43話 後輩の頼みは魔性すぎる(2)

 帰る方向が違う唐橋さんとは京都駅で別れ、俺と南は市営バスに乗り換えた。

 バスの乗車率は7割~8割といったところ。

 決して空いているわけではないが、ぽつりと空席を残した車内は、学生と社会人の帰宅ラッシュの間にほっと一息つくような落ち着いた雰囲気が漂っていた。


「となり空いてるよー?」

「見りゃわかるって」


 真っ先に南が確保していた二人掛けの席に近づき、そばのつり革に手を掛ける。

 とくに混雑はしてないから通路に立っていても邪魔にはならないだろう。

 そのままバスの出発を待っていると、南が首を伸ばして覗き込むようにして声をかけてきた。


「一緒に座らないの?」

「俺はここでいいよ」

「さてはお主、南ちゃんと肩を並べて座るの恥ずかしいのかな?」


 にんまり笑みを浮かべて挑発するように空いた席をぽんぽんと叩く。

 こいつ、ついさっきハーレムキングだのと揶揄した直後にまたからかいやがって……。

 もちろん気恥ずかしいからだなんて本心はおくびにも出すわけにいかず、俺は悟られないように目線をバスの車窓に逸らして答えた。


「かばんがあるのにふたりで座ったら狭いと思っただけだ」

「大丈夫だって。というか、どさくさに紛れて肩とか腰とか触われるチャンスだよ?」

「変な誘惑すんな……。いいから代わりに俺の荷物もそこ置かせてくれ」

「はいはいりょーかい」


 分の悪い掛け合いに終止符を打つようにドサリと鞄を置く。

 それでようやく南も観念したのか、バス出発の定刻まで特に会話はなく各々の時間を過ごしていた。



 蛍光灯に優しく照らされた車内から、何の気なしに車窓の景色を眺める。

 帰宅ラッシュ前と言えど駅前の大通りは賑やかだ。

 騒がしく行き交う赤や白や橙の光は、夜の原色をすっかり打ち消して都会色に染め上げている。人間の手によって光り輝くようになったこの時間は、それでもなお、夜と呼んでいいのだろうか。


 そんな哲学の真似事みたいな思考にふけっていると、ふと声をかけられた。


「なにか考えてる?」

「え?」


 横を向いた瞬間に南と目があって、自分が見られていたことを自覚する。

 考え事をしていたのは事実だが、他人に聞かせられるほどまとまった内容でも話して何か意味があるような内容でもない。

 説明に困った俺は、代わりにとりあえず思いついた話題を出鱈目に口にした。


「あれだ。唐橋さんのこと、とかな」

「あらなんと! もしかして鳥羽氏、唐橋ちゃん気になってるの? 好きなの⁉」

「違うわッ、すぐに話を飛躍させんなッ!」


 南の瞳がキラキラッに輝いている。

 やべー、これ南のスイッチ入ったわ。


「唐橋ちゃん美人だもんねー。しかも年下! あーいうのグっとくる感じ?」

「だからそういう話じゃなくてだな」

「あーでもそっか。どっちかっていうと、鳥羽氏はああいうギャルっけあるタイプは苦手か⁉」

「おい人の話聞けやコラ」

「いってぇー」


 もうまったく暴走が止まる気配がなかったので手刀で南の頭をチョップ。

 さすがに公共の場でからかわれ続けるのは辛抱溜まらんからな。


 かなーり優しくソフトにチョップしたのに、南は大げさに頭を押さえたり擦ったりして見せつけてくる。もういっそサッカー選手になればイエローカードもぎ取り放題なんじゃねえの?


「そうじゃなくて……そう、ふたりってどういう関係なのかなーとかそういうのだよ」

「そういうことねー。唐橋ちゃんは部活の後輩だよ?」

「部活? 南ってなにか部活やってたっけ。てっきり帰宅部だと思ってたけど」

「失礼な、ちゃんと美術部に籍を入れてるんだからね! ただ行ってないだけ!」

「それ幽霊部員じゃねえかっ! なんで偉そうに言ってんだ」


 ムフンと腕を組む南にしれーっとした目を向ける。

 こいつ美術部だったのか。まあ絵は上手いし芸術系の部活に入っていること自体は何も不思議じゃないんだけどな。


「じゃあ唐橋さんは美術部の後輩ってだよな。でもなんで『先生』って呼ばれてたんだ? そもそも幽霊やってるなら交流もほとんどなさそうなのに」

「あー、それはねえ。唐橋ちゃんとは美術部以外でもちょっと関わりがあってね、その関係でなんかリスペクトされちゃって呼ばれてるだけ」

「美術部以外で?」

「いま公開可能な情報はここまででーす。乙女を詮索する男はモテないぞ~」

「へいへい」


 手をひらひら振って話題を切り上げる。

 南があからさまに話したがらない時は相応の事情があるときだ。

 全く気にならないといえば嘘になるが、そもそも場をつなぐために持ち出しただけ話題なんだし、ここが話を切り上げる潮時だろう。



 バスは昼にもまして賑やかな夜の四条通、三条通を走り抜けてさらに北上を続けている。

 都会の光から逃れたこの辺りには天然無垢な夜の背景がまだ残っていて、その穏やかな空気は引っ越してわずか2カ月の人間にすら安息を与えてくれる。

 ここまでくると、シェアハウスの最寄りのバス停まではあと10分弱といったところだ。


 そんな風になんとなく藍色の車窓を眺めていた時だった。


「ちなみにだけどさ。なんで協力してくれるのか聞いてもいい?」


 ふと、窓に顔を映したまま南が話しかけてきた。

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