本編

36話 この一戦は真剣すぎる

 6月上旬のとある休日。

 今朝から降りしきる梅雨の雨は、街の騒音をすっかり吸い込んで、森の草木を楽器に使ったフリーダムなBGMを奏でている。


 文明の雑音から切り離してくれる雨の日は嫌いじゃない。

 けれど、夏を目前にした京都の梅雨は好きじゃない。


 ……なんたって、蒸れた空気が肌にまとわりついてうざったいたらありゃしない。


 京都は山々に囲まれた盆地。

 そのため暑さも湿気も溜まりやすく、言うなれば街全体が巨大な蒸釜なのだ。


 初夏ですら風通しを良くしないと耐え難い暑さなのに、ここ数年は神様の加熱調理スキルがめきめき上達している気がする。……今からもう今年の夏が心配だ。


 神様、私の声が聞こえてますか?

 水を差してから火を起こすのは完全に餃子の焼き方なんですよ、まじで勘弁してください。



 ――そんな梅雨の昼下り。シェアハウスのリビングにて。

 俺は大自然のヒーリング効果とヒーティング効果を同時に味わいながら、

 

『Leady Fight!!』


 思う存分に、文明の利器テレビゲームに勤しんでいた。


 画面の中では、桃色のボールから手足が生えたキャラクターと、青いマントが特徴的な剣士の青年が対峙している。

 それぞれ異なるゲームタイトルから参戦しているキャラクターで、まさにオールスター戦と冠するのがふさわしいスマッシュ格闘ゲームだ。


 俺が手元のコントローラーでボタンをカタカタッと押すと、画面の中で性別不詳の丸ピンクちゃんがソードやらハンマーやらをどこからともなく取り出しブンブンと振り回す。


 対して相手のオサレさわやかイケメン剣士は、鮮やかにこちらの攻撃をかわしつつ、細身のサーベルをしなやかに振りかざして牽制する。


 よくよく思えばスマッシュどころか殴ってすらいねぇな。

 いっそ大乱闘異種混合格闘ゲームって名乗ったほうがよいのでは? 


 そんな益体もないことに思考を割いていたものの、勝負は無事に俺の勝利で決着した。

 今回の相手は初心者向けのレベル設定だったからな。これで負けたら流石にヘコむ。


 やがて勝利のファンファーレが高らかと鳴り、丸ピンクちゃんが可愛くポーズを決める。

 それとほぼ同時のタイミングだった。


 「あ……」


 と、後ろから声がした。

 振り返るとリビングの入口に立っていたのは河原万智。


 初夏らしく白い薄手の半袖ブラウスに、足首のくびれが映える少し短めジーンズを履いたコーデは、見ているだけでも涼やかな気分になる。


 やっぱり河原は抜け目がない。

 これがもし桃山南だとしたら、キャミソール1枚でシェアハウス内を闊歩していそうなもんだからな……。


 その点シンプルとはいえバッチリ決めている河原は、これから出かける用事でもあるんだろうか?

 なんて想像を膨らませていると、思いの外、河原は無言のままに背を向けて引き返そうとしはじめた。


 その予想外の反応に引っかかりを覚えて、俺はほぼ脊髄反射で口を開く。


「テレビ使うのか?」

「べつに、大丈夫」

「あ……そう」


 そう言われてしまった以上、こちらが食い下がっても仕方がない。

 脳裏にもやがかかったような感覚があるものの、次のバトル開始の掛け声に意識がゲームに引き戻される。

 合図に急かされるように、俺は雑念を頭の片隅に追いやって画面に集中した。





 次はどうやらボス戦だったらしく、なかなかの苦戦だった。

 最後の最後はギリギリの闘いでなんとか決着。

 

 すっかり没頭していたせいか、勝利のファンファーレが流れると同時に肩の力がふっと抜け、画面の中だけにあった意識が3次元に戻ってきた。


 ……その3次元から、なにやら視線を感じるんだが?


 まさかと思って恐るおそる振り返る――と、やっぱり人がいた。

 正体は、ドア枠に背中を預けて立っている河原万智。

 目と目がバッチリぶつかってしまう痛恨の一撃!


 まさかと予想はしていたが、まさかと思っただけで何も言葉を用意していない。要するにめちゃくちゃ気まずい。


 相手はトップオブリア充、陽キャの女帝、河原万智。

 彼女の素顔を何も知らなかった頃の俺なら、ゲームプレイ中の姿を馬鹿にされるのかも、なんて被害妄想を掻き立てていただろう。

 

 けれど、このシェアハウスで同居を初めてそろそろ2ヶ月も過ぎる。

 少しは彼女のことを理解できてきた証拠なのか、ふと俺の中にある可能性が浮かんだ。


「えっと……、一戦やる? ていうかできる?」


 ――そう。

 つまり、単にゲームで遊びたいだけなんじゃね? って話だ。


 河原はその大きな瞳を斜め下にそらし、手を口元に当ててなにやら思案顔を浮かべる。

   

 そして数秒の沈黙が続いた後、


「じゃあ一戦だけ」


 河原はリビングのほうへやってくると、テレビ横の箱からコントローラーを漁り始めた。

 うん、自分で提案しておいてなんだがな。マジか、本当にやりたかったのか。


「じゃあ一戦だけ」


 河原は俺の提案にあっさり乗っかると、適当なコントローラーを手に取って、スタスタこちらへ歩いてきた。


 リビングには3つのソファーがコの字に並んでいて、俺が座っているのはテレビの正面に置いてあるソファー。

 そのどこに座るのかと目で追っていると、


 ――河原は何の躊躇ためらいもなく俺のすぐ隣に腰を下ろした。

 革張りのソファーがギシっと軋む。

 

「……なんでここに?」

「だって画面よく見たいし」


 ちょっと身体を傾ければ肩が触れ合ってしまいそうな至近距離。

 テレビから視線を逸らすと、さらさらの髪、長いまつげをたたえたモデルみたいな美人がそこにいる。

 おまけに涼し気なブラウスの袖からは、乳白色の柔らかそうな二の腕が伸びていて、姿勢を崩せば肌と肌が密着してしまいそうだ。


 部屋に漂っていた雨の匂いは、シトラスのような魅惑の香りにかき消され、爽やかでどこか甘い匂いがふわりと鼻孔をくすぐる。

 おかげで、テレビに目を向けても隣に女子が座っている事実を否が応でも意識させられる。


 心拍数がとんでもないことになっているのは、バトル前の緊張……だと思っておかないと理性が吹っ飛んでしまいそうだ。


 俺は脳内の煩悩を悟られないように平静を装いつつ、ひとり用モードを閉じて2人対戦モードを選択する。


「ちなみにどれくらいこのゲーム知ってるんだ?」

「基本的な操作はできる。ただ最近は久しくやってないからちょっと慣れが必要かも」

「了解だ」


 どうやら完全に初心者ってわけではないらしい。

 言いぶりからして、俺と同じくらいの経験値だろうか?


 俺がこの手のゲームに手を出し始めたのは高校に入ってからだが、暇なときにちょこちょこやっているおかげで、最近はひとり用モードならそれなりに敵を倒せるようになってきた。


 しばらくして画面が切り替わると、キャラクターの顔がずらりと並んだ選択メニューが現れる。

 俺は迷うことなくお気に入りの丸ピンクちゃんを続投させる。

 理由は単純。このキャラクター以外はろくに操作できん。


 対して河原が選んだのは、エメラルド色の髪が映える女神様のキャラクターだった。


「それでいいのか?」

「うん」


 俺もゲームを始めたばかりの頃に少し使ってみたことがあるが、あれは初心者には難しすぎるキャラクターだった。

 そんなキャラクターを選んで大丈夫か……? なんて心配もするが、まあ好きなキャラでゲームを楽しむのが一番大事だな。


 キャラクター選択が終了し、バトルステージが自動で決定。

 まもなく、試合開始のカウントダウンが始まった。


 3……2……1……、


「手加減しなくていいから」


 河原がぽつりと呟いたと同時、


 ――FIGHT!


 試合開始のゴングが鳴り響く。

 初戦でいきなり手加減無用ってどれだけプライド高いんだ!?


 そのひと言で動揺した俺は、いつもなら開幕直後に相手へ急接近するところを、あえて距離を保ったまま様子を伺うことにした。


 河原の操作する女神様は跳んだり跳ねたり、あらぬ方向に火球をぶっ放したりと、とんちんかんな動きを繰り返している。

 あからさまに初心者丸出しだ。

 こんな相手に本気で殴りかかるだなんてあまりにも大人気おとなげない。


「操作練習が終わったら合図してくれ」

「それならもう大丈夫。来ていいよ」


 まだ試合を初めて数秒だ。久しくプレイしてない状態でキャッチアップするにはあまりに時間が短すぎる気がするが……。


 俺はスティックをカチャと倒し、まずは基本的な動きの組み合わせで攻勢に転じた。


「って、あれ、大丈夫か!?」


 未だにぽんこつな動きを繰り返していた女神様は、初動の一撃からコンボを食らって場外へ吹っ飛んでしまう。

 さすがにステージへ復帰はできるようでホッとしたが、うーん、これは手加減が難しいな。


 すると河原が少し不満げな声を出す。


「ねえ、手加減なしって言ったよね」

「……本当に手加減なしでいいのか?」

「そう言ってるじゃん」

「ほんとのホントに?」

「いつでもどうぞ」


 そこまで言うならやってやろうじゃないか。

 あまり俺を舐めるなよ?


 俺は最近やっと習得しはじめた組み合わせ技をつなぎ、あっという間に相手のダメージを即死相当量まで蓄積、一撃で場外にふっ飛ばす。


 あれよあれよと言う間に俺の攻撃が炸裂し、河原の残機数はついに残り1になってしまった。

 ……このままゴリ押ししちゃっていいのだろうか。

 あとから逆恨みで刺されたりしない??


 なんて心配していると、不意に河原が呟いた。


「よし、そろそろイケそう」


 直後、ぴょんぴょん跳ねていた女神様の動きが一変した。


 不意にダッシュで近いてくる、と見せかけての急停止&火球攻撃。攻撃は通常時よりも遠くにまで到達し、目測を見誤った俺の丸ピンクちゃんが被弾する。

 爆発の衝撃で吹っ飛ばされ、一度体勢を立て直そうとするも、女神様はそれすら先回りして為す術もなく連続攻撃をくらわされる。


 そうして一度も身体の自由が戻らぬまま、俺は残機をひとつ失った。


「ここから巻き返すから、かかってきなさい!」


 河原の挑発に乗ったわけではないが、2機目、ステージに復帰した直後に俺は接近戦をけしかけた。


 ダッシュしながら前方にジャンプ。

 そのまま地面に打ち付けるような足攻撃をお見舞いして。

 ――と脳裏に描いた未来はあっという間に砕かれる。


 河原の操作する女神様は緊急回避でヒラリと俺の攻撃をかわし、慌てて着地したところを横から杖で殴打。

 俺も負けじとソードで反撃するが、その剣閃には女神様の魔法のシールドが既に出現しており、あっけなく攻撃を弾かれてしまった。

 まるでこちらの攻撃が読まれている、というより、もはや河原の思惑通りに攻撃させられているような気分だ。


 遂には致命的な一撃を食らって2機目も撃沈。あっという間に同点に持ち込まれてしまった。


「ちょ、なんか急に強くなってない!?」

「あんたの動きがワンパターンすぎるの、よッ!」


 最後の命でステージに降り立った丸ピンクちゃんに、またも女神様の攻撃がクリーンヒット。

 俺が追撃から逃げようにも、小刻みなジャンプや急降下を組み合わせた機敏な動きであっという間に距離を詰められてしまう。

 上手すぎる。上手すぎてもはや動きがキモいまである。


「はい、撃墜攻撃メテオをドンッ!」


 最後の最後は余裕綽々に攻撃を浴びせられ、俺の丸ピンクちゃんは奈落の底に吸い込まれていった。

 バトルは河原の大逆転でゲームセット。

 河原の操作キャラクターを讃える勝利のファンファーレが高らかに鳴り響いた。


「強すぎんだろ……。最初のプレイはなんだったんだ」

「だから久々だって言ったじゃん? あと、いつものコントローラーとボタンカスタマイズが違ってたから慣れなくてさぁ」

「カスタマイズ?」


 字面からして、コントローラーの操作方法を変えられるってことだろうか。そんな機能があるなんて初耳なんだが?


 しかしそうすると、河原の最初のヘンテコな動きは慣れないコントローラーの操作方法を確かめていたってわけか。


「……ちなみにこのゲームどれくらいやってるんだ?」

「プレイ時間は数えてないけど、オンライン対戦だったら全キャラVIPにしてるわ!」

「VIP……? 凄そうな感じは伝わるわ……」


 珍しく意気揚々としている河原に押され気味になってしまう。

 なんかすげぇ楽しそうじゃんかこいつ。


 河原の意外な一面を見たことに内心驚いていると、俺が独りごちた疑問に対して意外なほうから答えが返ってきた。


「VIPはねー、全世界で上位5%の強者つわものってこと、だよね?」


 声の主はいつの間にか後ろに立っていた桃山南。

 初夏らしく――やっぱり上半身は黒のキャミソール1枚だった。

 

 胸元までざっくり空いている、というか布が無いので白く透き通るようなデコルテが思いっきり目に飛び込んでくる。

 男の基準からしたらほぼ水着か下着も同然だ。

 ……あと、こいつ意外にでっかいのな。


 意外な着痩せっぷりを披露した南がニヤニヤと俺たちを見比べる。


「ふたりでゲームなんて珍しいね? しかも同じソファーに座っちゃって、いつから乳繰り合う関係になったの?」

「みーなーみー?」

「あーたんまたんま。うそ冗談」


 河原にギロリと睨めつけられ、南が慌てて2、3歩あとずさる。

 冗談でも河原をからかうもんじゃねーよ、こっちまで殺気飛んできてちびりそうになるんだぞ。


「まぁとにかく、河原ちゃんはこのシェアハウスきってのガチゲーマーだからね。舐めてかかると痛い目にあうよ?」

「それはもう十分痛感したわ……」


 今しがた、そのガチゲーマー様は初心者の俺に対しても容赦なくフルボッコを噛ましてきたわけだ。

 ガチのゲームオタクだし、これは想像してた1万倍くらい強いぞ。


 わずか1試合でどっと疲れがこみ上げて放心していると、河原は涼し気な顔のまま立ち上がった。


「じゃあ私はこれで」

「ん、ゲームしたかったんじゃないのか?」

「今じゃなくてもいいから。あとでゲーム終えたらひと声掛けて」


 たぶん河原なりの気遣いなんだろうが、どうせ俺はもうゲームを続ける気力がないのだ。

 それなら今からテレビを明け渡すぞ――と提案しようと口を開きかけたその直前。


「じゃあさ、休憩がてらちょっとお話しない?」


 やけに明るい笑顔をたたえて、南が両手に持っていたオレンジジュースのグラスを差し出してきた。


 それを見て、俺も河原も互いに目を見合わせてから渋々うなずく。

 ふむ、どうやら同じことを考えているらしい。


 ……これは絶対に面倒なことになる。

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