63話 祭りの夜にはつい語りたくなる(1)
俺と河原は、本殿への参拝を済ませてから「足付け神事」の受付へ向かった。
受付でお供え料を納めて、お供えするためのロウソクを受け取る。
この先の
さて、必要なものを受け取ったのでそのまま神聖な池に土足で入る――わけがなく、次の広間では履物を脱ぐようだ。
備え付けられている2人掛けのベンチに腰を下ろし、靴と靴下をぬぎぬぎする。
その横に座った河原の足元からカコンと軽やかな下駄の音がした。
誘惑に駆られてチラリと視線を向ける。
視界の端、紫紺の浴衣から、きめ細かく白い肌がスラリと伸びていた。
形のいい素足を見るだけで、彼女の健康的なプロポーションが容易に想像できてしまう。
「なに? 脚になにか付いてる?」
うっかり見惚れてしまっていて、怪訝な声が飛んできた。
慌てて目を逸らしたが脚を見ていたことはバレバレだ。
無言よりは100倍マシなので、出まかせで答える。
「その、なんだ。下駄って風流でいいなあって……」
「風流? まあこういう時しか履かないから特別感はあるかもね」
「ああそれ! そう特別感、普段は履かないもんな!」
「……どうした?」
河原が不審の目を向けてくる。
下心がバレていたのかバレていないのか判断するには微妙すぎる反応。
どちらにせよ、これ以上会話を続けるとボロが出るのは確実なので、河原の目から逃げるようにそそくさと立ち上がる。
「いやあ、べつに。……えっと、池の方いこうか」
「? まあなんでもいいけど」
河原がまだ腑に落ちない顔をしているが、無視だムシ。
だって「きれいな脚に見惚れてました!」なんて言えるわけなかろう。
少し歩くと、いよいよ
前の人たちの反応から察するに、学校のプールくらいの冷たさだろうか。
そんな覚悟をしながら、思い切って池に足を踏み入れる。
瞬間、ヒヤリと血管を引き締めるような感覚が足首まで登ってきた。
言葉にならない情けない声が口から漏れる。
さすが天然の池。思っていたより冷たいな。
周りでは、そろそろと池に入った女性たちがキャアキャアと黄色い声を上げている。
ステレオタイプだが、ああいうのが女の子らしい反応だろう。
ただ、こういう状況でも河原はクールビューティを貫いて顔色ひとつ変えたりしないんだろうなあ。
なんて期待もせずに、ついてきているはずの河原の様子を振り返る。
すると同時、スズメのような可愛らしい声がとぶ。
「ひゃっ⁉」
肩を掴まれ、柔らかな女子の感触が半身を包みこんだ。
密着した浴衣越しに甘く柑橘の香りが立ち上る。
水の冷たさに驚いて、その拍子にバランスを崩したらしい。
甘い感触に動転していたのも束の間、河原の身体がパッと離れる。
顔は真っ赤だ。熟れ切った桃のように朱色に染まっている。
「……ごめん、めっちゃ冷たくてびっくりした」
きまり悪そうに呟くのが妙に可愛らしくて、ついからかってしまいたくなる。
さっきの意趣返しではないが、ちょっとくらいならお咎めなしだろう?
「意外とかわいい声だすんだな」
「うっさいバカ」
ふんっとそっぽを向いて先にちゃぷちゃぷ歩いていく。
その後ろ姿にやっぱり年頃の女の子らしさを感じながら、それ以上は茶化さずに大人しくついていくことにした。
池の中を進んでいくと、道なりに炎の点った灯篭がポツポツと並んでいる。
どうやらこの火をロウソクに移すみたいだ。
お供え用のロウソクに
その小さな揺らめきを絶やさぬよう慎重な足取りで池の奥へと進んでいくと、うっすら紫色に染まり始めた世界の中で橙色の光を抱えている
参拝者がお供えした大小のロウソクがお行儀よく並んでいる。
ひとつひとつはささやかな光だが、互いが励まし合うように炎を揺らし、紺色の水面にも橙色の灯がゆらゆらと浮かんでいた。
前の参拝者に
そっと目を
これにて儀式は終了だ。
連れの様子はどうかしら? と横を見やる。
長いまつげを下ろすように
不規則に揺れる橙の灯に照らされ、光と影が曖昧に浮かんでいる。
その彼女の横顔が、美しくて、なぜだか儚くて、思わず目が離せなくなった。
やがて
「どうしたの?」
「あ、いや……」
脳裏に残る彼女の横顔が、出任せの言葉を躊躇わせる。
簡単には触れられない、けれど放ってはおけない何かがあるような気がして、せめて遠回しに聞き出せればと思考を凝らして口を開く。
「ここって無病息災のお祈りでいいんだっけ」
「うん、あってる」
話はそれだけ? と河原が怪訝な表情を浮かべる。
つかの間の沈黙。
「……何か他のお祈りしてたのか?」
刹那、河原の表情がはっと強張った気がした。
頬をオレンジ色に照らすロウソクの灯りがチロチロと不安げに揺れている。
「んー、まあちょっとね」
自重めいた笑みが浮かぶ。
けれど次の瞬間には口を引き結んで顔を背け、河原はちゃぽちゃぽと水面を揺らして歩き出した。
はぐらかされた。
でも踏み込むか?
逡巡する。
けれど、いつか桃山南に掛けられた言葉が俺の胸の中にはある。
だから俺は口を閉ざさない。
置いてけぼりにされないように背を追いかけて、何でもないように声をかける。
「無病息災の神様なんだろ、他のことお願いしてもご利益ないだろうに」
「たしかに。そりゃそうね」
やっぱり、河原の様子は何かおかしい。
最初にそう感じたのはゲーム大会の帰りだ。
あの日から河原はずっと何かを抱えている。
南や北浜さんもそのことに気づいていたのだろう。
だから彼女たちは、こうして俺と河原がふたりになる時間を意図的に作ろうとしていたのだ。
河原に直接ゲーム大会を勧めたのは鳥羽で、つまり彼女に何かを抱え込ませたのも鳥羽なのだから、その落とし前も鳥羽がつけるべきだ。
……だなんて極端なことまでは考えてはいないと思うが、少なくとも話を聞くなら俺が適任だと判断したんだろう。
「よかったら話きくぞ」
何がよかったらなのか自分でもよくわからないが、他に言い回しが思いつかなかった。
マジで偉そうだなこいつ?
池の端までたどり着いた河原は、そこで初めて後ろを振り返った。
均整のとれた容貌の白い肌が暖かな炎の色に染めあげられている。
まるで俺の覚悟を試すような瞳。
「神様の代わりに話きいてくれるの?」
「おう、でもご利益は期待しないでくれ」
「じゃあお賽銭もなしね」
クスリと笑って、河原は岸にいくつか置かれている長椅子に目を向ける。
池から上がった参拝者が土足に履き替えて一休みできるように用意された休憩場所のようだ。
「ちょっと座って休憩ね」
うなずいて、俺はようやく河原が待つ岸へと踏み出した。
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