50話 女子部屋は緊張しすぎる(3)

 そこが他人の生活空間テリトリーだという感覚はどこから湧いてくるのだろうか?


 などと哲学の世界に逃げ込もうとしたけど無理でした。

 部屋の敷居を超えた瞬間から胸の鼓動が限界突破している。

 そして手汗もヤバイ。


 まず部屋に入った瞬間、目に映る景色が変わった。

 明るいクリーム色の壁紙に包まれたそこは、女の子の部屋とゲーマーの部屋を贅沢にハーフアンドハーフしたような不思議な空間だ。


 家具の色味はモノトーンに統一されていて、部屋の真ん中にはローデスク、壁際には作業机と本棚が置かれている。

 もちろん床にも机上にも物は散らかっていない。

 隅々まで整理整頓が行き届いているのはやっぱり河原らしい。

 これが南の部屋なら雑誌や漫画で散らかっているはず、完全に偏見だけどな。


 一見すると殺風景な印象を与える部屋。

 けれど、机の隅っこなど所々に並べられているキャラクターフィギュアがシンプルな雰囲気の中に個性の華を咲かせていた。


「あんまりジロジロ見られると流石に恥ずかしいんだけど」

「あ……すまん……」


 つい部屋に見惚れて部屋主の声で我に返った。

 河原はムスッとした表情なのに、頬はほのかに朱に染まっていて、見ているこっちが恥ずかしくなってくる。


 目のやり場に困らせながら、促されたクッションに腰を下ろす。

 ソファーではなく地べたに座るスタイルだ。


「いま準備するからちょっと待ってて」

「うっす」


 なんとか緊張をほぐそうと静かに息を深く吸う。

 すると今度はラベンダーの香りが鼻孔を満たし、余計に心拍数が上がってしまう。

 どうにも五感が総出で「女子の部屋にいる」という現実を突き付けてくるのだ。

 異性の部屋に入っただけでこんなに緊張している自分が我ながら情けない……。


 河原がゲームを起動させると、正面に置かれた30インチほどの黒い薄型テレビに白いロゴが浮かび上がる。


 が、俺の目線はテレビ画面ではなく、それを支えている白いテレビラックに釘付けになった。

 

 そこには、白のラックを赤色と青色で塗りつぶすように、ゲームソフトのパッケージがぎっちり隙間なく並んでいた。

 知らないタイトルばかりだが、とにかくラインナップの多さが半端ない。 

 ショッピングモールの小さなゲームコーナーよりよっぽど充実してるぞ……。



 しばらくの後、南が約束どおり部屋に差し入れを持ってきた。

 ちなみに差し入れは今回もオレンジジュース。

 さすがにマンネリを感じたが、「リビングに忘れ物してたよー」と俺のPROコントローラーを持ってきてくれたので小言は我慢した。


 南はそのあとすぐにリビングに戻ったので、部屋には俺と河原のふたりきり。 


 俺は勧められたクッションに腰を落ち着けて待っていたが、諸々の準備を終えると河原はいつものように俺のすぐ隣に座った。

 リビングと違って地べたに女の子座りをするせいで、タイトなパンツが腰や脚のラインを描いている。

 が、見ちゃだめだ、煩悩滅却、精神力で我慢だ。


 そんな煩悩を揺さぶっている自覚は無いのであろう河原は、ゲームの対戦モードを選択していた操作を止めて口を開いた。


「eスポーツ部との対戦は何時から?」

「9時半から。まだちょっと時間あるな」

「そうね。だったら」


 選びかけていたインターネット接続モードをキャンセルし、河原はふたり対戦モードを選択する。


「ちょっと肩慣らししない? 今の鳥羽の実力も知りたいし」

「もちろん。でもお手柔らかに頼むな」


 俺はいつもどおり丸ピンクちゃん、河原はやはり女神様を選択した。

 お互いにキャラクター選択が完了し、まもなく試合開始だ。


 開幕直後、俺は真っ先に突撃を仕掛ける――と思わせて寸前で勢いを殺すように小ジャンプ。

 こちらの攻撃を防ごうとした女神様を欺き、ガラ空きになったところを掴み攻撃で攻める。

 最初の一撃は練習通りに決まった。


「前より上手くなってるじゃない」

「おかげさまでな。序盤の立ち回りはパターン化できるようになってきた」

「じゃあその天狗鼻はへし折ってあげる」


 連続攻撃を繰り出していた丸ピンクちゃんの間合から、女神様がヒラリと距離をとる。

 こちらの近接攻撃が届かないこの距離は、河原が操るキャラクターが得意とする間合だ。

 そこからは一転、女神様のペースに持ち込まれてしまった。

 巧妙に組み合わされた魔法攻撃でこちらの動きを封じ、そのあとは連続攻撃の嵐。

 あっという間に俺は残機を1つ失った。


「コンボ技を抜けるのはまだまだ練習不足ね。ファイト☆」

「絶対にあおられてるけど何も言えねぇ……」


 その後も試合は河原のリードで進んでいった。

 毎日の練習の成果もあって、最初の頃に比べればこちらが反撃する場面も増えているが、それでもなお力量の差は歴然としている。


 この差は、やはりゲームにかけてきた時間と熱量の差なんだろう。

 俺が毎日練習しているからといって、付け焼刃の技術ではどうにも埋まらない差がある。

 

 試合が終盤に差し掛かったころ、俺はまるで世間話を装うように軽い調子で聞いてみた。


「河原っていつ頃からこのゲームやりはじめたんだ。かなりやり込んでないとこんなに上手くなれないだろ」

「ちゃんと覚えてないけど、たぶん中1くらい?」

「ってことは今でもう5年目か。道理で俺とはゲームの経験値がちがうわけ、だッ!」


 俺の放った必殺の斬撃が相手にクリーンヒット。

 命を2機削ってはじめて女神様を撃沈させると、河原の口から「くそっ」と興奮気な声が漏れる。

 もちろん、これくらいでは俺が大敗している状況は何も覆らないのだが、最後の最後まで諦めずに突貫する。


 画面の中で女神様は俺の命がけの攻勢をのらりくらりと避けている間、画面の外で河原がぽつりと呟くように言った。


「といっても、中学まではずっと両親に内緒でコソコソやってた感じなんだよね」

「なんか意外だな。本当はゲーム禁止だったのか」

「まぁね。だからお婆ちゃんにこっそりゲーム買ってもらって遊んでた」

「いちおう支援者パトロンはいたんだな。するとこのゲーム機はその時からの相棒か」


 画面の中で丸ピンクちゃんに必死であがかせつつ、俺は独り言のトーンを崩さないように、何気ない調子で問う。

 俺がゲームに取り組んでいる真の目的は、自分が上達することではなく、河原がeスポーツ部に入部するよう勧誘することだ。

 そのために少しでも話の材料になる情報を得ておきたい。


 そういう思いが先行して、手よりも口を動かしたことが災いした。

 ふと回避行動が甘かった丸ピンクの隙を河原は見逃さず、徹底的にコンボ攻撃を叩き込む。


「中学の時のじゃないよ。全部、受験前にバレて没収されちゃったから」


 河原の口からぽつりと言葉が出た。

 その声音の違和感に気を取られた直後、画面の中で女神様が繰り出した大技をもろに被弾してしまう。


「はい、これでおしまいッ!」


 そのままダメ押しの一撃をくらって丸ピンクちゃんは退場。

 試合は決着した。

 画面は暗転し、表彰画面へ。

 まるで最後の河原の告白を洗い流すように、軽快なBGMが部屋をにぎやかす。


 さっきのひと言にどんな思いが籠っていたのか、すぐ隣にいる彼女の表情を見れば分かるのだろうか。

 気になるくせに盗み見る度胸はなかった。

 だから、俺は誤魔化すように視線を部屋の壁掛け時計に向ける。


「約束の時間まであと5分だな」

「わかった。じゃあオンライン対戦の準備はじめる」

「ありがとよろしく」


 ゲームメニューを操る河原の指の動きは、いたっていつも通りの軽快な動きだった。

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