31話 ライトノベルなんて括りは狭すぎる(1)
「この看板、邪魔だからどけちゃいますね」
そう言って、鳥羽くんはブースの名札とも言うべき「ライトノベル特集!」の看板をどけてしまった。
あまりに想定外の行動だったので、私は思わず鳥羽くんの腕をつかんでブースから彼を引き剥がし、千林さんたちには聞かれないように声を抑えながら問い詰める。
「ちょっとなにしてるのッ⁉」
「ブースの準備ですよ。この看板はたぶん無いほうがいいです」
「看板が無かったら、ここがライトノベルのお薦めコーナーだって分からないじゃん!」
「それでいいんです」
何の特集コーナーなのか分からなくていい⁉ ますます頭が混乱する。
鳥羽くんはここがライトノベルの特集コーナーだと分かってはいるみたいだけど、だったらなおさら言葉と行動がちぐはぐだ。
鳥羽くんに詰め寄っても暖簾に腕押し。
もう何から確認すればいいのか分からなくなって、私は言葉を失ってしまった。
それを質問の終わりと受け取ったのか、鳥羽くんは平然と書籍の陳列を再開する。
その様子を見ていた千林さんが、鳥羽くんの背中に声をかけた。
「あなたは北浜さんの許可をもらっているんですか?」
「もらってますよ。空けてあるスペースは自由に使っていいんですよね?」
鳥羽くんが顔だけをこちらに向けて、確かめるように首を傾げる。
「う、うん。ブースの空けてあるところは鳥羽くんが自由に使っていいけど……」
「ということで、ちゃんと本人の許可をもらってます」
「わかりました。それなら問題ないです」
鳥羽くんの行為は一応ルールの範囲内。千林さんもそれを確認して良しと判断したのか、いったん矛を収める。
そして今度は、私に向けて口を開いた。
「でも北浜さんはこれでいいんですか? なにか慌ててるように見えますけど」
「仕上げは鳥羽くんに任せてるんで……」
「本当にそれでいいんですか」
千林さんは呆れた顔を浮かべているけど、今はそう答えるしかない。
自分で言っておきながら、まるで芸能事務所の「プライベートは本人に任せています」みたいに他人事なコメントだなって笑いたくなる。
けれど正直に言ったりしたら、「後輩のコントロールもできないんですか?」ってまた怒られるに決まってる。そんなこと言えるはずがない。
そのあいだも黙々と作業していたからか、鳥羽くんはあらかた本を並び終えていた。
あらためてブースに並べられた本を見ると、ハードカバーの小説や、書店の一般小説の方に置かれている本も加えられている。
「ライトノベル特集」だった私のブースは、彼が持ってきた雑多な本たちに浸食されてしまっていた。
同じような感想を抱いたのか、千林さんが怪訝な声を出す。
「あなた、何がしたいんですか? これだと何のジャンルのブースか分からないじゃないですか」
「何のジャンルか分からない? 見れば分かると思いますけど、小説ですよ」
「だから、それが曖昧で分かりにくいって指摘しているんです」
千林さんは、ブースの真ん中に置かれたライトノベルを指さす。
「そもそもここは、この『涼宮ハレノヒ』を推薦するブースですよね?」
「そうですね」
「だったら、ちゃんとライトノベルのブースだと分かるように」
「――なんで区別する必要あるんですか?」
鳥羽くんの言葉が、千林さんの言葉を断ち切った。
それは確かに千林さんに向けた言葉だったのに、私にも向けられた言葉のような気がして。
同時に私の中で何かが砕け散ったような衝撃があった。
鳥羽くんは皮肉でも軽口でもなく、純粋に疑問だというふうに続ける。
「なんで『ライトノベル』を小説とは違うくくりにしないといけないんですか?」
「それは一般小説とライトノベルとでは、ターゲット層もその意義も全く異なるからです」
「というと?」
「ただの小説なら教養にもなるでしょうが、ライトノベルはただの娯楽であり勉学にとっては不要物ということです」
「じゃあ、お聞きしますけど、その『ただの小説』と、ライトノベルって何がどう違うんですかね」
鳥羽くんは自分で持ってきた本を手に取って千林さんに見せた。
表紙にはメカメカしい装備を身に着けた男性がイカつい銃を携えたイラスト。表紙が女の子じゃないし、私はふだん読まないような雰囲気の小説だ。
「これ知ってます? 『All You Need Is Kill』っていうライトノベルですけど、ハリウッド映画になった原作です」
「SF系の映画はあまり見ないので疎いですが、有名な作品ですか?」
「あのトム・クルーズが主演だったので、注目はされていましたよ」
「たしかに有名な俳優ですし、B級映画というわけではなさそうですね」
鳥羽くんはまた新しく並べた本を千林さんにみせる。
漢字5文字が大きく表紙に書かれたハードカバーの本。これは見た目からしてライトノベルじゃなさそう。
「じゃあこの作品はご存じですか? 『天地明察』」
「ええ知っています。江戸時代の天文暦学者を題材にした時代小説ですね」
「そうです。これも実写映画になった原作です」
「映画化しているのが共通点だと言いたいんですか?」
「ひとつはそういうことです。ライトノベルだって、ただの小説だって、人気の大衆映画になってるんです。そういう点ではどちらも等しく娯楽作品でしょう?」
持論を展開した鳥羽くんに、千林さんは鋭い口調で反論する。
「しかし時代小説なら物語を通して史実を学べます。荒唐無稽な空想物語ではそうはならないでしょう」
「時代小説だってフィクションを含んでますよ? 逆に空想の物語だって要素を取り出せば史実が元になっていることもあるそうです。結局のところ、フィクションの強弱の違いでしかないのでは?」
鳥羽くんは少しも慌てることなく、それでいてスラスラと千林さんの主張にカウンターを決めた。
千林さんも一理あると思ったのか、今度はすぐさま反論する様子はない。
次に鳥羽くんは隣のブースから一冊を拝借してきた。
それは選書会でもかなり目立っていた青春小説で、私も知っているくらい有名な小説だ。
「この作品も知ってますよね? 『君の膵臓を食べたい』」
「もちろんです。実写映画になったのも知ってます」
「あとアニメ映画にもなってますね」
「まさか、アニメになったからこれはライトノベルだと言いたいんですか?」
「ちょっと違います。まぁ似たような意図ですけど」
そう言って、鳥羽くんはポケットから2枚の紙を取り出した。
シェアハウスでプリントアウトしてきたのか、インターネットの情報まとめサイトの切り抜きみたいだ。
「このプリントは、今言った2作品の概要ページです」
それを千林さんに手渡してから鳥羽くんは再び口を開く。
「知ってましたか? 『天地明察』の作者はもともとゲーム、アニメ、漫画原作などを広く手掛けていた作家。そして、『君の膵臓を食べたい』はもともとWeb小説サイトに投稿されていた作品ですよ」
「それがなんだと?」
「つまり、あなたが普通の小説だと言っている作品も、『ライトノベル』ばかりと言われるようなWebサイトの作品も、少なくとも筆者という切り口で見れば境界線なんて無いってことです」
立て板に水が如く主張を綴った鳥羽くんは、そこでいったん仕切り直すように口を閉ざした。
その隙をつくように今度は千林さんが口火を切る。
「作者や作品の背景については理解しました。けれどやはり、ライトノベルはライトノベルです。ただの小説と違って、イラストが重要な要素になっていることは紛れもない事実だと思いますが?」
「それはそうだと思います」
「だから」
「――だからなんです?」
一瞬、焦ったように口を開いた千林さんの言葉を鳥羽くんがひと言で制した。
その鋭い口調に驚いたのか、千林さんも口をつぐむ。
「千林先輩、あなたの主張は論理的に聞こえます。けれどその実はそうじゃない。もし、イラストがあるから娯楽だの勉強の妨げだのと言うなら、それはただのあなたの感想ですよね」
千林さんの口が完全に閉ざされる。
鳥羽くんは、私の推薦書籍――『涼宮ハレノヒの直観』を手に取って続けた。
「この『涼宮ハレノヒ』シリーズ。いまや小説やアニメだけの作品じゃない。いろんな企業や商品の宣伝にも、さらに学習教材にも使われている。英語学習コーナーには『涼宮ハレノヒ』を題材にした英文読解教材が売られているんですよ」
もう千林さんは反論に出る様子はなかった。
鳥羽くんの言葉だけに誰もが黙って耳を傾けている。
「小説の意義とか価値だとか、そんなの一個人が分けられるものじゃないですよ。だから、僭越ながら先輩にひとつアドバイスしますね」
のらりくらりと掴みどころの無い笑みを浮かべていた鳥羽くんが口を閉じる。
僅かな沈黙の時間が生まれ、息苦しく感じるほどに空気が張り詰めた。
鳥羽くんの瞳が再び千林さんを捉える。
その瞳はまるで獲物を死地に追い込んだ狩人のように鋭く。
口元には格下の選手にチェックメイトを宣告するような勝利の確信に満ちた微笑を浮かべて言った。
「自分の眼鏡だけで見えるほど世界は狭くないんですよ」
ズキンと彼女に向けられたはずの言葉が胸の奥深くにまで突き刺さる。
後輩のくせに。
人生経験なんて私より1年も短いくせに。
威風堂々と正論を突きつける彼は一体何者なんだ。
鳥羽くんはいつもライトノベルのことをフラットに語る。
ライトノベルを、ライトノベルの世界で語るんじゃなくて、ひとつの小説、ひとつの作品として色眼鏡なしに観ている。
逆に、狭い枠組みに囚われて、ライトノベルを他の小説から切り離していたのは私の方だ。
他のみんなが「小説」というステージに立っているのに、私だけが独りよがって「ライトノベル」というステージにお客さんを呼ぼうとしていた。
最初からライトノベルにレッテルを貼りつけていたのは、私だったんだ。
鳥羽くんはそのことに気づいていたのかもしれない。
そう思った瞬間、鳥羽くんのさっきの言葉は私への指摘だったような気がして、どうしようもなく恥ずかしさが込み上げてくる。
「どんな本だって作者と読者の愛を受けてこの世にあるんです。どんな作品だって誰かが好きな作品だ。それを勝手に汚さないでください」
視界がぼやぼやと滲んで、私の頬をつつと水滴が伝った。
ライトノベルだって、それが大好きなファンがいて、誰かにとってはかけがえのない作品なんだ。
だから、ライトノベルも――可愛い女の子のイラストに溢れたライトノベルが大好きな私も、そのままでいいんだ。
そう思えた瞬間、もう私の涙腺は決壊した。
みんなの前で号泣するわけにはいかなくて、どうにか誤魔化そうとティッシュで必死に涙を拭う。
「なるほど、あなたの主張は理解しました」
千林さんは静かに相づちを打っただけだった。
肯定とも否定ともとれない返事。
けれど、なにも反論しないのは彼女が納得している証拠だ。
千林さんがこんなにあっさりと相手の主張を受け入れたところは初めて見た。すごい、凄すぎる。
……けれど、周りの空気がとんでもないことになってる。
そりゃいきなり図書室の真ん中で言い争いが起こったら、周囲の人間は委縮して当然だ。
そんな状況に割って入ったのは神橋さんだった。
「鳥羽くんすごーい! 話聞いてたけど、小説の見方がちょっと変わったよ! 私も今度ライトノベル読んでみよっかな〜」
「そう思うよね?」と神橋さんに振られた周りの女の子たちも、同調して首を縦に振る。
神橋さんはたったそれだけで周りの空気を弛緩させてしまった。
本屋さんで会った時も万智ちゃんと親し気な感じだったけど、こうやって周りを巻き込んでしまうカリスマ性は確かにふたりとも似ている気がする。
「さて、と。じゃあ私たちはもう用も済ませたんで帰りますね。千林先輩、お疲れ様ですー!」
「いろいろと騒がしくさせてしまいましたね。申し訳ない」
「全然です! この後も頑張ってくださいねー」
神橋さんは連れの女の子たちに目配せして先に図書室からの退出を促してから私たちの方へやって来た。
どこから見ても非の打ち所がない美人の顔が目と鼻の先。
今すぐにでも逃げ出したい気分。
「そちらも頑張ってください。北浜さんのブースにも、これから人が来るといいですね」
それだけ言って神橋さんはくるりと
表面上は応援の言葉のように聞こえた。
だけど実際はただの皮肉だと気づく。
普段の私なら気づかなかったかもしれないけど、今日はいろんなことがあったからか、いやに頭が冴えている。
鳥羽くんはあの千林さんを論破した。
けれどそのことが選書会の結果に直接つながるわけじゃない。
私の推薦書籍が採用されるには、神橋さんの言う通り今からの大量の生徒の票を集めないといけないんだ。
鳥羽くんの演説のおかげで、多少は私のブースへも人が集まるようになった。
けれどこの場にいる大半の生徒は既に投票を終えている。
だから私の推薦書籍が人気投票を勝ち取るには、そもそもまだ図書室に来ていない生徒を連れてくる必要がある……。
そんなの絶対無理じゃん……。
放課後が始まってからもう1時間以上が経っている。
今から図書室に来る生徒なんてほとんどいない。
けれど、もしかして鳥羽くんはそこまで考えていた?
だからわざと遅れてやってきたとか?
僅かなだけど割と太い望みに賭けて鳥羽くんに聞いてみる。
「鳥羽くん。今から人を集める方法も考えてるんだよね?」
「あー。……まぁ」
「うん?」
鳥羽くんの口角がぎこちなく釣り上がる。
気のせいか視線の先も微妙に私からズレている。
あれ。もしかして無策なの!?
「どうすると⁉ あんだけ偉そうに言っとって、なんも考えてないと⁉」
「ほ、方言可愛いっすね……」
「せからしかッ‼」
さっきまで威勢が良かった男の子はどこの誰?
肝心なときに情けないというか頼りなさすぎる。
こういうリアクションは年下相応で可愛らしいけど今はそんな点数稼ぎは求めてない!
いよいよ万事急須か……。
そんな風に半ば絶望していると、ふと図書室の入口の方から賑やかな声が聞こえてきた。
「選書会ってここだよな⁉」
「SNSに図書室の2階って書いてたし間違いないっしょ!」
「最近流行りの小説とか特集してるんでしょ?」
「俺、けっこう漫画好きだからさ、原作小説も気になるわー!」
もうすぐ放課後も終わりそうな時間だというのに。
驚いたことに、体育会系の男の子や女の子たちがわらわらと図書室にやって来た。
みるみるうちに人は集まって、私のブースにも人だかりができる。
いつもスポーツ推薦の人たちと廊下ですれ違うとき、彼らがよく漫画の話をしているのを耳にしていたけれど、同じようにライトノベルとも親しみがあるのかもしれない。
「ライトノベル特集!」なんて粋がった看板を取り下げた私のブースは、アニメや漫画、映画の原作になった作品のコーナーのひとつだと思ってもらえているみたい。
もうそこには、ライトノベルを偏見で語るような人はいなかった。
みんなが作品を手に取り合い、あれが面白かった、これは面白いって楽しそうに語り合っている。
それは私が見たいと願ってた理想の世界そのものだった。
……奇跡だ。
本当にそう思えるような光景を、私はずっと傍で見守っていた。
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