45話 習うより慣れろ(1)

『ウワアアアァァッ‼』


 南と揃ってシェアハウスの玄関をくぐった直後だった。

 いたいけな少年の断末魔が家中に響き渡る。

 現場はすぐ近くだ。おそらく現場はシェアハウスのリビング。


 俺は南に目で示し合わせ、音を立てないように静かに靴を脱ぎ、慎重な足取りでリビングへと踏み入れる。


 

 ――リビングでは想像を遥かに超えた凄惨な光景が広がっていた。


 羽衣に身を包んだ女神様が、神聖なロッドを残虐極まりないスピードで振り回し、年端も行かない少年を際限なく殴打している。

 重い一撃をその身に受けた少年は、全身粉砕骨折も辞さない勢いで地面に叩きつけられ、まるでゴム毬のように壁や地面へ身を打ち付けて跳ね返る。

 それでもなお、女神様は変態的なスピードで走ったり跳ねたりして執拗に少年を追いかけまわしていた。


 案の定、そんな常人離れした格闘術の操作主プレイヤーはソファに腰掛けている河原万智。

 テクニカルすぎてキモい。


「おおおおっ! 今の連続技すごくないっ⁉ 万智ちゃんすごーい!」

「ちょっと……見てるのはいいけど少し離れて」


 河原にべったり張り付くように座っている北浜さんが歓声をあげ、河原が心底うっとうしそうな声を漏らす。

 表情こそ見えないが絶対によそ様には見せちゃいけない顔をしているだろうな……。


 そんな光景をぽけーっと眺めているうちに、女神様はごりごり少年を殴りふっとばし、あっという間に勝敗は決した。

 女神のくせに何の慈悲も無い。圧倒的な女神様の独り勝ち。


 勝利を見届けた北浜さんはなぜかひと仕事終えたようにぐいーっと背伸びする。

 いやあんたゲーム見てただけでなんで疲れてるんだよ……。

 なんて内心つっこんでいると、ふと後ろを向いた北浜さんっとこちらの目があった。


「あ、鳥羽くん帰ってたんだ。おかえり~」

「ちょうどいま南と帰ってきたところです。なんか珍しい光景ですね?」

「でしょでしょ? 万智ちゃんいつも部屋に籠ってゲームしてるから珍しいよね!」


 北浜さんがトンと肩を叩くと、気だるげそうに河原が首を巡らせる。


「たまには大画面でやりたくなるのよ。ていうか、テレビ使う?」

「いや大丈夫。むしろ俺も見学させてもらうわ」

「見学?」

「いろいろあって俺がeスポーツ部に入ることになったんでな。まずはお前のプレイ見て勉強するところから始めようかなーって」

「はッ⁉ 鳥羽がeスポーツ部に入るの? なんで⁉」


 目を大きく見開いて、河原が顔だけでなく半身ごとこちらに向けてくる。

 いくらなんでも驚きすぎだろ……と思ったが、いや驚いて当然か。


 河原からすれば、自分の代わりにeスポーツ部との交渉に行かせただけのつもりだったのに、その代わりがになって帰ってきたわけだ。


 もちろんそれすらも仮の姿で、実は河原を部活に勧誘するためのeスポーツ部の回し者になっちゃいました。

 ……なんて今ネタ晴らししたら全部がご破算だから言うわけないけれど。


 どこまで事情を説明しようか逡巡していると、テレビから次の試合開始の合図が飛ぶ。


「万智ちゃん次始まるよ!?」

「分かってる!」


 謎の引力に引っ張られるように河原の顔がテレビに引き寄せられる。

 どうやら今やっているのはインターネット対戦のようだ。

 なるほど対戦相手がいるから中断ができないぽいな。



 『Ready Fight!』とゴングが鳴る。

 直後、河原の親指が目にもとまらぬ速さでコントローラーの上を駆け巡った。


 マジで指の関節いかれてるんじゃねえかと錯覚するスピードでカチカチコチコチとボタンを連打。

 画面上の女神様は指の動きからは想像できない複雑怪奇なステップを踏んで戦場ステージで舞うように闘っている。


「で、なんで?」


 ゲーム画面をすっかり呆けて見ていると、最初の1人目を撃墜した拍子に河原がチラと目を向けてきた。

 あーゲームしててもしっかり話は聞くんですね……。


 ちなみに話の前提を知らないはずの北浜さんはさっきからずっと頭の上に疑問符を浮かべている。

 一応北浜さんにも説明するのを兼ねて簡単に経緯を話しておくか。


「eスポーツ部が人不足で廃部になりそうって話、南と一緒に今日eスポーツ部で聞いてきたんだよ」

「南の後輩が無理に勧誘されてるって話?」

「そうそのこと。いろいろ話して南の後輩が勧誘されるのは辞めてもらえるようになったんだけどさ。やっぱり他に人が見つからないらしくて」

「それで――」


 危うく河原のキャラクターが場外に落とされかけて言葉が途切れる。

 河原はぷつりとマイクが切れたように無言になると、鬼の速さでコントローラーを連打し鮮やかな動きで女神様をステージに復帰させ、改めて口を開いた。


「それで、同情して代わりに自分が入ることにしたって?」

「まぁ結論だけ言えばそうなるな」

「ふーん」


 河原はつまらなさそうに鼻を鳴らし、画面内で痛めつけていた相手をやや強引に場外に吹き飛ばした。

 それから相手が復活するまでの待ち時間を埋めるように話を続ける。


「あんたって本当にお人好しっていうか、意外と感情で動くタイプよね」

「自分では努めて論理的かつ冷静な判断をしてるつもりなんだが?」

「どこがよ。ほんとゲームに向いてない」

「今からゲーム頑張ろうとしてる人に向ける言葉じゃなくない?」


 出鼻をくじかれて辟易していると、なぜだか北浜さんがキョトンとした顔で俺を見る。

 

「でもさ、なんでゲーム下手なのにそのeスポーツ部? に入れたの?」

「浜さんってたまに人の心えぐるようなこと平気で言うよねぇ」


 河原が急に棒読みになって蛇足する。

 こいつ、自分がいつも北浜さんにどんな発言してるのか自覚してないんか?

 なんだか北浜さんが不憫に思えてつい口を挟んでしまう。


「そういう河原は常日頃わざと人の心えぐるようなこと言ってるけどな?」

「いやいや、私はちゃんと人を選んで言ってるから」

「それって俺なら傷つけていいって思ってるってことなんだが!?」

「あ、ごめん今集中してるからよく聞こえない」


 刹那、河原のコントローラーがカタカタカタッと音を立て、ゲーム画面から勢いよく爆発音が炸裂する。

 コノヤロウ都合いい時だけゲームを言い訳にしやがって。


 本当にこのシェアハウスの住人はオブラートに包んで言葉を選ぶことを知っているやつがひとりもいない。

 北浜さんは純粋無垢な言葉で人のデリケートゾーンをツンツンつついてくるし、河原は人の急所をグサグサ狙い撃ちしてくる。

 南は……、もうちょっとお淑やかな言葉遣いができればただの美少女なんだが。


 再び相手キャラクターの復帰を待つ合間に合わせるように、河原が口を開く。


「でも実際どうなの? eスポーツ部の勧誘って誰でもよかったわけ?」

「そんなことないって。再来月にちょうどそのゲームの大会があるらしくて、そこで実績残せなきゃ廃部になるらしいからガチでメンバー探してたみたいだぞ」

「結構本気で取り組んでる部活なのね。でもだったらなおさら、あんたでよかったわけ? そんな上手くないでしょ」

「まぁ2ヶ月あるしな。今から毎日練習してなんとかするよ。実際いまこうして勉強してるわけだしな」

「あんたねぇ、ゲーム舐めすぎ……」


 画面に顔を向けたまま河原がやや深めに息を吐く。

 分かってはいたが、ガチゲーマー様から言わせれば、俺がやろうとしているのはかなり無謀な挑戦ってことなんだろうなあ。


 もちろん本命は俺の代わりに河原に出場してもらうことだが、万一それが叶わないときは俺自身が出場するつもりではいるのだ。

 eスポーツ部の入部にしたって、ひとまず廃部を逃れてから本命の新入部員を探して代わってもらえば問題ないだろうしな。


 ゲームの中では、女神様が余命1つとなった相手の少年キャラクターを嗜虐的な笑みを浮かべながらタコ殴りにしている。

 相手は致死ダメージ量を優に超えてるはずなのに、こいつわざと殴り続けてるんじゃねえの? 早く引導渡してやれよ普通に児童虐待だろそれ……。


 あわや相手のダメージ量がカンストするかというところになって、ようやく女神様はトドメの一撃を放った。

 目にも留まらぬ速さで敵キャラクターの少年が場外にふっとび、『Game Set!』と裁定が下る。


 やがて画面が暗転し軽快なファンファーレが鳴り始めた。

 けれど河原は勝利の表彰画面には目もくれず、こちらを振り返ってジト目を向けてきた。


「あのねぇ、ゲームが座学だけで上手くなれるわけないでしょ」

「それはそうだろうけど俺はマジで初心者だからな……。まずは基本を見て学ぶところから始めるべきだろ」

「いやいやそんなんじゃ2ヶ月後に間に合うはずないから。習うより慣れろって言ってんの」

「はぁ……、そう言われてもなぁ」


 実際のところ座学で知識を吸収するのは得意だが、スポーツだったり音楽だったりと手足を動かす技能の習得は苦手な自覚がある。

 まずは理論や理屈を頭に叩き込まないと、どうにも身体を思う通りに動かせる自信がないのだ。

 こればっかりは染み付いた性分みたいなものだから仕方がないと割り切っている。


 俺が完全に開き直っている態度がさらに癪に障ったのか、ついに河原はゲームの対戦モードを閉じてコントローラーをソファーに置いた。

 何かを察したように北浜さんが河原からそっと身体を離し……ってもしかしてこれガチ説教されるやつですか!?


 身の危険を予感して助けを求めるべくキッチンを振り返ると、パスタを調理しているらしい南が遠くからサムズアップしている。

 こいつ肝心な時に全く役に立たないッ!


 俺が観念した直後、河原は大仰に振り返って口を開いた。


「仕方ないからあたしが練習に付合ってあげるわよ」

「え、マジ?」


 思わぬ提案が跳んできてすっとぼけた声を出してしまう。

 遅かれ早かれ頼もうと思っていたとはいえ、こうもあっさり事が運ぶと思っていなかったからな。


 思わぬ事態の好転に内心ガッツで喜んでいると、河原が不敵な笑みを浮かべる。

 うーん、これはなんか嫌な予感がしますねえ。


「大会まで2ヶ月でしょ。それまでみっちりしごくから」

「御手柔らかにお願いします……」

「却下」


 ――こうして地獄のような特訓の日々が始まった。

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