67話 母は強すぎる(2)
夏休みには似合わないどんより重い鈍色の空の下、俺と河原は久しぶりに訪れた学校からの帰り道を歩いていた。
今日の用事はただひとつ、eスポーツ部への事情の説明だった。
というのも、律儀なことに河原が「ちゃんと自分の口で入部の辞退を伝えに行く」と言い出したのだ。
そんなわけで、事前に聞いていたeスポーツ部の夏休み中の活動日にあわせる形でこうして学校へやって来た。
ちなみに、河原はひとりで来るつもりのようだったが、両者の間を取り持った立場だからと言って俺も同行させてもらった。
人気のなかった校舎と違って、グラウンドでは勉学から解放されたスポーツマンたちがよりいきいきと練習に励んでいる。
そんな様子を眺めながら校門を抜けようとしていたとき。
「あれ、万智じゃん⁉」
聞き覚えのある軽やかな声がして振り返ると、制服姿のスクールアイドル ――と呼んで差し支えないモデル体型の女子が歩いてきていた。
名前は、たしか神橋さん。
選書会の一件では学校内外で何度か顔を合わせたが、彼女はいつどこで見かけても華がある。
河原万智をクール系の女帝として表現するならば、神橋さんは純粋なアイドル系の姫だ。
神橋さんはニコッと営業スマイルを俺に向けてから、冗談めかした調子で河原に詰め寄った。
「万智さあ、この前の委員会サボったでしょ?」
「あ……忘れてた。ごめん……」
「は?」
河原がしおらしく素直に謝ったことが意外だったのか、神橋さんが目を丸くして口をぽかんとあけた。
たしかこのふたりは中学時代からの知り合いだったはず。
俺でさえ河原の様子が「らしくない」と感じたのだから、神橋さんもなにか察したに違いない。
「……何かあったわけ? ちょっと前から様子へんだなーって思ってたけど」
「ほんとに忘れただけだから。ごめんって」
「いやいや、何かあるでしょ」
目を背けて取り合おうとしない河原に、神橋さんは呆れた声を出して肩をすくめる。
そして河原の身なりを上から下までしげしげと眺めてからもう一度口を開いた。
「ていうかさ、今日は何の用事? めっちゃ手ぶらじゃん」
「そーいうあんたは」
「私は体育祭の打ち合わせ。今年も推薦されて応援団になったから」
「あんた相変わらずの人気者ね」
「まあねー」
河原の嫌味な返しを神橋さんはさらりと受け流す。
この程度の皮肉の扱いはお手の物なんだろう。
「で、万智は何の用事で来たわけ? 私は答えたからね」
もう言い逃れは許さないと脅すように鋭い目が河原を睨みつける。
質問を質問で返してはぐらかしたのは河原の方だ。
さすがにこう切り返されてしまうと分が悪いだろう。
河原は眉間にシワを寄せながら苦しげに口を開く。
「部活の用事」
「部活? あー、そういやゲーム部に入ったんだっけ。もしかしてオタクたちと揉めたの?」
「揉めてないから……」
「その反応あやしいなあ。とりま部活関連でトラブってるのは当たってるってとこか」
神橋さんが探るような視線を俺に向けてきた。
もちろん俺は一部始終を知っているが、本人の意に反して話す気はさらさらないので目を逸らしてやり過ごす。
河原が言ったとおり、eスポーツ部と河原万智との間で揉め事は起こっていない。
ついさっき入部辞退を伝えたときも、彼らは心底残念そうにしていたし、引き留めようと言葉を労してもいたが、最終的には本人の意志を尊重すると素直に受け入れてくれた。
それも、河原が理由の詳細を話さなかったのに、だ。
だから、神橋さんの読みは当たっているようでそうではない。
河原の抱えているトラブルは、部活こそきっかけだが、本質的には部活の外 ――家庭の中―― で起きている。
「そもそもなんでゲーム部なんか入ったわけ? スポーツマン侍らせてるだけじゃ満足できなくて、オタクの票も集めようと思ったとか?」
「あんたと一緒にしないで。私は別に人からどう思われるとか気にしてないし」
「さすが女帝様。余裕だねえ。じゃあ純粋にゲーム好きで入ったんだ?」
神橋さんは反応を期待して煽ったつもりのようだが、河原はまたシカトを決め込んだ。
これにはさすがにカチンときたのか神橋さんが眉をひそめる。
「あーもうマジで意味わかんない。成績優秀、男ウケもよくて、変な部活に入っても幻滅されないどころかさらに人気者。好きなこと好き勝手やってる自由人のくせに何に悩んでるんだか」
それはきっと神橋さんから見た河原の姿なんだろう。
俺もつい先日までは同じように思っていた。
裏も表もなく、自分をよく見せようと取り繕わずとも人気を集めるカリスマ。
何かに縛られたりせずに、自由気ままに好きなように生きている。
きっと河原のそんな姿が、俺も含めた周囲の人間に憧れや嫉妬を抱かせている。
けれどそれは見間違いだ。
河原万智の今の自由な姿は、彼女が妥協し、制約を掻い潜って手に入れた仮初めのものだ。
黙り込んでいた河原が拳をぐっと握り、息を吸った。
「私に自由なんてないわよ」
「え、なに?」
「本当に好きなこと好きにやれるなら悩まないわよッ!」
河原が溜め込んでいた感情を爆発させるように叫んだ。
その勢いはやまないまま、ヘラヘラと笑みを浮かべて続ける。
「本当の
「は? マジでどうしたの? いつもと全然キャラ違くない?」
「私のことどう見てたのか知らないけど、これが正体。あんたがいつも張り合ってるはこんな下らない雑魚なのよ」
「……なにそれ、かっこわる」
「お生憎様ね」
河原は吐き捨てるように言うと、踵を返してひとり早足で校門の向こうへ歩きはじめた。
今の彼女を放っておくわけにはいかない。
すぐにその背中を追おうと俺も神橋さんに背を向ける。
けれど、その肩を後ろから掴まれてしまった。
「ねえ、ちょっと待って」
振り向くと、手を伸ばした神橋さんの顔がすぐ近くにあった。
強引に振りほどいて河原を追いかけようとも思ったが、真剣な瞳を向けられてしまってそれもできなくなってしまう。
「鳥羽くんさ、万智とどういう関係?」
「どういうって……」
俺と河原は同じ学年だが、クラスメイトではない。
知り合いと呼ぶには知りすぎているが、友達と呼べるほど気軽に誘える相手でもない。
だから、シェアハウスの同居人というのが今の関係をいちばん適切に表しているのだろう。
けれどその事情を話していいと思えるほど、俺は神橋さんのことを信用できていない。
自信のある正解を持ち合わせておらず口籠っていると、神橋さんは真剣な瞳を向けたままもういちど口を開いた。
「付き合ってるんじゃないの?」
「は?」
思ってもいなかった言葉に唖然とする。
なんでそんな疑いを?
スクールカーストトップの河原と俺だぞ、そんなカップリングなんて想像する余地ないだろうに。
「この前の御手洗祭りでも一緒に歩いてたの見たんだけど。違うの?」
「あ、うん。違います。マジでそういう関係ではない」
「なにその冷静な否定……。わかったとりあえずそれは信じる」
真顔でブンブン手を振って否定の意を示したのが功を奏したのか、神橋さんは若干引き気味ながらも誤解を解いてくれたらしい。
なるほど、あのとき神橋さんも祭りに来てたのか。
誤解は解けたので話はおしまい。
かと思いきや、神橋さんは引き下がらない。
「けどさ、ただの知り合いってわけでもないんでしょ」
疑問ではなく、確信のこもった声音。
きっと嘘をついてもバレる。
俺は素直に首肯した。
「それは……そうだな」
「だったら」
神橋さんがさらに一歩詰め寄ってきた。
目鼻立ちの整った女子の顔が、目の前に迫っている。
反射的に仰け反りそうになったが、グッとネクタイを掴まれて、色素の薄い瞳いっぱいに俺の顔が映り込んだ。
「万智のこと見て見ぬふりしたら許さないから」
それだけ言うと、神橋さんの手がトンと優しく胸を押し戻す。
いつの間にか表情は元通りの営業スマイル。
「じゃあねと」と挨拶して反対方向に歩いていく神橋さんの背中を、俺はその場で立ったまま目で追っていた。
心臓がバクバクと鳴っている。
照れとか羞恥とか、そんな甘酸っぱい感情じゃない。
俺は、重いものを託されたと気づいてしまった。
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