68話 意地のぶつけ合いは全力勝負に限る(1)
河原がシェアハウスから退去する月末まであと数日。
ここ2、3日の間に本棚からは本が減り、食器棚からマグカップがなくなり、靴箱にも空いたスペースが目立ちはじめてきた。
これまで当たり前にあったものがなくなっていく。
そんな生活空間の光景の変化が、河原万智という住人がいなくなる未来をじわじわと突き付けてくるようで、俺は焦りともどかしさを抱えていた。
河原の退去が正式に決まるのは学校での三者面談だと言っていた。
面談の日程は河原から明かされていなかったが、思わぬところからその情報をゲットできた。
情報をくれたのは桃山南。曰く、その日程は明日らしい。
なんでもその面談に、教師でありシェアハウス管理人でもある南の叔父が同席するらしく、その筋からの情報だと言うので確実だろう。
だから、河原を引き留めるためにアクションを起こすなら、今日がラストチャンスだ。
俺は意を決して河原の部屋の前にやってくると、扉をしっかりと拳でノックする。
あとは黙って扉が開かれるのを待つだけ。
「誰?」
扉はびくとも動かず、代わりにくぐもった声がドア越しに返ってきた。
訪問してきた相手が名乗り出ないのだから不審に思うのは当然だろう。
だが、問題はそこじゃない。
問題は、こちらが名乗り出ていない状態で扉を開けてもらえていないことだ。
独り暮らしの玄関先ならそれも当然の振舞いだが、ここはシェアハウスの中なのだから訪ねてくる相手は住人3人の誰かに決まっている。
なのに先に相手を確認しようとしているのだから、今の河原は住人の中でも特定の誰かと顔を合わせることを暗に拒否しているということだ。
だったらどうするか?
俺がやれることは最初からひとつしかない。
コンコンコンコンッ。
ただひたすらに黙ってノックをし続ける。
迷惑上等、何が何でも扉を開けさせる。
大昔の神様たちは
たとえ廊下でどんちゃん騒ぎしたって「ばっかじゃないの?」などと冷たい罵声がドア越しに飛んでくるだけだろう。
コンコンコンッ。
だからひたすらに扉を拳で叩き続ける。
ノックしては反応を待ち、しばらくしてまたノックを再開する。
コンコンコンコンコンコンッ。
「だあーっ! うっさいもうッ!!!」
ついに堪忍袋の緒を切らした河原が、足音をドスドス響かせて近づいてくる。
そして、
ガチャッ、ズガンッ!
と、おでこに衝撃が走った。
勢いよく開いた扉がおもいっきり頭にぶつかった。めっちゃ痛い。
痛すぎて小学生みたくその場でしゃがみ込んで頭を抱えてしまう。
「いったぁ……」
ズキズキする頭をさすり、背筋を凍らせながらおそるおそる顔を上げる。
河原は鬼もびっくりな怒りの形相をしているはず……。
と、覚悟していたのだが。
「やっぱりあんたね。自業自得よ」
河原は入り口にもたれ掛かって呆れた目でこちらを見下ろしていた。
その表情にすこし安心感を覚えて軽口で応える。
「自業自得は認めるけど、これが俺じゃなくて北浜さんとか南だったらどうしてたんだ」
「陰湿なやり方するのはあんただって確信してたから大丈夫」
「俺になら乱暴していいって認識は改めような?」
表面上はいつもどおりの応酬だ。
これなら案外ふつうに河原と話し合いができるかもしれない。
なんて希望を持ち始めた直後、河原の声の温度がすっと下がった。
「で、要件はなに」
余興はいいから本題を話せと目で訴えられた。
本当はもう少し場を温めてから切り出すつもりだったが、どうやらそんな余裕はなさそうだ。
仕方がない、作戦を変更してプランB ――恩を仇で返す作戦―― に移行する。
「これ、借りてたから返しに来た」
差し出したのは、前に河原にプレゼントしたキャラクターフィギュア。
このフィギュアには河原のプレイスタイル学習したAIが組み込まれている。
これをゲームに連携すればいつでも河原と疑似的な練習試合ができるということで、俺がスマファミの練習をする中で借りていたものだ。
「あーそういや貸しっぱなしだったか。ありがと」
河原が素直に手を差し出してきたので、俺はその手の平にフィギュアを乗せる。
――ふりをしてそのまま河原の手首をつかんだ。
「え、なに?」
「俺とゲームしてくれ。真剣勝負」
「は?」
手首を掴まれたまま、河原が眉間にしわを寄せてフリーズした。
マジで何言ってるのかわかんないって顔だ。
ぽかんと開いたままだった口が、迷うようにぎこちなく動きはじめる。
「なんで?」
「ストレス発散になるだろ」
「いやいやいやおかしくない⁉ なんで今、このタイミングで、試合申し込まれてるわけ?」
「だってもう引っ越すんだろ。下剋上するなら今しかない」
本当はそうならない未来のために今ここに立っているわけだが、そんな本心はおくびにも出さず、あえて突き放すように言った。
今度こそフィギュアを返し、掴んでいた手を解放する。
今のひと言に河原は絶対に乗ってくるという確信があったからだ。
河原はフィギュアを受け取った手を引っ込めて大事そうに両手で包み込み、逡巡するように目を伏せた。
そして浅く息を吐いて、おもむろに口を開く。
「わかった、最後の勝負受けてあげる」
ここまでは作戦通りだ。
*
河原の部屋はまだ新しい記憶の中のそれよりも、ずいぶん殺風景になっていた。
基本的な家具は残っているが、机の上からは小物類がきれいさっぱりなくなり、本棚の中身は空っぽになっている。
代わりに、前にはなかった段ボールが部屋の隅に積まれている。
ただその中で、テレビとゲーム機、コントローラーだけはそのままの状態で残っていた。
河原は頼むまでもなくゲームの起動準備をしてくれているので、準備は任せて前回と同じ場所に腰を下ろす。
「片付け中に悪いな」
「悪いと思ってるなら来んなし」
「めっちゃ正論だわそれ」
テレビとゲーム機の準備が完了し、河原が少し間を開けて隣に座った。
ささいなこと、たったそれだけのことなのに、近づいたと思っていた心の距離が幻想だったのかと胸のあたりがチクリと痛む。
数カ月前までは「陽キャの女帝」として畏れ、関わることも無いと思っていた同級生の女子。
そんな相手に心をかき乱される日が来ようとは思いもしなかった。
持参したPROコントローラーでお決まりの丸ピンクちゃんを選択し、河原のキャラクター決定を待つ。
遅れて河原が赤髪の女子キャラクターを選択して、試合準備が完了した。
ルールは1 vs 1の3ストック制バトル。
つまり、先に3回相手を倒した方が勝ちというシンプルこの上ないレギュレーションだ。
ランダム要素がないガチンコ勝負。
運が介在しないので、単純な実力がものをいうことになる。
当然、総合的な実力では河原の方が圧倒的に上。
なんたって河原はゲーム大会決勝で有名選手を打ち破るほどの強者だ。
―― Leady Fight!
試合開始のゴングが鳴り響く。
真正面から戦っていては俺に勝ち目がない。
河原はそう思っているはずだ。
だから俺は、真剣勝負を繰り広げながら私語を挟む。
「なあ、結局どうするんだ?」
「なに」
カチャカチャッとコントローラーを鳴らしながら、無機質な声が返ってきた。
これくらいのことで河原のプレイングを乱せるだなんて甘い期待はしていなかったが、思った通り河原のキャラクターは変わらぬ調子で戦い続けている。
「本当にこのままでいいのか」
「そっちが本題か」
河原の声音が少し苛立ったものに変わる。
こちらの意図がゲームではなく退去の引き留めだと察したのだろう。
河原のキャラクターが少し強引な攻撃に出てきた。
それを冷静にかわして、煽るようなカウンターを決める。
「なあどうなんだ」
「部活はやめるしここからも出ていく。前に言ったとおり」
「お前は納得してないだろ」
返事の代わりにまた乱暴な接近攻撃を仕掛けてきた。
らしくなく、当たれば一撃必殺の大技を連続で繰り出してくる。
実力差があるとはいえ、もはやそんな甘い攻撃にやられるような俺ではない。
これもひょいひょい踊るように避けて、逃げて、跳ね回る。
「お前、ほんとにしょうもない人間だな」
「は?」
「ぜんぶ親の言いなりかよ。自分がどうしたいとかないのかよ」
チッと舌打ちの音。また河原の攻めが勢いづく。
隣から背筋が凍るような殺気を感じるが、やられるとしてもゲームの中の丸ピンクちゃんが俺の身代わりになってくれるはず。
汗ばんできたコントローラーをしっかりと握り、河原が一瞬だけ見せた隙を見逃さず、とどめの一撃を放った。
「もうちょっと芯のある人間だと思ってたわ」
ズドーンッッ!!! と激しい撃破音がさく裂する。
まずは一機目、俺の先制だ。
倒されたキャラクターが復活するまでの束の間のブレイクタイムに、ちらりと目線を横に向ける。
河原の目は強く強く画面を睨みつけていた。
「調子のってんじゃないわよ。ぶっ潰すから」
いよいよだ。
これからの数分間が今回の作戦の成否を左右する。
恩を仇で返す作戦の最終段階。
相手の神経を逆なで、そして己を鼓舞するように。
俺はできる限り挑発的な口調で口にする。
「やれるもんならやってみな」
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