屈に過ぎないが、たしかにその見立てはあっている気がする。

 部活には入るのは諦めて言いつけはこれまで通り守るから、今の生活もこれまでどおり続けさせてほしいという言い分は筋が通っているだろう。


 表面上はこれまでどおり。

 けれど、内心でもこれまでどおりにいられるだろうか?


「本当に、妥協して平気なのか」


 また煽っていると受け取られないように、穏やかな口調で問いかける。

 今の彼女は自分がもっと輝ける場所、本当に求めていた環境があることに気づいているはずだ。

 そして一度その環境に飛び込んで楽しさを知ったはず。

 それを諦めて手放すことになるのだから、決して以前のような無関心には戻れないはずだ。


「平気もなにも、そうしないと両方失うことになるから。それよりは絶対にいい」


 諦念と決意とが入り混じったような声音だった。

 あくまで前向きに、少しでも希望をつかみ取ろうとしている。


 そうであるなら、彼女の決意次第で俺にはまだ手助けできることがある。

 その可能性に賭けて、少し試すように問いかけた。


「部活のことも交渉材料なら用意できる、って言ったらどうする?」


 束の間の沈黙の後、河原が返事した。


「それ、シェアハウスも部活も続けられるように交渉しろって提案してるわけ?」


「提案というか、協力の申し出って感じだな。俺が用意できるのはあくまで材料だけだ。そもそも要望がないなら余計なお節介だし」


「お節介って……、あんた今さらどの口で言ってるわけ」


「たしかにおっしゃる通りで」


 素直に認めて言ったのがおかしかったのか、クスッと微笑が漏れる。


「でも鳥羽が言うなら、それなりに勝算があるってことか。今度はいったい何する気?」


「そこはできればノーコメントで。というか、交渉するならお前はそれを知らない方がいい」


「なにそれめっちゃ不安……」


 うげーっという顔 ――をしているのかどうかは見えないが、容易に想像できる不審そうな声が背中越しに聞こえてくる。

 自分で言ってても思うが、そういう反応が普通だわ。


 しかし、もちろんこれにはちゃんと訳がある。

 何をするのか知られるのが恥ずかしい。……という理由も1割ほどあるが、最大の理由は別にある。


「当たり前だけど交渉するのはあくまで河原だろ。俺はあくまで裏方というかマネージャー的な役割だからさ、結局は俺の材料関係なしに『部活を続けたい』って意志を訴えられなきゃ意味が無い」


「それはたしかに」


「あと、実は河原はそんな思い入れがなかったのに俺だけ空回りしてました、ってなったらめっちゃ恥ずい」


「ごもっともなんだけどそう言うと締まらないわね……」


 ただでさえ、俺は河原家にとって部外者なのだ。

 協力はしたものの河原本人はそこまで望んでいなかった、なんてことになれば大惨事。

 河原のお母さんからすれば、俺は親子の問題にちょっかいを入れる外道だ。


 だから、俺はあらためてちゃんと確認しておく必要がある。

 河原万智はなぜゲームを愛しているのか。

 オタクに至るまでどのようなエピソードがあったのか。


「だから、よかったら河原がゲームにハマったきっかけ聞かせてくれないか」


 口に出して質問してから、そういえば自分から他人の過去を詮索するのは初めてだと気づいた。

 返事がない。

 あれ、これもしかしてキモがられてないか……?


 不安になっているとスススと布ずれの音がした。

 パチっとテレビの画面が明転する。

 見ると、テレビの前でコントローラーを握った河原万智がこちらを向いていた。


「ゲームしながらでもいいなら?」


 すっかり余裕に満ちた表情で笑う河原の顔。

 涙の跡はまったく気にならないほど清々しい。


「よし、受けて立ってやろう」


 きっと今度はボッコボコにされるな。

 そう確信しながら、俺はできるだけ余裕ぶって応えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る