60話 夏祭りには誘惑が多すぎる(2)
会場である神社はシェアハウスのすぐ近くにあるのだが、各自で昼飯を食べてから現地集合ということになり、俺は早々に食事を済ませて一足早く参道入口の鳥居のそばに立っていた。
緑が滴るような夏木立の参道には赤青黄と色とりどりの暖簾で着飾った露店が立ち並び、神社の境内はまだ日が高いうちから文字通りのお祭り騒ぎになっている。
浄土に通じる神聖で静謐な場所に俗世の人々がなだれ込んだような祭りの場。
そういうところには、不思議な空気が流れているんじゃないかと思うことがある。
いつも清楚に澄ました顔をしている神社がお茶目に化粧をするように、来る人来る人にいつもと違ったお面をかぶせる様な不思議なハレの日の空気だ。
普段ガキをやってる野郎は祭りの熱に浮かされてもっともっとバカになり、他方でいつも静かにしているあいつが意外なハイテンションっぷりを発揮したりする。
そうかと思えば、年相応だと思っていた異性のあの子がふとした瞬間に大人びた顔を見せてドキっとさせられたり。
夏、とりわけ夏祭りは、彼ら彼女らがそれまで踏み込まなかった階段に一歩を踏み出してしまうような魔性の季節。
そして例えば、それが異性の同級生の同居人だった場合。
いつもヘンテコデザインのパーカーばかり着て女性らしさを中和させている彼女が、こんな日には何の予告もなく浴衣で着飾って目の前に現れたりするのだ。
「とばっしー!」
俺の姿を認めた南が、浴衣で縛られた脚をちょこちょこ器用に動かして駆け寄り、数歩手前で立ち止まってヒラリと両腕を広げてみせた。
「ねっ、どう?」
花開くように広げられた南の浴衣は、白地に藍色の朝顔が散りばめられ、そのすき間をぬうように生き生きと伸びた緑がみずみずしさを感じさせる上品な柄。
生地そのものに素朴で柔らかな色合いを感じるのは
事前におめかししてくる素振りを全く見せてなかったので、てっきりいつもの私服を着てくるものだと思い込んでいた。
期待をまるでしていなかったせいで、とつぜん目の前に現れた
俺は胸が忙しなく弾むのを悟られないように、いつもの調子を装って口を開いた。
「正直、びっくりしてる」
「お? お⁉ それは南ちゃんの浴衣姿に、ってことかな?」
「そうだな、まさかパーカー以外の服を持ってるなんてびっくりだわ」
「……とーばーしー?」
むーっと口を引き結び、じとーっとした目を向けてくる。
照れ隠しの軽口だとは認めるけど、照れ以前に女子の服装の褒め方ってめちゃくちゃ難易度が高いから仕方がないと思うんです……。
例えばシンプルに褒めようとして単に「綺麗だ」とか「可愛いよ」と伝えるとしよう。
しかしそれは服装の評価と言えるのだろうか?
むしろそれってあなたの感想ですよね? と論破されちゃう気がしてならない。
しかもこの場合、服じゃなくて相手その人を褒めてるみたいになっちゃって、それがきっかけで変な誤解が生まれて気まずい空気になって……ってなんだかこれはこれで考えすぎな気がしてきたな。
ともかく、今回に限って言えば、南を素直に褒めたりするとあれやこれやとしばらくおちょくられる未来が見えている。だから仕方がない、自己防衛って大事。
そんな風に結論付けていると、南はたはぁと呆れたようにため息をついて切り出した。
「あのねー、私だってたまには素直に褒めてほしい時あるんだよ?」
「それはなんというか、すまん。つい、いつものノリで……」
そっか、南ちゃんもやっぱり女の子なんだね!
なんて
いつもの南はダボっとしたパーカーにジーパンを
要約すると南の女性っぽい一面を見てドキドキしてます。と言うことになるのだが、ただの同居人にそんな感想を平然と言えるわけもなく口ごもってしまう。
そんな俺の反応を見て、南は少し真面目な顔になりピシッと人差し指を立ててみせた。
「私のことはいいけど、ちゃーんと反省してちゃんと活かすようにね?」
「はい、気をつけます」
「それならよろしい! じゃあこの後はちゃんと褒めるように!」
「はい、頑張ります……って次⁉」
南がほらほらと指をさす方へ顔を向けると、参道のわき道からふたりの女性が歩いてきていた。
これまた浴衣に身を包んだ
河原は北浜さんの手を引きながら、ゆったりしたペースですぐ近くまでやってきた。
「ごめん、けっこう待たせた?」
「だいじょぶだいじょぶ。私もさっき着いたところだから、ね?」
「だな」
南の投げかけにうなずいて相槌を返すと、なぜだがグリッと肘で小突かれた。
痛いよ? なんで今どつかれたの⁉
俺が抗議の目を向けると、はるかに鋭利な眼差しをした南がちょんと自分の浴衣をつまんでみせる。
あーなるほど、さっき言ってた褒めろって話か……。
気恥ずかしいとか慣れてないとか言い訳がたくさん浮かんでくるが、つい先ほどの前言を撤回するのも情けなく思えるので、踏ん切りをつけて河原の装いに意識を向ける。
こちらは高貴さを感じさせる紫色の生地に、歩く美人の代名詞である白百合が咲いている。
生地そのものの風合いもそうだが、浴衣全体が気品に満ちた印象にまとまっているのは、白色の帯に金色の糸で輪郭を描いた大きな菊の華のおかげだろう。
うっかり目の前の女性が同い年であることを忘れてしまいそうになるような、高潔で大人びた浴衣を河原はなんなく着こなしていた。
いつもの垢ぬけた私服といい、河原のファッションはいついかなる時も抜かりが無い。
「えっと、どうした?」
浴衣の褒めポイントを探すことに集中しすぎていたせいで、河原が不審な目を向けてくる。
やばいジロジロ見すぎてたかもしれん。
「なんだ、その、いい浴衣だな。百合は純潔、菊は高貴が花言葉だったか」
「そうだと思うけど。……もしかしていま、褒められてる?」
「……一応」
「そう。じゃあありがと」
社交辞令100%の謝辞を受け取って会話終了。
なんだこれめちゃくちゃ気まずいんだが⁈
この空気どうしてくれるんだコノヤロウと南に再び目で訴えかけると、今度はかわいそうな人を見る目を返された。
「鳥羽氏、少しずつでいいからセンス磨いていこうね」
「そうやって励まされるとなんか逆にダメージ食らうわ……」
俺なりに持てる知識を動員して浴衣を褒めたつもりだったが空回りだったようだ。
今度、北浜さんにお薦めされたライトノベルを読んで、ラブコメ主人公がヒロインを褒めてる描写の勉強でもするしかないか。
いったん自分の中での反省会を切り上げて、もうひとりの
まだ祭りに踏み出してもいないのに、なんでこの人は不機嫌そうにしていらっしゃるの?
「で、北浜さんはさっそくどうしたんですか……」
その問いかけを待ってましたと言わんばかりに、北浜さんが一歩前に踏み出す。
「だってこんなの聞いてないもん! ふたりだけズルいよねッ⁉」
「いやズルいって何が」
「ゆ・か・た! ふたりとも浴衣持ってるなんて知らなかったもんッ‼」
北浜さんがなぜか俺の隣に立って、浴衣美人ふたりと2対2で対面するような形になる。
彼女が着ているのは水色を基調とした花柄のワンピース。
俺も普段着なので私服 vs 浴衣と捉えればたしかにそうなのだが、勝手に対立に巻き込むのやめてくれません……?
しかし北浜さんの抗議はなおも止まらない。
というか誰からも止めようとする気配がないのは、多分本人が満足するまで喋らせておこうという魂胆なんだろう。
「なんで南ちゃんも万智ちゃんも浴衣持ってるの⁉ 京都の人はみんな持ってるの⁉」
「私のは一応自前だけど、京都人がみんな持ってるってことはないだろうねー」
「私は滋賀の実家から送られてきてたから」
「実家から⁉」
北浜さんが生まれて初めて社会の格差を知りました、みたいな悲壮な顔を浮かべる。
たしかに実家からこんな高そうな浴衣が送られてくるなんて聞いたらびっくりするわ。
察するに河原家はそこそこ太いお家のようだな?
浴衣を自前で用意しているのもびっくりだが、昨日の今日で浴衣の着付けを頼めるお店があったとは思えない。
なのに、ふたりともバッチリ浴衣を着こなしているから驚きだ。
「ふたりとも自分で着付けしたのか?」
俺が尋ねると南はひらひら袖を振ってこたえる。
「一応ねー。でもいまだに動画とかで見直しながらなんとかって感じ」
「私は実家でいろいろ作法の勉強とか習い事とかさせられてたから、その一環で」
「作法……習い事……うぐぅ」
河原の一言一言に北浜さんのヒットポイントが削られている。
たぶん北浜さんのライフはもうほとんど残ってないので、これ以上の河原の自覚無い攻撃はやめさせた方がいいだろう。
状況が状況なので、今日は北浜さんの専属お世話係である河原には暇をとってもらったほうがいいだろう。同じ理由で南を傍付きとするのも却下。
必然、しばらく北浜さんの機嫌が治るまでは俺がペアになるしかなさそうだ。
御手洗祭りのメイン行事である「足付け神事」は参道を登った先、本殿の傍を流れる御手洗川で行われる。
まずはそこを目指して参道を歩きながら、露店をぶらぶら散策すればいいだろう。
「とりあえず露店のほうへ歩こうか」
「おっけーレッツゴー!」
「ゆっくり歩いてるから、よろしく」
そうなるだろうなとは思っていたが、浴衣のふたりが自然と先に歩き出し鳥居の奥へと吸い込まれていく。
一方で北浜さん、完全に沈黙。
どないせーちゅうねん。
「北浜さん、俺たちも行きましょうか」
「浴衣の人……いっぱい……わたし、浮いてる……」
壊れたロボットのように北浜さんがボソボソ呟いている。
これは北浜さんが食いつきそうなものを見つけないと動いてくれそうにないな。
何かないかと露店の方へ目を向けると、からあげ、焼きそば、フランクフルトと食べ物の屋台がズラズラ並んでいる。
昼ごはんからまだ食事系は微妙だなと思いつつ、人混みの隙間から見え隠れするもう少し奥の屋台を確認する。
「あ、りんご飴あるんだ」
「……りんご飴?」
北浜さんがピクリと反応した。
あ、これ掛かったぽいな。
「俺、りんご飴たべたいんですよねえ。一人じゃ寂しいんで、先輩ついてきてくれませんか?」
「……先輩」
うつむいているが、北浜さんの口元が緩んでいる。
前にもあったがやっぱり先輩扱いされるのが嬉しいとみた。
ダメ押しとばかりに北浜さんの手を両手でぎゅっと握ってお願いする。
「先輩! お供してもらえますか⁉」
「そこまで言うなら……仕方ないなぁ!」
ぱぁっと顔を上げた北浜さんは、すっかり頬をほころばせていた。
ライフが0→50程度に回復した北浜さんと足並みをそろえて鳥居をくぐる。
俺とつかず離れずの距離で歩いている北浜さんは、さっそく右へ左へとキラキラ輝く瞳を露店に向けている。
こういう一面が純粋で可愛らしいなあと思いつつ、ちょっとチョロイン属性がありそうでやっぱり後輩の俺は心配です……。
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