59話 夏祭りには誘惑が多すぎる(1)
京都国際会館でゲーム大会が行われてから1週間後。
2年生1学期の最後の登校日はあっという間にやってきた。
いよいよ明日から夏休み。
1年の前半戦と後半戦に挟まるハーフタイムを向かえる学校はどこか浮足立っていた空気に満ちている。
長期休み直前の授業はただの消化試合でしかなく、雑談混じりの授業の時間はあれよあれよと過ぎていく。
そして最後にいつもより長い担任の挨拶を聞き流してホームルームは終了した。
委員会や部活はそれぞれの活動の締めくくりの会があるらしく、それぞれ友人との別れを惜しみつつ各自の活動場所へ散っていく。
そんな中、特に学校に居残る用事もない俺はトロトロと下校のために荷物をまとめていた。
そこにハイテンションな南がやってくる。
「鳥羽氏おっつかれ〜!」
「おつかれさん。荷物おおいな」
「いやーいろいろ持ち込むと持って帰るの大変だねえ」
南は両肩にスクールバッグとボストンバッグをかけ、両腕までもトートバッグで塞がっている。
マジで学校に何持ってきてるんだこいつ。
それはそうと、わざわざ声をかけてきた理由が何かあるはずだ。
教科書類をスクールバッグひとつに余裕で収めながら尋ねる。
「で、何の用事だ?」
「あーそうそう。一応予定の確認! 今日の夜、大丈夫だよね?」
一聞すると、夏休みに浮かれたカップルが夜の逢瀬の約束をするアヴァンチュールな会話に聞こえるが、もちろんそんなわけはない。
南が言っているのは、今夜開かれるシェアハウスでのプチパーティーのことだろう。
なんでもこういう区切りの日や記念日には住人が集まってご飯を食べることがシェアハウス代々の伝統になっているらしい。
「大丈夫だけど食材の準備とか手伝わなくていいのか? その荷物だと買出しできないだろ」
「もう買ってあるから大丈夫! バッチグーよ!」
「おお、なんか今回はいつもよりやる気入ってんのな」
前に北浜さんを励まそうと食事会を開いたときは、信頼と実績のある河原にお願いして全員分の料理を作ってもらっていたが、今回は発案者の強い希望もあって南が食事を用意することになった。
いわく、今夜は「1学期お疲れ様でした会」と「ゲーム大会準優勝おめでとう会」を兼ねているので主賓である河原万智の手を煩わせるわけにはいかないということらしい。
ちなみに北浜さんは3回に1回のペースで厨房を焦げ臭くするので、もちろん最初から候補に挙がっていない。
高校卒業後に独り立ちできるのか後輩の俺はめちゃめちゃ心配です。
「南ちゃんが腕によりをかけた料理で胃袋ガッツリ掴んであげるから楽しみにしててね!」
「なら、にんにくに頼った男飯じゃない料理を期待してていいんだよな?」
「鳥羽氏の偏見がひどいッ!?」
南が大きな声を出すせいか、チラチラと周囲から視線を感じる。
ところどころニヤニヤしている連中がいるのはなんなんですかね?
俺と南がシェアハウスに住んでいることは公言していないので、今の会話から俺たちが恋仲だと勘違いしているやつもいるのかもしれない。
もし嫌なら南が否定するだろうし、俺から説明して話をこじらせたくもないので今は黙殺だな。
軽いスクールバッグをひょいと担いで南に会釈する。
「それじゃ先に帰るわ」
「ほーいまたあとでね〜」
ふりふりと手をふる南を背に教室をあとにする。
去年は何とも思わなかった夏休みの入口が、今年はちょっと賑やかそうに思えたのはやっぱり南のおかげだろうか。
*
女子3人はそれぞれ充実した放課後を過ごしてきたらしく、シェアハウス玄関のドアが3度開いたのはすっかり日が暮れてからだった。
自室で夏休みの宿題の消化にとりかかっていた俺が、美味しそうなスパイスの匂いに気が付いたのは8時頃。
追って夕飯の準備ができたと南の声が聞こえてくる。
その合図を受けてダイニングに降りると、テーブルの上には南が用意した晩餐――何の変哲もないカレーライス――が既に並んでいた。
南が作る料理といえば麺料理!
と思っていたのにパスタ以外をつくるなんて、明日は空から矢でも降るのかもしれない。
遅れて河原と北浜さんも席につくと、南は全員にグラスを手に持つよう促して乾杯の音頭をとった。
もちろん注がれている飲み物はオレンジジュース。
別に不満は無いがそれ以外の選択肢なんて用意されていない。
「それじゃ1学期おつかれさまでしたー! かんぱーい!」
「「「かんぱーい」」」
橙色の4つのグラスをコツンと打ち付けてちょびっと口をつける。
しっかり冷やされたオレンジジュースはキリッと酸味がきいていて、後に引く甘さが抑えられているので飲みやすい。
続いてカレーライスを口に運ぶ。
カレーは人によって味や具材のこだわりがよく現れる料理だと思う。
南の場合はじゃがいも、にんじん、豚肉の塊がゴロゴロと形を残したまま入っている食べ応えのあるカレーだ。
ベースは俺も知っている市販のルーを使っているようだが、自分で作る時よりも全体的に深みがあるように感じる。
「なんていうか、普通に旨いカレーだな」
「ふふん。でも実は普通じゃないんだなー! 隠し味、なんだと思う?」
「「「オレンジジュース」」」
全員が揃って即答した。
本人は出鼻をくじられて少し不服そうに口を尖らせているが、だってそれしか考えられないもんなあ?
茶化すような雰囲気になってしまったが、実のところ隠し味のオレンジジュースがこんなにいい仕事をするとは想像もしていなかった。
北浜さんはパクパクと人一倍早いペースでカレーライスを平らげていく。
「ほんとに美味しいね! 私も今度やってみようかなぁ?」
「気を付けてくださいね、分量間違えるとカレーがオレンジ色に染まりますよ」
「私そこまでドジじゃないからね⁉」
北浜さんの元気なツッコミにみんなでケラケラと笑い合う。
その余韻に浸りながら、全員が黙々とカレーライスに向かい合う食卓はまるで一家団欒だ。
日が暮れて昼間より涼しくなった家の外からは、リーリーと気持ちよさそうな虫の音。
ときどき暑苦しい蝉の声が混じっているのを聞くと、7月も後半に突入した夏の真っ最中なんだなと思わされる。
eスポーツ部との一件があった日から、いつの間にか2カ月の日々が流れていったわけだ。
南の後輩をきっかけにeスポーツ部が部員不足で廃部の危機にあることを知ったのが6月上旬。
その後輩の代わりにゲーム大会に出ようと猛特訓を行っていたのもまだ梅雨の時期だった。
それから河原万智に協力を取り付け、惜しくも準優勝だったがeスポーツ部は大会の記録に名を遺す実績を出した。
7月後半には期末テストもあったので、委員会とテスト勉強とゲーム練習を並行してこなしていた河原万智は本当に超人だ。
今日は大会に出場した河原を労う会でもあるはずなのに、未だ誰もその話題に触れていないことに気が付いた俺は、何の気なしに口を開く。
「そういえば今日eスポーツ部と話してきたんだろ、どうだった?」
そもそも河原にeスポーツ部への協力を依頼した大きな理由は、今回の大会で実績を残して部活を廃部の危機から救うこと。
惜しくも準優勝だったので学校側がそれを実績として認めてくれるかどうか気に掛かっていた。
「とりあえず部活は存続することになったんだって」
「準優勝でも実績だって認められたのか。それはよかった」
「あー、うん」
「うん? なにその反応」
てっきり河原も安堵していると思っていたのに、なぜか煮え切らない反応だ。俺は首を傾げて続きの言葉を待つ。
「大会の記録そのものっていうより、記事で話題になったのが直接の原因ぽいんだよねえ」
「記事?」
「鳥羽氏、ほいこれ」
南が自分のスマホをすっとテーブルに差し出してきた。
手に取ってみると、SNSなどの話題をまとめたWebサイトが閲覧されている。
見出しは『美人すぎる女子高生天才ゲーマー!』。
先日のゲーム大会で準優勝した洛中高校eスポーツ部の概要と、そのメンバーのひとりである女子高生が決勝大会で魅せたバトルについて取り上げられている。
というか記事のメインは明らかに河原についてだった。
「なるほど……それで複雑な心境ってわけね」
記事には会場で公式に撮影されていたチームメンバーの写真も掲載されている。
フードを被っているとはいえ、マスクとサングラスを外した河原万智の顔がしっかりちゃっかり映っていた。
さすがに個人名は載せられていないが関係者なら一目瞭然だ。
「優勝できなかったのもそうだけど、ちょっとこの展開は不本意だったわ。まさかあの写真がこんな使われ方するとも思ってなかったし」
「会場でも基本的に変装してたもんな。身バレ対策か?」
「別にネットで個人情報さらしてないからそういうのは心配してないけど、学校でいろいろ噂されるのが面倒なのよ」
「河原ちゃん有名人だもんねえ。やー有名人は辛いね」
南がさもありなんと言うように口を挟む。
自分も変人で名を馳せる有名人のくせにどの口が言う?
内心でツッコミを入れていると、南に同調するように北浜さんが口を開いた。
「今週は3年生の方でも万智ちゃんの話けっこう聞いたかも」
「そこまで話が広がってるんですね。河原って本当に顔広いんだな……」
「そうだよ? なんかネット記事のこともあって、ゲーム部に入った万智ちゃんを見に行こうとしてた男子もけっこういたし」
「あーそれで今日はじめて部活行ったら部員の人たちあんな疲れた顔してたわけね、納得」
大会のあと、河原はしばらく部活に顔を出していなかった。
それが今日になってようやく部活側の呼び出しに応じたらしい。
eスポーツ部の人たち、今週ずっと河原目当ての野次馬の対応してたんだろうな……。
それにしても、こんなにも度々話題にされてしまうと身に応えるだろう。河原がeスポーツ部への仮入部を隠そうとしていたのも納得だ。
そのことに気がつくと、しまったなという後悔が頭をよぎる。
結果的に、河原がeスポーツ部として活動した事実が学校中に広まってしまった。
それはつまり「陽キャの女帝――河原万智――」にオタク的な趣味があると知れ渡ってしまったことを意味する。
この学校はオタクに対しての風当たりが異様に厳しい。
いくらカーストトップの河原でさえ、オタクというレッテルを貼られてしまうと学校では立場が悪くなることもあり得る。
俺自身がそういう評判を気にしない性格のせいで、そこまで頭が回っていなかった。
今となっては後の祭りだが、さりとて放ってはおけず俺は謝罪の言葉を口にする。
「河原、ごめん。ここまで話が広がるとは思ってなかった。その……学校での立場とか大丈夫か?」
「それ私の学校での評判ってこと? 鳥羽ってそういうの気にするタイプだったんだ」
「自分のことは気にならないけど、他人もそうとは限らない。特に河原は結構な有名人だから体裁も気にしてるだろうし……」
「あーそういうのいいって」
呆れた様子でぶんぶんと手を振り払って河原は続ける。
「別にそういうの気にしてないから。ゲームやってるくらいでオタク呼ばわりするならどうぞご自由にって感じよ。そもそも今までだって人気集めのために何かしてたわけじゃないんだし、こんなことくらいでアンチになるような人はこっちからお断りね」
「それちょーわかる! めっちゃ同意!」
南が瞳をキラキラ輝かせている。
なるほど、この心構えが人気者の秘訣なのか。
河原万智ほどの人気者であれば、趣味のひとつやふたつで評判がガタ落ちすることはないかもしれない。
影響があったとしても、もともとアンチだった人間が少し勢いづくくらいだろうか。
学校生活にも実害がでないのであれば安心だ。
今はeスポーツ部に仮入部中の河原だが、それなら今後も問題なく部活を楽しむことができるはず。
「そしたらeスポーツ部にはこのまま入部するのか?」
「入部届は渡されたけどまだ保留にしてる」
「保留? なにか事情があるのか」
「まあね。夏休みのあいだ、しばらく考えてから決めようと思う」
詳しい事情を話すつもりはないらしく、河原は話を切り上げてカレーライスに意識を戻した。
河原はいつも即断即決が多い。
そんな彼女が決断を保留するのには相応の理由があるのだろう。
学校での評判は気にしないようだし、委員会との両立も問題はなさそう。
周囲に噂を立てられるのが面倒と言っていたが、現状そうなっているように本人への実害はほとんどないはずだ。
だとすると、何が制約になっている?
気になりはするが、いまここで深追いする勇気はない。
俺も河原にならって食事を再開する。
と、北浜さんが独り言ちるように口を開いた。
「夏休み……お祭り……」
先ほどの河原の発言から何かを連想したのかぶつぶつと呟いたあと、今度は弾けるような元気な声で宣言した。
「
「急になに⁉ なんでこのタイミングッ!?」
何の脈略もなく至近距離で駄々をこねられた河原が、ビクゥッと肩を跳ね上げる。うん、今のは誰だって驚くわ。
とりあえず落ち着けと河原が抑えつけ、北浜さんが少し静まったところで改めて質問する。
「俺行ったことないんですけど、御手洗祭りってシェアハウス近くの神社でやってるあのお祭りですか?」
「そうそれ!」
御手洗祭りは京都の下鴨神社で行われる夏の風物詩。
下鴨神社の境内にある御手洗川に足をつけて、けがれを祓いましょうというお祭りだ。
普段は入れない神聖な川に一般人が入ることができるのだが、足湯くらいの深さしかないのでズボンさえ捲し上げれば普通に歩くことができる。
ちなみに「みたらし団子」の名前の発祥もこの地だと言われているらしく、神社の境内にも美味しいと評判のみたらし団子が売っていたりする。
せっかく夕飯で回復させた体力をごっそり持っていかれたのか、河原が疲れた様子で言った。
「何で急にそんなことを……」
「だっていま思い出したんだもん! たしか明日からでしょ!? みんなで行こうよー!」
ササッとスマホで調べたらしい南がそれに便乗する。
「ほんとだ。ちょうど明日からじゃん! 河原ちゃんも鳥羽氏も予定空いてる?」
「私は空いてるけど……」
「俺も空いてるが、めちゃくちゃ急だな」
「いいじゃん、ノリと勢いが大事ってね!」
南がニカっと笑って議決完了。
本当に急遽決まったのにはびっくりだが、夏休みの幕開けにふさわしいイベントだろう。
1学期最終日の夜は、今までに経験した事のないようなハチャメチャな夏を予感させるひと時だった。
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