42話 後輩の頼みは魔性すぎる(1)

 夕暮れとよいがナワバリを争って茜色と藍色がせめぎ合うような空の下、eスポーツ部の部室をあとにした俺たち3人は、下校のため学校の正門を出て帰路についていた。

 ローファーが石畳の参道をコツコツと叩き、足並みそろわない音がまばらに響く。

 それでも、3人分の足音はそれぞれ違うテンポと重みをもっていて、まるで賑やかな即興曲アンプロンプチュを聞いているようにどこか心地よい。

 

 ちなみに伝統ある私立高校であるわが校は、設立に由縁がある神社の境内に隣り合うように校舎が立っている。そのため登下校のルートに神社の参道が含まれているのだ。


 夕暮れを漂白するようなLEDの光に照らされたグラウンドで練習を続けているサッカー部を横目にのんびり足を進めていると、ふと独り言ちるように唐橋さんが呟いた。


「あーいうのなんかいいなぁ」

「ああいうのって、部活のこと?」


 グラウンドのほうを見ていた南が顔を向けると、唐橋さんが「あっ、えっと」と言葉を選ぶような間をとってから答える。


「なんていうか、あんな風に堂々と好きなことに打ち込める感じが、ですかね」

「あーそれわかるかも。お天道様に顔向けできる趣味ってやつね」

「ですです。そんな感じです」


 女子ふたりがうんうん頷きあって意気投合しているのを見て、俺は思わず首を傾げてしまう。


「唐橋さんもゲームの趣味があるんでしょ? 別にそれって隠さないといけないようなものじゃないと思うけど」

「やー、男子はそうかもですけど女子的にはビミョーですよ? ガチゲーマーでモテるのは二次元のキャラだけですって」

「そうだぞー私の趣味だって女子的にはビミョーなんだから!」

「いや、南の趣味はそれ以前に倫理的なハードルがあるからそうだろうけどよ……」


 プンスカ怒った演技をしている南をしれーっとあしらうと、唐橋さんがきょとんとした表情で俺を見てきた。


「あれ、南先輩の趣味のこと知ってるんですか?」

「あー。えっと……」


 知ってはいるが内容がセンシティブなだけに答えてしまっていいのか躊躇してしまい、是非を問うように南にチラと視線を送る。

 けれどそれは杞憂だったようで、南は何の躊躇いためらもなく親指と人差し指でOKを返してきた。多分唐橋さんには既に伝わっているのだろう。

 それを確認して胸を撫でおろしながら俺は答えた。


「知ってるよ。週末はいつも部屋に籠って同人誌を描いてるし」

「あ」

「え?」


「……え?」


 ぽかんとあいた口から出た南の間抜けな声と、眉根を寄せた唐橋さんの口から出た訝し気な声が重なる。

 あれ、唐橋さんは知ってるんじゃなかったの? なんか嫌な汗をかいてきたんだけど。


 いよいよ境内の総門をくぐろうとしていたところで足を止めたままの唐橋さんが、俺と南の顔を交互に見ながらおずおずと口を開く。


「先輩たちって……そういう関係だったんですか……⁉」

「あ、いや別に付き合ってるわけじゃないから! 一緒の家に住んでるだけ!」

「一緒の家にッ⁉」


 目を白黒させた唐橋さんがガバっと開けた口を手の平で覆う。

 やっべ。しくじった。そういえば、高校生の男女がリビングもお風呂もトイレも共有する一つ屋根の下で暮らしてるなんて普通じゃないんだったわ……。

 シェアハウスに住み始めてはや2ヵ月。すっかりこの生活に馴染んでしまったがゆえの事故。


 これ以上なにを言っても墓穴を掘ることになりそうで、謝罪と支援要請の意を込めて頭を下げる。

 南は呆れたように肩をすくめると、ケロッと開き直った様子で口を開いた。


「実はねー。私シェアハウスの管理人的なのやっててね。かくかくしかじかな理由で今年の春から鳥羽氏もそこに住んでるんだよ」

「かくかくしかじかってマジで言っても伝わんねぇだろ……」

「よく分かんないんですけど、そこは追及しないようにします」


 愛想笑いを挟んでから遠慮がちに唐橋さんが続ける。


「だからおふたりって仲いいんですねぇ。……もしかして2人暮らしなんですか?」

「ううん、他にあと女の子2人住んでるよ?」

「えッ、じゃあ鳥羽先輩ハーレムじゃないですかッ⁉」


 唐橋さんはいよいよ熟れた桃みたく顔を朱に染めている。

 すると南は何か吹っ切れたように表情を明るくし、またいつもの調子のよいニヤケ顔を向けてくる。

 あかん、これ絶対にロクでもないからかいを思いついた時の顔や。


「いやぁ鳥羽さん、実際のところハーレム生活の感想はいかがですかぁ?」

「変な聞き方すんな、いたって健全な生活送ってるわい!」


 名誉棄損の危機を感じて強めにツッコむと、南はしたり顔を浮かべて「ふ~ん」と意味深に呟く。え、なに? これから何を言うつもり⁉


「鳥羽氏さ、屋上で女の子とふたりっきりで夜を過ごしてたよね」

「それ自分のことだよな、健全だったろ⁉」

「昨日は学年トップクラスの美少女と肩を並べてテレビ見てたよね?」

「たまたまだから! ゲームしてただけだから!」

「……女の先輩とふたりきりで夜抜け駆けしてたのは?」

「おい待てなんでそれ知ってる」


 さてはこいつ、あのとき起きていやがったのか。

 すると北浜さんからジュースを奢られた一部始終も見られていた……?

 まさかッ!と疑って睨むも、南は明後日の方向にカッスカスの口笛を吹いている。

 この尼……、あとで絶対に記憶を忘却させてやる。


「事実を切り取ればそういうことになるけど、誓って健全なので!」

「そーいうことにしといてあげる♡」

「だからそういうのをやめいッ!」


 俺がムッとしてみせるのをまるで気にせず、南はカラカラと笑う。

 ひとしきり笑ったあと、唐橋さんが置いてけぼりにされてぽかーんとしているのに気づいたのか、南は足を前に踏み出して話を続ける。


「まーそういうわけでね、さっき話してた他の候補の子っていうのは実はうちのシェアハウスに住んでる同級生なんだよ」

「それってもしかして、前に話してたガチゲーマーの友達ですか? でも断られたんじゃ……?」

「一応、今のところは、ね?」


 河原は一度試すような目で俺を見てから、唐橋さんに優しい笑みを向けた。


「とにかくこれについてはこのハーレムキング鳥羽先輩に任せちゃって大丈夫だから。唐橋ちゃんはもう無理に勧誘されないと思うし安心して」

「なんかいろいろありがとうございます。すごい助かりました」

「お礼なら鳥羽氏に言ってあげて~」

「あ、そうでした」


 ヒラヒラ手を振る南に促され、唐橋さんは亜麻色の髪をふわりと揺らして俺に向き直る。

 ちょうど境内の門を超える階段の上段下段に立っている位置関係も相まって、唐橋さんの大きな瞳が上目遣いになる。


「今さらになっちゃったんですけど、鳥羽先輩、私の代わりにありがとうございます。ほんっとーに助かります!」


 自分の両手を胸元でぎゅっと合わせる仕草が小動物らしさを感じさせる。

 うーん、可愛い。というかあざとい。

 あざといんだけど可愛い。やばい無限ループに入るわこれ。


 とにかく後輩の女の子からお礼を言われてしまって文句は付けられない。

 照れやなにやらで上手い返事は思いつきそうになく、俺は階段を一息に降りて総門をくぐりぬけて勢いをつける。


「まーあとはこっちでなんとかしてみるよ」

「鳥羽氏、きみに任せたっ!」

「おい南、もちろんお前も手伝うんだぞ?」

「えー人使いが荒くなーい?」

「それはこっちの台詞だからなッ⁉」


 すっかり慣れた調子で掛け合っていると、最後に門を潜り抜けた唐橋さんがたたっと前に飛び出て振り返る。


「じゃあ、ちょー仲良しなふたりの共同作業でお願いしまーす!」


 にんまり笑顔を浮かべた唐橋さんに言われて、俺と南は思わず互いの顔を見合わせクプクプと似たような笑いをこぼす。


「ね、後輩の女の子に頼まれちゃったら断れないでしょ?」

「これについては同感だ」


 神社の境内を抜ければ、あとは駅に向かって車道沿いの歩道を道なりに行くだけだ。

 車道を通り過ぎる車の光が眩しくて空を見上げると、夕暮れからナワバリを勝ち取った宵時が、雲ひとつない京都の空に藍色の幕を広げていた。

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