33話 祝勝会は楽しすぎる

 選書会の結果発表があったその日の夜。

 シェアハウスでは、北浜さんの吉報を受けて打ち上げパーティーが開かれることになった。


 シェアハウスメンバー全員でダイニングテーブルを囲み、オレンジジュースを注いだグラスを手に取る。

 乾杯の音頭は、もちろんだ。


「えっと……、本当にいろいろありがとうございました。か、乾杯っ!」

「「「かんぱ〜い!」」」


 カツンッとグラスが響き、橙色のしずくが元気に弾ける。

 よく冷やされた柑橘の甘みと酸味は、乾いた喉へ爽快に流れ込んだ。


 食卓にはレストランかと見間違えるほど豪勢な食事が並んでいる。

 準備を担当したのは河原と南だ。


「ねぇこれ、これ本当に手作りなの!?」

「私は仕上げを手伝っただけだから、実質ほとんど河原ちゃんのお手製だよー」


 メインディッシュは鯛をまるまる一尾使ったアクアパッツァ。大皿の真ん中に鎮座する鯛の周りにアサリが並び、散りばめられた真っ赤なミニトマトが全体を鮮やかに彩っている。

 サイドディッシュには、葉野菜を中心にクルトンが転がったシーザーサラダ。さらに、クラッカーにクリームチーズや生ハムを載せた一品料理まで用意されている。


「この量を河原ひとりで作ったのか……。ちょっとは分担してもよかったんじゃ?」

「だって南、『オレンジジュースで味噌煮込んだらオレンジ味噌汁になるかなぁ?』とか言い出すんだもん。それでも同じこと言う?」

「一手に引き受けて頂いてありがとうございます」


 変人南おそるべし。

 こいつの創作スイッチが入るとロクなことにならん……。


 それにしても、どれもが家庭料理を超えたレベルだ。

 食材費は全員で分担ということになっているが、後から物凄い代価を請求されたりしないよなぁ?


「アクアパッツァとか全然煮崩れしてないし。これもうプロのレベルだろ」

「あー、それ低温調理器使ったからね。想像しているより手軽に作ってるわよ」

「万智ちゃん、料理しない私達からしたら、それ全然手軽じゃないからね……?」


 北浜さんがタハハと苦笑する。本当にその通り。

 お湯を注いで3分待つだけで作れない時点でもう全然手軽じゃないのだ。

 ……それは俺の調理スキルが低すぎるか。ていうか調理すらしてませんね、はい。


 話したいことは山程あれど、せっかくの料理が冷めてしまってはもったいない。まずは各々好きに料理を取り合って舌鼓を打つ。


 それからひと通り全ての料理に手をつけたころ、北浜さんが嬉しそうに選書会の様子を語りはじめた。


「それでね、最後の最後にいっぱい人が来て、大人気だったの!」

「じゃあその人たちの票が当選につながったのかなぁ?」

「だと思う! 体育会系の人ってちょっと怖い印象あったんだけど、なんか見る目が変わっちゃったもん」

「ほえ〜、意外なところで縁があったんだねぇ」


 感心そうに南がうんうんと頷く。

 実際、あれはとんでもない大どんでん返しだった。

 たしかに終盤にやってきた生徒たちの集団票が北浜さんの得票になったわけだが、ライトノベルの宣伝という意味ではそれ以上の成果があったように思う。


「にしても、あれが神橋さんか……。やっぱり『陽キャ界の姫』って影響力やばいのな。正直、あの人が最後にフォローしてくれたのにもかなり助けられたぞ」


 書店で名前を聞いたとき「もしかして?」と思ったが、選書会の一件でそれが確信にかわった。

 河原万智と共に、スクールカーストトップの双璧をなす女子生徒として名前があがるのが、他ならぬ神橋かんばしそらだ。


 河原がサバサバとクールな態度で体育会系のスポーツマンを飼いならす「女帝」だとすれば、神橋さんは陽キャも陰キャからも分け隔てなく愛される「お姫様」という感じ。


 俺と千林さんの口論で張り詰めていた空気を、神橋さんはたったひと言で弛緩させてしまった。

 それだけでなく、彼女がライトノベルに肯定的な態度を示したことによる影響が大きかったのだ。


 そもそも、オタクを馬鹿にしているのは声の大きな一部の生徒。千林さんのように勉強一筋でオタクを毛嫌いしている生徒もいるが、彼ら彼女らの多くは単に黙殺しているだけだ。 


 オタクが蔑視されている雰囲気は相変わらずだが、少なくともあれ以降、ライトノベルのことをやり玉に上げて馬鹿にする発言は耳にしなくなった。


 すると河原が鼻でフッと笑ってから口を開く。


「あの子はね自分の立場が最優先なだけよ。おおかた、『ライトノベルにも理解を示す寛容で素敵な女の子!』って演じたかったんでしょうね」

「お前……またすげえ嫌味はいってないか?」

「いろいろあってヘイト溜まってるのよ、私も」


 なるほどふたりの溝はなかなかに深そうだ。

 これ以上つっこむのはよしておこう。


 同様に南も話題を変えるべきだと判断したのか、感心な目を俺に向けて話しかけてきた。


「で、その大逆転の人集めも鳥羽氏の作戦だったわけだ?」

「あーいやぁ……」

「お?」


 歯切れの悪い俺の反応を見て、南が首を傾げる。

 本当に苦笑いするしかない。

 あれは俺の作戦でもなんでもなく、言ってみれば僥倖ぎょうこうだった。


 ライトノベルというお題目を取っ払い、他のジャンルを交えてライトノベルをPRするところまでは俺の作戦だ。

 相手がライトノベルに対する偏見や先入観を持ち、こちらのステージに上がってこないのであれば、こちらがステージを降りればいい。

 同じフィールドに立ってしまえば、あとは北浜さんたちが用意したPOPや作品そのものの魅力で十分に戦えると思っての戦略だった。


 けれど、俺は肝心な点を見落としていた。

 いくら魅力的なPRができても、そもそもそれを認知してくれる人がいなければ得票にはつながらない。

 端的に言えば、集客の方法にまでは考えが及んでいなかったのだ。


 俺の表情で南はそれを見抜いたのか、不思議そうな顔して口を開く。


「なるほど鳥羽氏の作戦ではない、と。そうなると単にラッキーだったってこと?」

「あれが偶然の出来事だって考えるには無理がある気がするんだが……」


 あれは選書会の終盤になって突然の出来事だった。

 しかも図書室にやってきたのは、ほとんどがスポーツ推薦組の生徒。

 タイミングを考えれば、部活動の終わり際に図書室へ寄ったのだろうが、体育会系の生徒が疲れた身体をひっさげてわざわざ寄り道するなんて不自然すぎる。

 あれは明らかに、誰かにやって来たとしか思えない。


「南ちゃんが準備してくれたわけじゃないんだよね?」

「うん、私は飾り付け手伝っただけだから」

「鳥羽くんでもないし、南ちゃんの仕込みでもない。ということは……」


 北浜さんの言葉に促されて、全員の視線が河原万智に集中する。

 河原は噛っていたクラッカーをコクンと飲み込んでから口をひらいた。


「まぁ、大したことはしてないけどね」

「やっぱり万智ちゃんのおかげ⁉ どうやったの、ねえどうやったのっ!?」


 北浜さんはガシッと河原の肩を掴んでぐわんぐわんと揺さぶる。

 ものすごい既視感。あかんって、それをやったら河原が怒るってそろそろ学習してくれません!?


 内心ヒヤヒヤしながら傍観していると、河原は揺さぶられながらも手元で器用にスマホを操作して、それをテーブルに滑らせた。

 見ると画面にはSNSのツイートが映っている。


 最後にツイートされた内容は、どうやら選書会の開催についてと、そこで映画や漫画、そのほか有名作品の原作シリーズが特集されているという宣伝が載っていた。

 そして、特に目を引くのはその拡散数。


「……リツイート数987、いいね数1022⁉」

「河原ちゃん、これ凄すぎない⁉」

「お前、この学校でどんだけ影響力もってるんだよ……」

「そう? 今回は身バレ防止のために裏垢使ったからフォロワー少ない方だけど」

 

 平然ととんでもないことを言いやがる。

 なにがとんでもないって、まだこのツイートがされてから2、3日しか経っていないのだ。しかも内容はたかだか学内の1イベントについて。

 それが短時間で拡散し、しかも河原の狙いどおり、特定層の生徒が実際に図書室へ誘導されてきたのだ。

 この女、とんでもないインフルエンサーだぞ。


 俺が恐れ半分に感心していると、未だ困惑した表情の北浜さんが口を挟んだ。


「でもさ、万智ちゃんはいつから鳥羽くんの作戦知ってたの? 私、ぜんぜん知らなかったのに」

「それはほら、選書会の直前ですよ。俺、河原に呼び出されてたんです」

「あーあのとき……」


 選書会の準備を手伝いはじめた直後のことだ。

 急に河原からチャットで呼び出され、なにかと思えば「時間がないからとにかく作戦を話せ」と尋問――もとい質問され……。

 その時は問われるがままに答えたが、このツイートの参考情報にするためのヒアリングだったわけだ。なんと恐ろしい女だこと。


 河原は少し得意気な表情で口をひらく。


「入居試験もそうだったけどあんたは詰めが甘いのよ。その場しのぎは上手いけど、それしか考えてないでしょ?」

「……仰るとおりです」

「じゃあこれで貸しひとつね」

「えぇ、なにそれ物騒ぅ」


 俺の及び腰な声を聞いて、南と北浜さんがカラカラと笑う。

 おっかなびっくりになるのも仕方ないじゃん?

 だって、河原万智は実際にスポーツマンたちを実動させる影響力を持っていると立証したわけだ。

 トップオブリア充という称号は、名だけでなくその実も示しているということ。

 ……そんな女子に「貸し」を握られるなんてヤバいだろ絶対。


 いつか身に降りかかるかもしれない厄災に怯えていると、南が仕切り直すように声を出した。


「ともあれ、これで大逆転できた謎も解けたしすっきりだねえ」

「うん。本当にみんなありがとね!」


 北浜さんが一切の憂いが晴れた屈託のない笑みを浮かべる。

 歳上どころかまるで高校生とも思わせられない天真爛漫な女の子。

 明るい彼女が本来の彼女でいるだけで、シェアハウスの空気も自然と軽くなる。


「それじゃあらためて……」


 南がグラスを手に取って目配せし、俺も河原も北浜さんも意図を察してグラスを握る。


「「「北浜さん、おめでとー!」」」


 ――純度100%、リアルな女の子たちの笑顔はどんなイラストよりも鮮やかだ。

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