32話 ライバルの和解は素敵すぎる

 選書会を終えてから数日経った放課後。

 はその日の図書委員会で伝えられた選書会の結果を胸に、待ち合わせ場所の昇降口に向かった。


 靴を履き替えて外に出ると、待ち合わせ相手の鳥羽くんは既に出口の傍に立っていた。


「北浜先輩、お疲れ様です」

「お疲れ。待っててくれてありがとね」

「河原の代理にパシられてるだけなんで気にしないでください」


 鳥羽くんは苦笑しながら答える。

 きっと万智ちゃんのことを思い浮かべているんだろう。

 今日の放課後に選書会の結果発表があると知った万智ちゃんが、今度こそ私がひとりで結果を抱え込まないようにと、お目付け役として鳥羽くんを派遣したわけだ。

 鳥羽くんの扱いが雑になってきてる気がするのは私だけ……?


「それで結果は……」


 考え事をしていたせいで無言になっていたのを不安に思ったのか、鳥羽くんが遠慮がちに尋ねてきた。

 心配させるつもりはなかったので、私はためらうことなく返事した。


「一位だったよ、千林さんと同率一位!」

「ということは」

「『涼宮ハレノヒの直観』も図書室に置いてもらえるってこと‼」

「よっし!」


 曇りがかっていた鳥羽くんの表情がパッと晴れ上がり、力強くガッツポーズ。

 いつもは落ち着いた雰囲気なのに、まるで感情がそのまま態度に出たような仕草だ。そんな後輩が可愛く見えてしまって私はクスっと笑ってしまう。

 それに気づいたのか、鳥羽くんは決まり悪そうに握り拳を解いた。


「……えっとじゃあ、もう帰りますか?」

「うん、帰ろう」


 照れくさそうな鳥羽くんに、ニッコリ頷き返して一緒に校門へと向かって歩く。

 そういえば、鳥羽くんと――というか男の子と一緒に下校するのは初めてだ。


 シェアハウスに着くまでは電車に乗ったりもするわけで、それなりに時間がかかる。

 道中なにを話せばいいんだろう、お互い話すことがなくなって気まずい雰囲気にならないかな。


 そんな些細なことで頭はモヤモヤするけれど、少し前までの私に比べたら本当に可愛らしい悩みだ。

 こんな幸せな悩みができるようになって本当に良かった。


 ほどなくして校門をくぐろうとした時、後ろから聞き覚えのある声が私を呼んだ。


「北浜さん」


 足を止めて振り返ると、後ろを歩いていたのは千林さんだった。

 私は委員会のあと急いで昇降口に直行したから、下校時間がたまたま被ったわけじゃなさそう。

 もしかしたら私のことを追いかけてきたのかもしれない。


「千林さん、お疲れ様です。なにか……?」

「あ、いえ。大したことじゃないんですが、おめでとうございます。人気投票、一位でよかったですね」

「あ、ありがとうございます。千林さんもおめでとうございます」

「ありがとうございます」


 また何か小言を言わへるのかもと覚悟していたから、シンプルな褒め言葉をもらって拍子抜けしてしまった。

 千林さんはいつも私に厳しい態度で接してくるけど、やっぱり良くも悪くも誠実な人なのかも。


「あと……」


 続けて千林さんは口を開いたけれど、珍しく歯切れが悪い。

 どうしたんだろうと思っていたら、彷徨わせていた視線を真っ直ぐ私に向けて口を開いた。


「いろいろとすみませんでした。私の考えが堅かったと思います」

「え、ええと?」

「選書会のときも、書店で会ったときも、ちょっと言いすぎたと言いますか、押しつけがましかったと反省しています」

「や、その、とりあえず頭をあげてくださいっ!」


 ノーモーションで頭を下げられたのに驚いて、私は見えてもいないのに身振り手振りをわたわたしながら千林さんを制止する。

 すぐ近くに人はいないと言っても、ここは校門前の目立つ場所。なのに、こんなことできちゃう千林さんって本当にまじめすぎない?

 なんだか万智ちゃんが千林さんのことを苦手だって言ってた理由が分かった気がする……。


 千林さんはようやく頭を上げると、今度は鳥羽くんに向き直る。


「そして、鳥羽くん。あなたに言われたこと、あれからいろいろと私なりに咀嚼してみました」

「いや……、その節はすみませんでした。年下のくせに偉そうにすみません」

「いいえ、卑下しなくていいですよ。鳥羽とば快斗かいとくん、あなたの言っていたことは間違っていないと思います」


 千林さんの言葉は、決して皮肉混じりではなく、真摯な気持ちそのもののようだった。

 いつも高圧的な千林さんが、こんなに素直に人の意見を受け入れるなんて。明日は世界中に槍でも降るんじゃないだろうか。


 ……ってちょっと待って。

 いま、「鳥羽とば快斗かいと」くんって、フルネームで呼んでなかった⁉


「千林さん、なんで鳥羽くんの名前を? もしかして前からの知り合いだったんですか⁉」


 私がババッとふたりの顔を見比べて言うと、鳥羽くんも千林さんもふるふると首を横に振る。

 ……どういうこと?


 私が頭に疑問符を浮かべていると、千林さんが口を開いた。


「面識はなかったんですが名前は知っていた、というか、名前を知っていた「鳥羽快斗くん」が彼だったんです」

「名前を知っていた?」

「はい。中学の時ですが、全国統一模試でいつも一位に名を連ねていたのが鳥羽くんです。ひとつ下の学年でしたが、私の通っていた塾でもよく名前が挙がっていたので覚えています」


 え……うそ、鳥羽くんってそんなに賢かったの⁉

 たしかにいつも知識量がすごいなって思っていたけど、まさかそこまでのレベルだったなんて。

 なんだか急に全然ちがう世界の人に見える気がしてきた。


「鳥羽くん、それ本当っ!?」

「まぁ一応。もう昔の話ですけどね」


 鳥羽くんはやっぱりいつも通りの鳥羽くんだった。

 中学の時の話とはいっても、全国で1番だなんて凄すぎる。なのに、おごることもへつらうこともしないなんて……。


「選書会の時の鳥羽くんの言葉、やっぱり天才が見ている世界は違うなと思い知らされましたよ」

「俺はそんな大層な人間じゃないですよ。今はただの同じ高校の後輩です」


 なぜか、その声音はどこか寂しそうに聞こえた。

 鳥羽くんがハハと乾いた笑みを浮かべると、それが気にかかったのか、千林さんが心配そうな様子で問いかける。


「不躾な質問かもしれませんが、鳥羽くんがこの学校に来た訳を聞いても……?」

「特別な理由なんてないですよ。単に第一志望校に落ちて滑り止めがここだっただけです」

「でも、大学受験でリベンジするのなら、あなたの実力ならもっと他にも選択肢があったのでは……」


 私は京都の学校事情にそんなに詳しくは無いけれど、たしかにうちの高校はトップレベルの偏差値というわけじゃない。それこそ、佐賀でのんびり過ごしてきた私がギリギリとはいえ入学できたくらいだ。


 うちの高校も、ここ最近は指導方針の変更とかで、どんどん進学率が高くなっているって聞く。

 けれど、たしかに鳥羽くんほど賢い人なら、滑り止めだとしてももっと高いレベルの高校を選ぶ方が自然な気はする。


 鳥羽くんは目を伏せ、不器用に口角をあげた。


「強いてここに来た理由があるとすれば、憧れの先輩が通っているからって感じですかね。それに、俺はもうリベンジなんて考えてないですし……」


 憧れの先輩……。そんな人がいるのは羨ましい。

 わざわざ偏差値を下げてまでこの学校に来たくらいだ、中学生の鳥羽くんにすごい影響を与えた人がいるんだろう。

 もしかして、鳥羽くんがちょこちょこオタクな知識を持っているのって、その人の影響なんだろうか?


 私が無粋な想像をしていると、千林さんは静かに頭を下げていた。


「すみません、野暮な質問でした」


 そして、しんみりしてしまった空気を入れ替えるように、また口をひらく。


「ともあれ、私はあなたに指摘されて、自分の考えが凝り固まっていることを自覚しました。私の考えはともかく、無自覚のうちにそれを北浜さんたちに強要していたと思います。それは申し訳ない」


 千林さんはまた浅く頭を下げる。

 それを私は黙って見ていられなくなった。


 欲しいのは謝罪じゃない。

 私が傷ついたことはもうどうでもよくて、ただライトノベルという形の作品の魅力が、正しくみんなに伝わってほしい。

 私が望んでいるのはずっとそのことだ。


「千林さん、私はもう大丈夫だから気にしないでください。それよりも、もしよかったら今度ライトノベル読んでみてください」

「そう、ですね……いつかまた読んでみようとは思います」

「いつか、また?」


 千林さんの言葉にひっかかりを覚えて、無意識のうちにそのフレーズを復唱する。

 まるで、今までに読んだことがあるみたいな言いぶりだ。


「はい。散々言っておいてなんですが、中学時代は私もライトノベルを好きで読んでいましたから……」

「じゃあなんで」


 ――なんで今はそんなにライトノベルを嫌っているの?

 と聞きかけて、わたしはとっさに口を閉ざした。

 なんだかそこは触れてはいけない何かがある気がしたから。


 けれど、千林さんは私の疑問などお見通しのようだった。


「自分で言うのもなんですが、改めて考えると、私はただライトノベルに八つ当たりしていたんだと思います」


 しんみりと、けれど濁すこと無く言葉を続ける。


「中学生のとき、友達に勧められてライトノベルを好きになったんです。けれども、その結果、娯楽にうつつを抜かした私は高校受験に失敗した。その遠因を小説に向けるなんてバカバカしいと思われるかもしれませんが……」


 語っている千林さんはいつものように淡々とした口調だけれど、その表情はどこか悔しさを嚙み締めているようにも見える。


 「でも、やっぱり私はあの時の後悔を消すことはできないんです。私の価値観を周囲に押し付けるのは間違っていました。けれど、私にとって娯楽小説は誘惑でしかない。その価値観は今は変えられません」


「千林さん……」


 私は彼女のことを何も知ろうとしていなかった。そのことに今気がついた。

 きっと彼女は、田舎でのんびり暮らしていた私よりも何倍も一生懸命に勉強してきたんだ。なのに、それが報われなかったとしたら悔しくて当たり前だ。


 じゃあ、自分がもし千林さんの立場だったら?

 私みたいに受験生にもなってとしている人がそばにいたら、イラっとするかもしれない。


 彼女は悪い人じゃないんだ。悪気があったわけでもないんだ。

 そう思えた途端、私はもっと千林さんのことを知らないといけないと思った。


 それはもちろん同じ図書委員として仲良くやっていくために、っていう意味もあるけれど。

 それ以上に、私は彼女にライトノベルを知ってほしいと思う前に、彼女の見ている世界をもっと知ろうとすべきだったと気づいたから。


 だから私は、勇気を振り絞って千林さんに話しかける。

 

「千林さん。今度おススメの参考書、教えてくれませんか?」

「私が、北浜さんに? どうしていきなり」

「なんというか、私も受験生だし、千林さんを見てたらちゃんと勉強しないとって思ったので……」


 それは本心だったけれど、自分で言っておきながら脈絡がなさすぎたかもと後悔が募る。

 けれど、千林さんはふふと微笑みをたたえて返してくれた。


「分かりました。また今度、まずは図書室にある参考書を紹介しますね」

「うん、お願いします」

「そのかわり……」


 そこで言葉を止めた千林さんは、照れ臭そうに少し目線を逸らしてから続けた。


「受験が終わったときのために、おススメのライトノベルも教えてください」


 その一言は、まるで同級生の友達から掛けられた言葉のようで。

 それがうれしくて、嬉しくて。


 私は満面の笑みを浮かべて元気よく返事した。


 「もちろんっ!」



 ――それは、私が京都にやってきて半年が経った晩春のこと。

 私の世界が大きく開いたきっかけで、かけがえのない後輩が贈ってくれた奇跡だった。

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