64話 祭りの夜にはつい語りたくなる(2)

 御手洗池から上がった後、近くで配られていた御神水ごしんすいを受け取ってから、俺たちは長椅子に腰を下ろした。


 すっかり夜の帳が下りた境内の中で、御手洗池だけが暖かな火の光に包まれている。

 この景色をぼーっと眺めているだけで心が落ち着いてくる感じがするから不思議なものだ。



 しばらくはたわいもない話を続け、ちょうど会話が途切れたタイミングで辺りを見渡すと、人の数はめっきりと少なくなっていた。

 おそらく、河原の本題は他にあるはず。


 それが分かっているのに、核心に触れる勇気がなくてダラダラどうでもいい世間話を広げているだけの自分に嫌気がさしていた。


 喋り続けて乾いてきた喉を御神水で潤す。

 それに続くように河原も茶器を持ち上げてコクコクと水を飲む。

 濡れた唇を指でぬぐうと、河原はおもむろに口を開いた。


「部活に入るか迷ってる」


「やっぱそのことだったか」


「うん」


 お互いに前を向いたまま、独り言を装うように会話する。

 社にお供えされたロウソクたちはすっかり背が縮まっているが、それでも健気に燃えている。

 その姿をぼんやり眺めながら返す言葉を探していると、先に河原が口火を切った。


「鳥羽ってさ、どうして部活に入ってないの?」


「そこまで本気で打ち込めそうな部活がなかったから、かな」


「ふーん、そっか」


 端的な答えだったからか素っ気ない返事が返ってきた。

 河原が俺の個人的パーソナルな部分に踏み込んでくるのは初めてのことだ。

 きっと俺の事例を意思決定の参考にしようとしているのだと想像がつく。


 けれど、敢えて詳細を語らなかった。

 俺が無所属のまま2年生を迎えた一部始終は、どうしようもなくひねくれて、こじらせた黒歴史だ。


 すべてを語れば河原に伝わるものもあるだろうが、いきなりそんな大仰な話をしたところで、きっと今の河原には共感してもらえそうにない。


 だから口から外に飛び出したがっている思い出エピソードを胸の奥のブラックボックスに押し戻す。

 代わりに当たり障りの無いアドバイスを口にしようとして、――それより先に河原が続けて言った。


「1年のときにクイズ研究会の先輩から誘われてたって聞いたけど。それも同じ理由?」


 不意に知られていないはずの俺の過去が河原の口から飛び出して、ドクンと心臓が跳ねた。

 思わず河原の方に顔を向けたまま口を開く。


「それ誰から、……南から聞いたのか」


「まあ、うん。ごめん、答えたくないなら今の忘れて」


 今までシェアハウスで過去の話をしたことはない。

 そんな中で1年生のときのエピソードを知っているのは、当時同じクラスだった南だけだ。


 別に知られてマズいことではないし、そこまで知っているなら

 俺が河原に部活を勧めようと思った理由は、まさにその1年生での経験によるもの。

 


 今この場でなら。

 黄昏時も当に過ぎて闇に溶かしてしまえそうなこの時間なら、少しくらい自分語りをしてみてもいいだろう。


 たった一年前でありながら、深い記憶の中に閉じ込めていた出来事を思い出しながら口を開く。


「俺をクイズ部に誘ってくれたのは中学からの先輩でな、中学の頃からずっと競技クイズをやってる人だったんだ」


 俺がおもむろに話し始めると、いきなり河原が「ちょっと待って」と制止してきた。


「話の腰折ってごめんだけど、クイズの部活って中学校にもあるの? ”高校生クイズ”だけだと思ってた」


「あるぞ。中学生だとテレビ番組みたいなでかい大会はないけど、中高一貫の中学校同士とかでクイズ大会は開いてたりするんだ」


「なるほどね。ごめん続けて」


「ああ、それで……」


 どこまで話したっけと思い出せずにいると、「中学の時の先輩が誘ってくれたってところ」と河原が補足してくれた。


「中学の時は部活に誘われても見向きもしなかったんだけどさ、高校生になっても改めて誘われてさ。それでとりあえず部活の見学にはいくことにしたんだ」


「一回断られたのにまた誘うって、その先輩すごい執念ね。そんなに好かれてたんだ」


「ちげーな。単純に俺にクイズの適性があるって見込んでたんだろ。中学の時から記憶力とか知識欲はそれなりに強かったしな」


「それなりにって、知識オタクのくせにどの口が言うのよ」


「違う俺はオタクじゃない」


「あーはいはい。オタクじゃないけど知識欲が強かったのね。それでどうして部活には入らなかったの?」


 ぞんざいな相槌にムッとした視線を向けた。

 けれど、この夜闇の中でそれも相手に伝わるわけもない。

 仕方ない。今回はここで我慢しておいてやろう。


「部活に入らなかったのは、俺にその素質がないと思ったからだ」


「素質? 記憶力を見込まれて誘ってもらったのに?」


「記憶力だけでどうこうできるものじゃないって思い知ったんだよ」


 一年前のあの日、クイズ部の扉を開いたときの光景は今も鮮明に思い出せる。


 畳張りの床に車座で座っている高校生たち。

 クイズのボタンに指を掛け、瞑想するかのように意識を集中させていた。


 沈黙の中、司会役の生徒が「問題です」と口火を切る。

 わずか数単語。


 ――パァンッ!

 

 まるで百人一首の名人戦を彷彿とさせる早さで回答ボタンが鳴り響いた。



 あの瞬間だ。

 俺が”オタク”の執念を知ったのは。


 それまで自分の学力と知識量をもってすれば競技クイズなんて容易いものだと思っていたのに。

 それが根底から覆された瞬間だった。


「競技クイズを見学して、俺の頭じゃ太刀打ちできないって分かったんだ。数学、文学、歴史、音楽、サブカル、どの分野でも適わないと思った」


「それはその人たちがずっとクイズの練習してきたからじゃないの? あんただって練習すれば」


「俺には無理だ」


 つい語気が強くなってしまったのを自覚する。

 それで河原も距離を測りかねたのか会話が途切れてしまった。


 このまま沈黙してしまうと気まずくなるのは目に見えている。

 俺は一呼吸を挟んでから口調に気を付けて改めて続きを口にした。


「ただの器用な”物知り”が通用する世界じゃなかったんだよ。クイズ部の人たちにはそれぞれに愛してる分野があって、それを究めて他に譲らない。そういうに俺は到底かなわないし、オタクになれるほど熱量を持てるものも無いって気づいたんだ」


「それが、あんたがオタクを特別視してる理由ってわけね」


「まあそういうことになるな」


 その分野を愛し、執着し、究めようとする彼ら彼女らオタクの熱量に、自分は到底かなわない。

 そして、かつてそういうオタクたちを鹿自分には、彼らと一緒に切磋琢磨する資格すらない。

 これが、今の今まで俺を縛り付けている俺の信条だ。


 話は一旦おしまいだと示す意味も兼ねて、残っていたご神水を一気に飲み干した。


 冷えた水が喉を下っていく。

 それと同時に頭も冴えていき、過去をつらつらと話していたさっきまでの自分が急に恥ずかしくなってきた。

 え、恥ずい。この人、思いっきりイキって話してなかった??


 冷静になればなるほど恥ずかしさが込み上げてくるので、けふんけふんと誤魔化して本来の話題に引き戻す。


「とにかく俺が部活に入ってないのはそういうわけだ。何か参考になったか」


「うん。でもむしろ余計に迷ってきた」


「マジか」


 せっかく黒歴史を赤裸々に話したというのに、お悩み相談どころかお悩みを増幅させちゃったなんて目も当てられない。


 お詫び申し上げるべき? いやでもある意味おれも被害者なのでは? と反応に困っていると、河原はぐっと伸びをしてから立ち上がった。


「今の話きいてて思ったんだけど、たぶん私も似たような感じなんだよね」


「と言うと?」


「私もきっと本気でゲームと向き合う覚悟が持ててないんだと思う」



 その言葉が彼女自身の口から出たのは、かなり意外だった。

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