52話 対戦(2)

 河原 vs eスポーツ部のバトルはまさに圧巻だった。


 俺の代わりに河原がプレイした最初の一戦を終えてから相手の動きが様変わりした。

 俺と対戦していた時より明らかに機敏になった相手の動き。

 まるでゲームを早送りで見ているように錯覚するほどのスピードで両者のキャラクターが攻防を繰り広げる。


「なかなかやるわねッ!」


 敵の大技を喰らった河原が、むしろ興奮した顔で前のめりになって反撃に出る。

 テレビ画面では一進一退の白熱したバトルが続いている。

 だのに、俺の視線はゲーム画面をじっと見つめる河原の横顔に釘付けになっていた。


 河原は学校で一位二位を争う美人だと言われていて、実際のところそれは誇張でもなんでもなく、その整った容貌を活かせばモデルや女優になることだって夢じゃないだろう。


 シルクのような滑らかな黒髪、ツヤハりのある肌、長いまつげ。

 そして、ゲーム画面を真っ直ぐに捉える大きな瞳。


 ――ズドンッ。


 ゲームから衝撃音が響いた直後、不意に河原がこちらを向いた。


「今の見た⁉ すごくないっ⁉」


 まるで夏の夜空に輝く花火のような笑顔が弾けた。

 瞳はキラキラと輝き、頬は興奮でうっすら上気し、口元は無邪気に笑っている。

 いつもの大人びた表情がまるで嘘のよう。こんなのまるで別人だ。 


 初めて見る子供のような可愛らしさに言葉を奪われる。

 けれどそれも束の間、河原は俺の相槌すら待たずに視線をテレビ画面に戻してしまう。

 本当に一瞬の輝きだった。

 けれど、河原のあどけない笑顔は俺の脳裏にしっかりと焼き付いてしまった。



 結局、eスポーツ部との4連戦は河原の4連勝で決着。

 バトル終了直後、嵐のような勢いでメッセージが飛んでくる。


『いまのやばかったww』

『うますぎ!』

『すげぇ』

『もはや別人』


 eスポーツ部の人たちには、こちらのプレイヤーが入れ替わってることは伝えていないから、純粋に俺が隠していた実力を発揮したのだと思い込んでいるのだろう。

 言葉通り賞賛の嵐に包まれて、河原はご満悦の表情になる。


「ま、こんなところね。なにか勉強になった?」

「むしろ凄すぎて見惚れてたわ……」


 俺が素直な感想を口にすると、河原の口元がむふっと緩む。

 褒められて嬉しい気持ちを隠しきれていない表情に、またもドキッとさせられる。

 本当にいつもとまるで別人だ。


 それにしても、と思う。

 河原の実力はやはり折り紙付きだ。

 仮にも相手はeスポーツとして真面目にゲームに取り組んでいる実力者たち。

 もちろん、相手が鳥羽おれだと思い込んで油断していた側面もあるだろうが、それを鑑みても4人全員を打倒した実力は伊達じゃない。


 その後、もう一度プレイヤーを俺に戻して4連戦。

 そして今度はしっかりちゃっかり4連敗をきっした。

 試合後の相手の反応は、


『あれ?』

『さっきのはどうした?』

『試合の温度差で風邪ひきそう』

『そのキャラクター向いてないのでは?』


 と散々の評価だった。さぞかし相手は混乱していたことだろう。

 

 1戦目から1時間以上が経っていたので、この日の通信対戦はこれにてお開きとなった。

 こちらもゲームを終了し、コントローラーを片付け、できる範囲で部屋の片づけを手伝う。


 大会本番まではあと1か月。

 大会には事前エントリーが必要で、その締切を考えると河原を勧誘するには今日がラストチャンスだと言ってもいい。


 使っていたコップやペットボトルをお盆の上に乗せながら、脳裏に焼き付いている河原の笑顔を思い返す。

 今まで、あんなに楽しそうな彼女の笑顔を見たことがあっただろうか。

 ゲームの実力も、熱量も人並み程度のものじゃない。

 北浜さんがライトノベル好きを理由にこのシェアハウスに住んでいるのだとしたら、間違いなく河原はゲーム好きがその理由だろう。


「あとは私がやっておくから放っておいていいよ。飲み物だけリビングに持って行っておいて」

「了解だ、ありがとな」


 部屋の片づけはあっという間に終わってしまった。

 もうこれ以上、この部屋に居る理由はない。

 河原とふたりきりでいられる時間は、せいぜいあと1分程度だろうか。


 河原をeスポーツ部に誘いたい。

 あの場所は、間違いなく彼女が活き活きとしていられる環境だ。

 けれど、何と言えば彼女は首を縦に振るんだろう。

 決め手となる言葉が見つからずに、俺はまだ口を開けない。


 そうこうしているうちに、河原が立ち上がって部屋の扉に手を掛けた。

 俺もじっとしているわけにはいかず、コップを乗せたお盆を手に取って立ち上がる。


 敷居をまたいで廊下に出ると、冷たい空気が肌を撫で、部屋にはゲームの熱が籠っていたんだなと実感する。


「じゃあおやすみ。また声かけてくれたら練習付き合うから」


 部屋の境界線の向こう側から、河原が淡白に挨拶をする。

 共用部と個室を隔てていた木の板が、再び閉ざされていく。


 河原を説得する答えはまだ見つからない。

 けれど、扉が閉じてしまったらきっともうチャンスは訪れない。

 

 部屋の扉が閉じ切ってしまう寸前、俺は意を決して口を開いた。


「あのさ! やっぱり俺の代わりに大会でてくれないか」


 ガチャリと鳴るはずだった音はやってこず、扉の動きがピタリと止まった。

 閉ざされかけた扉の隙間から、河原の声が聞こえる。


「委員会との両立が難しいからって、前に言ったよね」

「もちろん覚えてる。たしかに普通の部活なら大変かもしれないけど、eスポーツ部ならそこまで心配する必要ないぞ」

「根拠は?」


 訝し気な声が鋭く跳んでくる。

 けれどこの問答は事前に想定していた内容だ。

 南が勧誘したときに河原が辞退した理由は、「委員会との両立が不安」という点だけ。

 少なくともこれに関しては、説得できる材料を揃えてある。


「河原はもうeスポーツ部と委員会を両立できてるんだよ」

「それどういう意味?」

「この1か月、俺のために時間割いてくれてただろ? eスポーツ部は毎日部室に行かずに家で練習するのも認められてる。だから、大会に向けて俺を手伝ってゲームしてた河原は、疑似的にeスポーツ部の活動をこなしてたことになるんだよ」


 扉の向こうに隠れた河原の表情は伺い知れない。

 けれど扉が閉じていない以上、まだ交渉の余地はある。 

 きっと、理屈だけじゃ言葉が足りない。

 下手でもなんでも構うもんか、あとは俺は思いつくままに気持ちをぶつけろ。


「今日の対戦で、やっぱり俺の実力だとeスポーツ部の足を引っ張るって痛感したんだ」


 河原からの返事は無い。

 鼓動がどんどん早くなる。胸がはち切れそうだ。

 けれど知ったことか。

 とにかく今は思うままに言葉を並べろ。


「でも河原の実力はeスポーツ部に十分匹敵してた。俺があと1か月練習するより、河原が協力してくれた方が絶対に大会で実績を残せる確率は上がるはずだろ。俺を助けるつもりで協力してくれないか」


 一気に話した反動で息を吸いながら、河原の反応を待つ。

 我ながら情けない言い分だ。

 自分で立候補しておきながら、実力が足りないから助けてくれというお願いをしている。


 けれどそれでいい。


 河原はきっとゲームに本気で取り組んでいる。

 いや、愛してると言っても過言じゃないかもしれない。

 これまでの言動から察するに、純粋な彼女の意思としてはeスポーツ部に興味があるはずだ。


 なのに、彼女は「委員会」という外的要因だけを理由に入部を断った。

 それはきっと、彼女が自分の感情だけを指針に物事を決定しない性格だからなのだろう。

 だったら外部に彼女が入部していい理由を用意してやればいい。

 例えば、身近な人間――情けない鳥羽おれ――に助けを求められたから、というように。


「頼む。また俺への貸しでいい。助けてほしい」


 扉の前で静かに頭を下げる。

 言葉通りの気持ちが半分、もう半分では河原が本当に楽しくいられる環境へ飛び込んでほしいという願いを込めて。


 何秒経っただろうか。

 河原からの返事はない。

 夏前だというのに場違いに冷えた空気が足元から登ってくる。

 それでもまだ頭を下げつづける。

 俺の手札はもう使い切ったのだ。


 そして。

 ふありと、覚えのあるラベンダーの香りを乗せた暖かい空気が頬を撫でた。


「わかった」


 今度ははっきりと河原の声が耳に届く。

 顔を上げると、困ったような笑顔を浮かべた河原が立っていた。


「とりあえず今回の大会には出てあげる」


 いつものように澄ました顔で河原が言う。

 けれど、その時の彼女はほんのちょっと頬が緩んでいるように見えた。

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