61話 夏祭りには誘惑が多すぎる(3)

「お待たせー、買ってきたー!」


 すっかり調子を取り戻した北浜さんが満面の笑みで屋台のほうから戻ってきた。

 露店での食べ歩きは祭りの醍醐味だし、それ自体には異論ない。

 ないんだが……。


「北浜さん、買いすぎです」


 俺は食べ物で塞がった両手を持ち上げてみせる。

 右手にはからあげ棒が入った紙コップ、左手ではりんご飴を持ち、その小指にベビーカステラを入れたビニール袋をひっかけている。


 ちなみにこの中では最初に買ったりんご飴だけ。

 残りはぜんぶ北浜さんがりんご飴を食べてから買い足したものだ。


「だってお昼ご飯早かったからお腹空いてるんだもん!」


「だとしてもせめて食べ終わってから次の買いません⁉」


「そんなことしてたらいつまでも前のふたりに追いつけないじゃん!」


「あくまで食べたいものは全部買う前提なんですね……」


 北浜さんは自分の欲望に素直なタイプだと思っていたが、それにしても恐るべき食欲だ。

 そんなに食べて太ること心配したりしないのか?

 と野暮なことを気にしかけたが、この人の体型から察するに栄養がぜんぶ特定の2か所に集まる体質なんだろう。


 当の本人はカロリーを全く気にする様子もなく、今まさに買ってきたトルネードポテトをはむっとかじる。


 トルネードポテトは、渦上にスライスしたじゃがいもを串に刺し油で揚げた一風変わったフライドポテト、という見た目。

 たぶん家で作れるだろうが、わざわざ作ったりはしない食べ物の筆頭だ。


 表面に赤茶色の粉がかかっているのでコンソメ味だろうか、なんて思いながら見ていると、不意に北浜さんが串をこちらに向けてきた。


「あげるー」


「えっと……、じゃあいただきます」


 食べる? という意思確認をすっ飛ばして勧めてきたことに密かに苦笑しつつ、差し出されたポテトを受け取ろう ――として自分の手がふさがっていることを思い出した。

 北浜さんのもう一方の手も食べかけのチョコバナナで埋まっているので、こちらの食べ物を代わりに持ってもらうこともできない。


 どうやら北浜さんはそれを分かった上で勧めているのか、にんまり笑みを浮かべてポテトを俺の口に近づけてくる。


「はい、あーん」


 しかも、よりによってかじりかけの部分がすぐ口元まで寄せられている。

 強引に顔を背ければできなくもないだろうが、食べる場所を変えるのは難しそうだ。


 ……ええい、ままよっ!

 意を決して串ごとぱくっとかじりつく。


「わー食べた食べた!」


「なんかペットにされてる気分……」


「そんなことないって、鳥羽くんは後輩なんだからもっと先輩に甘えたらいいんだよ!」


 北浜さんはむふんとご満悦な様子で鼻を鳴らす。

 あーなるほど、これは北浜さんなりの先輩ムーブなんですね。

 ……ちょっと世間一般の感覚からずれてる気がするのは俺だけだろうか。


 

 北浜さんが買い溜めた食べ物をふたりで消費しながら、参道を行く人の流れに合流する。

 本殿前の鳥居は遠くに見えているが、このゆったりした動きではそこに着くまでなかなか時間がかかりそうだ。


 本殿が近づくにつれて人混みの密度が増し、自然と北浜さんとの距離が近くなる。

 さすがに身体を押し付け合うほどの密着にはならないが、それでも食べ物の匂いに混じってバニラのような甘い香りを感じるくらいには近いところに北浜さんがいる。


 色とりどりの浴衣に囲まれながら、のんびりと、けれど止まることなく前へ進んでいると、隣を歩く北浜さんがぽそりと呟いた。


「やっぱり浴衣、着たかったなあ」


「着たことはあるんですか?」


「ちっちゃいころ、地元にいたときにはね。京都こっちに来てからはまだ」


「なら、来年こそ――」


 深く考えもせず口にしかけた言葉を自覚して、はっと息を飲み込んだ。


 来年の夏、北浜さんはもう高校にいないんだ。

 進学先は知らないけれど、もしかすると京都を出ていくことだってあり得る。


 もちろん京都じゃなくても、高校生じゃなくても浴衣は着られる。

 なんなら大学生や社会人のほうが上手く浴衣を着こなしている人が多いと思う。


 けれど、北浜さんにとって、このシェアハウスのメンバーと高校時代の思い出として浴衣を着た夏祭りを経験できるのは今年が最後だ。

 そんな当たり前のことに気づいてしまって、胸のあたりがきゅうっと締め付けられる。


 急に口をつぐんだことを不思議に思ったはずの北浜さんがこちらに目を向けていた。

 だから、今度はちゃんと考えて、気の利いた答えを口にする。


「じゃあ、来月に浴衣を着たらどうですか?」


「来月?」


 きょとんと首を傾げる北浜さんに、俺はニコッと笑って答える。


「淀川花火大会、みんなで予定会わせて行きましょ」


「おー! そっかその手があった! さすが鳥羽君っ‼」


 瞳をキラキラ輝かせて飛び跳ねるように喜ぶ北浜さんを見てほっとする。

 そうだ、この夏はまだ終わらない。終わらせない。



 前へ前へと進む流れの中で、俺たちだけが足を止めることはできない。

 けれど、もう少しゆっくり歩いてみたって罰は当たらないだろう。


 きっと南と河原はこの先で待っているんだろう。

 心の中で待たせてごめんと謝りながら、俺はこの人混みの流れが途切れるまで、北浜さんの肩を抜かさないように歩調を緩めて歩くことにした。

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